ふと目が覚めた。いつも聞こえる不愉快な電子音は無く、どこからか子供の笑い声が聞こえる。
その事に違和感を覚えながら、ゆったりとした動作で体を起こすが、風邪を引いたときのように体が重い。それと、どうしてか胸の辺りにぽっかりと穴が開いたような気分がする。そして、はっと息をのみ、首元に手をやった。チャリ、と小さく金属の音が聞こえ、そこからつながる薄い布の感触に安堵のため息を吐く。
肌身離さず付けているチョーカーがあることを確認し、やっと辺りを見渡した。視界に入ったのは、ベッドがいくつか並んだ見知らぬ部屋。そんな部屋の端っこ、一つだけはみ出るようにして置かれたベッドに僕は寝ていた。訳が分からん。
ベッドから降りて、明るい日差しが差し込む窓に近づくと、窓の外では小さな子供たちが元気に走り回っていた。広い庭のような場所で走り回る子供たちを目で追っていると、木で出来た小さな看板があることに気づいた。そこにはカナワ孤児院と書かれており、ここが孤児院であることが判明した。というか、僕はなんでこんな所にいるんだ?
寝起きで覚醒しきっていない頭に流れ込んでくる情報が多すぎて、めまいがしてくる。思わず頭を押さえると、後ろの方でノックの音が聞こえた。
音につられて後ろを振り向くと、全く知らない高齢の女性が笑顔で声をかけてきた。
「シウン、お客さんよ」
にこにこと、初対面のはずなのになれなれしく接してくる女性に少しの不快感を覚えながら、女性のあとから部屋に入ってくる人物に目を向けた。
木の板が張られた床がコツンと上品な音を立てた。長い足に質の良い靴がよく栄え、肩から掛けられたジャケットがふわりと揺れ、何かの花のような香りが鼻腔をくすぐる。
すらりと伸びた指で目にかかった真っ白な髪を払うと、深く暗い海のような青い瞳と目が合う。
僕の顔を見て心底幸せそうな笑顔を浮かべたその人物に、言いようのない不快感を感じた。
「やあ、初めまして。俺はアーデン、これからは俺が君のおやだよ」
そう言って僕に手を差し出したのは、胡散臭いオッサンだった。
見知らぬ孤児院で、勝手に進んでいく書類の手続き。
どうやら僕はこのオッサンに引き取られるらしい。
僕にはちゃんと親と呼べるものはいるし、孤児院に捨てられたような記憶も全くないのだが。一体どういうことなんだ。
簡単すぎる手続きが済み、オッサンは笑顔で行こうかと僕を振り返る。その瞬間に青い目とまた目が合い、思わず顔をしかめる。やっぱりなんか胡散臭いオッサンだ。
妙に高そうな車に乗せられ、外の景色に目を疑うのはこの数分後だった。
▽
車窓から見えた景色にまだ頭が追いつかなくて、ぼんやりとしたまま胡散臭いオッサンあとを重い足取りでついて行く。
車が止まったのは高級マンションの地下駐車場。おそらくオッサンの自宅、身なりからしてかなりの裕福な人間なのだろう。
車を降りたあとも視界に入ってくるのは、奇妙な生き物たち。清掃員と思わしき老人と共にいるのは灰色のネズミのような生き物と、ゴミ袋からゴミが出ているような生き物。先ほどから似たような光景を何度も目にしているが、頬をつねってみても痛みしか無く、これが現実だと思い知らされる。
ため息を吐くと、思ったより近くにオッサンの足があり、立ち止まって、一歩下がる。いつの間にかエレベーターの前までやってきていたようだ。
「ポケモンを見るのは初めてだったかい?」
「…………」
オッサンが少し意外そうな顔でそう聞いてくる。
ポケモン、聞いたことはあるし、見たこともある。しかし、それはテレビの中や紙の上、二次元での世界だ。生きて動いている光景を見るのは絶対にあり得ないこと。だって彼らはフィクションだ。
「そう嫌そうな顔をしないでおくれよ。すぐ慣れるさ」
何かを見透かしたような笑顔で笑い、エレベーターに乗り込むオッサン。エレベーターに乗るのを躊躇していると、オッサンは少し困ったような笑顔を浮かべた。
「邪魔になってしまうよ」
「っ、すい、ません」
「いえいえ、大丈夫よ」
後ろを向くと、上品な立ち振る舞いの女性と、リボンを沢山付けた少女のようなポケモン…がいて、咄嗟にエレベーターに乗り込んでしまった。
オッサンがいくつもあるボタンの一つを押すと、エレベーターは閉まり上昇をはじめる。
女性が他の階のボタンを押さないことからも察せられたが、オッサンの家のお隣さんだというこの女性、薬指に指輪をしているからマダムとでも言うべきか。オッサンとマダムは仲が良いらしくエレベーターが着くまでの短い間で世間話に花を咲かせている。知らないオッサンと知らないマダムと妙な生き物がいる空間というものはなんとも居心地の悪いものだった。
