神室町とフリージア


高校卒業後、事務職求めて県外に出たが就職先が見つからず、仕方なくバイト生活を始めた名字名前の新しい楽しみはバッティングセンターでかっ飛ばす事だった。高校の頃は偶に喧嘩に持ち出す事も有ったバットも、今ではバッティングセンター用になっている。其れなりに練習したら、大抵の事は上手く出来てしまうタイプで、初めて来たバッティングセンターでもワンプレイで数回のホームランは打てるようになった。
けれど今日は、もっとスカッとしたい。新しく受けた面接は威圧的な態度の面接官に、馬鹿にされただけだった。ストレス解消に利用されただけの感じの悪さを与えた、あの会社は覚えておこうと決めた。受かってる訳は無いだろうが、もし受かったとしても、こっちからお断りだ。
難易度を上げると、十回程経った今のプレイでもあんまり上手くいかなくって、とりあえずお茶でも飲もうと自販機のボタンを押した。缶のお茶を飲んでいると、いつの間にかパイソンレザーのジャケットを着た凄く派手な男がバッターボックスに居た。スィングしたら百発百中、そんな男に名前は釘付けだった。
「お兄さん、すっごいですね!百発百中ホームラン!」
一回目のプレイが終わった男に名前は思わず話しかけていた。
「せやろ。ワシ、こう言うの得意やねん」
嫌な顔一つせずに返事をしてくれた男の変なアクセントも気にならない程、名前はテンションが上がっていた。
「そんなに上手いと、気持ち良さそうですねぇ!」
「そら、もちろん気持ち良えわ。嬢ちゃんは打たへんのか?」
「ああ、いや、私はあんまり上手く打てないんですよ」
「そんなん、練習すれば良えやん。ほれ、見たるわ」
こんなに上手な人から教えて貰える機会だ。遠慮するのも勿体無くて、指導してもらう事になった。

「せや、其れで良え!」

「もっとボールに集中しぃ!」

「芯に当てな、かっ飛ばへんで!」

「よっしゃ、やれば出来るやんけ」

「ええで、その調子や!」

一球一球にアドバイスをくれる。いつの間にか連続で三回もプレイしていた。この先生になってくれた人が、マシンにコインをガンガン入れているらしかった。

「もう、終いにしとこか。頑張った嬢ちゃんにジュース奢ったるわ」
「いやいや、教えて貰ったのは私です。付き合ってくれた上にマシンにお金入れて貰っといて、更に奢ってもらうのは申し訳ないですよ。それに、嬢ちゃんって歳でも有りませんよ」
五回目の指導が終わってから、ジュースを奢ってくれようとした男に名前はストップをかけた。
「気にせえへんでも良えのに。ワシこそお兄さんやあらへんわ。おっちゃんやわ」
「あはは。不毛な話になりそうですね。名前で呼べば良いんじゃないですか?私は名字名前です」
お互いの年齢についての主張のしあいに発展しそうな妥協案として、名前は名を伝えた。
「ワシは吾朗ちゃんや、真島吾朗。よろしゅうな、名前ちゃん」
「はい、よろしくお願いします。えっと、吾朗ちゃんって呼んで良いんですか?」
始めに吾朗ちゃんと自己紹介したのだから、そう呼んで欲しいのかと純粋に思った名前は聞くが、真島は出会いから自己紹介のこの時も面白いコだと楽しんでいる節があった。
「おう、好きにしぃや」
またここで遊ぶ時に会ったら、と言う程度のバッティングセンター仲間になり、度々話すようになるが、偶然にもここ以外で真島を見ることの無い名前は、真島の事を、派手めなイカす格好をした気の良い東京では初めての友人、だけど、そう言う筋の人だと一応は捉えていた。
真島は真島で、臆せず普通の人間として接して来る変わった女で、バッティングセンターでしか会わない為、神室町の人間ではなく自分の事を極道だと知らないのだろうが、何で分からないのだろうと不思議にも思っていた。墨丸出しだと言うのに友達扱いしてくる堅気の変な女。
そう言ったちょっとした思い違いは有ったが、悪影響は無く、二人は三カ月程はバッティングセンターの友人だった。

