「女の恋愛は上書き保存と言う言葉があるのを知っているか」
「男の恋愛は名前を付けて保存っていう言葉もある、知ってた?」


愛も友情も努力も、何事に於いても永遠なんてものはない。という一説を何かで読んだ覚えがある。淹れてもらったコーヒーは、苦いだけで全然味がしなかったし、テーブルに置いてから急速に冷めた気もする。何かに集中している時というのは時間の流れが何倍にも感じられるから、きっと考え込む事に集中し過ぎていつの間にかコーヒーが冷めていたんだと思う。テーブルを挟んで向かいに座る新隆くんは、スーツの胸ポケットから煙草を取り出して徐に火を付けた。

「芹沢、灰皿取って」
「禁煙したって言うのも嘘だったんだ。ほんと嘘ばっかり」
「お前がこんな事しなけりゃ、嘘にならなかったんだけどなァ」
「あ、あの‥‥」
「そこ置いといて」
「お‥‥お客さん来るかもしれないし‥‥煙草は‥‥」
「じゃあ店じまいの札出しといて、電話線も抜いとけ」
「い、いいんですか?」
「いいんだよ、社長の俺が言ってんだから。早くしろよ」
「芹沢さんに八つ当たりしないでよ。二股かける要領はあるのに、人としての器はないとか、ほんっと救いようがない」
「別の男と朝帰りして来て、そのまま平気な顔して俺に会いに来るお前には負けるよ。要領も救いようがない所も」


わたしの彼氏の霊幻新隆は二股をして、霊幻新隆の彼女であるわたしも二股をしました。しかも同時期。魔が差したというやつ。言い訳をするなら本気の恋愛ではない。まあ、今さらそんな事言っても遅いんだけど。向こうはどうだか知らないし。
二人して別々の異性とあれやこれや致したその後に、仲良くお食事に行ったりデートに行ったりしていて、しかもお互い浮気をしているなんて気付くことも気付かせる事もないまま半年経過していたもんだから、もう滑稽すぎて笑うしかない。わたしが第三者だったら笑う。でも一通りわたしたちの話を聞いていた第三者の芹沢さんは笑ってはいなかった。顔を引き攣らせたまま、コーヒーを出したお盆をずっと握り締めていた。何か理由を付けて出て行けばいいのに、勤務時間内だからとか思ってそう。新隆くんも、気を使って席外させてあげればいいのに。‥‥いつもなら、そうするのに。


「別れて欲しいんだけど」
「こっちの台詞だ」
「あんたみたいなクズと付き合わなきゃ良かった」
「お前みたいなバカと付き合わなきゃ良かった」
「肺炎で死ね」
「性病で死ね」

終わりだ。わたしは席を立った。コートを羽織って「芹沢さん、コーヒーご馳走様でした」と軽く頭を下げた。芹沢さんは何か引き止める言葉を掛けようとしていたものの、言葉が見つからなかったらしく口を半開きにしたままわたしの腕を掴んだけれど「芹沢!!」と新隆くんに怒鳴られて反射的に腕を離した。最後に愛想笑いをしようとしたけれど、顔が引き攣って笑顔になっていたかは分からなかった。事務所の扉を閉めて階段を降りる。やっぱり外は寒かった。


「好きだったのに」

呟いた声も白い息も大型トラックのエンジン音と排気ガスに掻き消された。



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