「まだまだ人見知りみたいですみませんね。ほらシウン、お隣さんなんだからご挨拶ご挨拶!」
「よ、ろしく…お願いします……」
「こちらこそよろしくね〜ふふっ、かわいらしい娘さんね、ボーイッシュな感じも素敵だわ」
「そうでしょう〜!」
なんなんだこの茶番。
『変なやつだな』
「、は?」
リボンのポケモン、ゴチミルというらしいポケモンが、一言鳴いたかと思うと。それに重なるように聞こえたヒトの言葉。少女のような見た目からは想像も出来ないほど低い声に、思わず凝視してしまった。
『なに見てんだ』
「いや、」
「それじゃあまた」
「ええ、また」
困惑している間にエレベーターは目的の階に到着していて、マダムとゴチミルは二つある扉の片方へと消えていった。
「隣……」
「ああ、ワンフロアに二つしか部屋が無いんだよこのマンション。防音設備はしっかりしているから少しくらい騒いでも問題は無いよ」
オッサンがカードのようなものをかざすと扉がカチャリと音を立てて開く。
「さあ、ようこそ我が家へ。かんげっ、ゔっ!?」
「歓迎いたします。シウンちゃん」
笑顔を浮かべて扉を開けようとしたオッサンが、扉と壁の間に挟まれていった。そして家の中から現れたのは、黒いメイド姿に身を包んだ女性だった。
「ささ、どうぞ中へ。ご馳走を用意してありますので、手洗いうがいをしっかり済ませて美味しく頂きましょう」
「あ、」
無表情のままのメイドの女性に手を引かれ、家の中へと連れて行かれる。ガチャンと音を立て、オッサンを外に残したまま、扉は閉められた。外から扉を叩く音が聞こえるが、メイドの女性は素知らぬ顔で僕を洗面所へと案内した。
「シウンちゃん、手を洗う際は爪の先から、手首まで、しっかり洗浄なさってください」
「あ、は、い?」
「ワタシに対して敬語は結構です。ワタシはただのメイドちゃんなので」
「うん、?」
「ああ、ワタシのことはメアちゃんとお呼びください。アーデンちゃんからもそう呼ばれています」
「ちゃん…?」
手を洗わせられながら、自己紹介を受ける。独特の雰囲気を持つメア、ちゃ…メアに気圧され、洗い終わった手を優しくタオルで拭かれる。
「メアちゃん!?どうして家主を置いてけぼりにするのかな?!」
「アーデンちゃん、お帰りなさいませ。シウンちゃんより遅いご帰宅、妙でしたね」
やっと家には入れたらしいオッサンは、メアに向かって悲痛な叫び声を上げる。しかし、メアはそんなオッサンを冷たくあしらい、僕の手を拭いたタオルを洗濯機に入れ新しいタオルを取り出していた。
「うん、ただいま?いや、妙というか君がドアに挟んだからだよ!?」
「そうですか。手洗いうがいをしっかり済ませてからリビングにおいでくださいね。アーデンちゃんは好奇心旺盛でなんにでも触りますから汚いです」
「酷い!そんな赤ん坊のようなことしないよ!?」
本当になんなんだろうこの茶番は。
メアにタオルを投げつけられ泣くまねをしながら手を洗うオッサンは、胡散臭くてアホなオッサンだった。
「さ、こちらです」
メアに手を引かれ、連れてこられた広いリビングには、大きなテーブルに豪勢な料理がずらりと並び、壁には花やら風船なんかが飾り付けられていて、まさにパーティー会場といった雰囲気だった。
「なにこれ」
「シウンの歓迎パーティーだよ」
いつの間にか隣に立っていたオッサンを見上げると、胡散臭い顔で微笑まれた。反射的に嫌な顔を浮かべると、なぜか楽しそうにまた笑う。
「キモ」
「えぇっもう…メアもシウンひどいなぁ」
悪態を吐かれたというのになぜか楽しそうなオッサンから視線を外し、テーブルの方へと目を向けると、無表情のまま最後に出す予定だったらしいケーキに火を付けているメアが目に入る。慌てて止めに入るオッサンだったが、ケーキに刺さったろうそくには既に火が付けられていた。本当に訳が分からない。
「あぁぁ〜!もう!メアちゃん!うん、じゃあもう、改めて!ようこそ、シウン!俺たちは君を歓迎するよ!」
「アーデンちゃんが騒がしいですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「ほら〜!早く吹き消して〜!」
訳の分からないまま、訳の分からないオッサンがおやになり、訳の分からないメイドとオッサンと共に、無駄に騒がしい生活が始まってしまうらしい。
多分、ここからおかしくなっていたんだろう。僕は。こんな状況で、絶対信頼なんかしないであろうこの二人に、少しでも、気を許していたんだ。
「、らしくない」
ろうそくの火を吹き消して、小さくそう呟いた。
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