バイト先は、忙しいけれど悪くない所だ。昭和通りに近い、どちらかと言うと神室町の外側寄りの立地で、席も少なめで小さなランチメインの喫茶店。基本的に一人、二人での来店を想定している。それでも、四人までならテーブルをくっ付けて対応出来る。一番奥まった席なら四人掛けにした上でブラインドとパーテーションで目隠し位は可能だが、密談には向かないだろう。ただ、予約さえ有れば食事やコーヒーを摂りつつ、ちょっと会議したいと言う場合には貸し切りと言う形にも出来るように成ってはいるが、利用者は今までにそうは居ないらしい。
名前の仕事はキッチンでの盛り込みや下拵えだが、フロアが忙しい時やフロア担当が病欠、身内の不幸等が有って出られない時には、配膳の為に出る事も偶にある。
六月の梅雨真っ只中、フロア担当の子が一人病欠した事で、名前はキッチンとフロアを行き来していた。
「名前ちゃん、ごめんオーダーとってきて」
フロア担当の優衣がキッチンへ声を掛け、レジへ向かった。
こう言う時に客を待たせると、空腹でイライラし易くなっている為にキレる人も居る。此処では未だに見ないが、大衆的な店では見た事がある。
お絞り、お冷やを丸盆に乗せてフロアへ出ると、スーツ姿の客が一人居た。
「いらっしゃいませ」
声を掛け、お冷やとお絞りをテーブルへ置くと、見覚えの有る横顔が有った。
「あれ?吾朗ちゃん?」
「ん?おお、名前ちゃんやないの!ココがバイト先やったんか?」
怪訝そうに顔をメニューから上げるが、側に立つ名前を見つけると笑って話し掛けてくれる。
「そうなんですよ。普段はキッチンに居るんですけどね」
「今日は運が良かったんやなあ。ワシの知り合いのお気に入りや聞いて来てみたんやけど、来て良かったわ。あ、おすすめって何や?」
知り合いってどんな人だろうと思いはしたが、滅多にホールに出ない名前には見当もつかない。
「そうですねぇ、牛スジが嫌いじゃなければ、日替わりランチなんてどうですか?今日の日替わりランチは私が昨日から仕込みました、牛スジカレーです」
東京ではあまり見かけない牛スジだが、比較的安くで店長が仕入れてきたのを見て、牛スジカレー食べたいと言ってしまったら、いつの間にか偶に作る事になっていた。アメ色玉ねぎを炒めるのが一番面倒な料理だ。
「お、名前ちゃんが作ったんか。それにしよか」

「名前ちゃん、あのお客様……知り合いなの?」
オーダーをとって戻ってきた名前に優衣が興味津々で聞いて来る。
「吾朗ちゃん?そうですよ。東京に来てから仕事関係以外で初の友達ですけど……どうしました?」
振り返ると店長が真顔になっていた。
「そう呼べる程なら、優衣ちゃんじゃなくて、名前ちゃんが接客した方が良いよ。誰か分かってるみたいだし……」
「ホントに大丈夫なの?」
「まあ、今まで見た中ではトップクラスだと思いますよ」
生まれ故郷で面倒を見ていた後輩の男子の中には、止めたけど止め切れず、ヤクザ者の道を進んだ馬鹿な奴らが少なからず居る。その渡世の親の中には、当然の様にクズ野郎も居れば、まだマシな部類の奴も居た。それらと比べるのも烏滸がましいと思える。
「名前ちゃん、答えになってないわ。もう、無理しないでよ」
次の客が入り、オーダーを取りに行く心配気な優衣を見送って、日替わりランチを運んだ。

「名前ちゃん、美味かったで〜」
レジの対応も交代して、優衣と店長はおそらく監視カメラで見ているらしい。けれど、いつも通りに真島と名前は始終、和やかだった。
「えへへ、ありがとうございます!吾朗ちゃんに言って貰えると嬉しいです」
この人は、こう言う事でも嘘は言わない。だから素直に褒められたのが照れくさくて、嬉しくて、名前は頬をほんのり染めた。
「また食いたいのぉ……でも日替わりやしな。今度来る時は何か楽しみにしとくわ」
「はあい。お待ちしてます」
ここまで褒められて嬉しくない筈がない。この日、名前はいつにも増して御機嫌だった。

その日から真島は度々、来店する様になった。
そのうち、名前が休みの日に来店してしまい、その時対応した優衣に真島が「名前ちゃんが居ないんはしゃあないわ。今度、シフト聞いとこ」と言った為、名前は優衣に「名前ちゃんのお友達が、居ないって知ってガッカリしてたわよ。シフトのコピー渡しちゃいなさい」と念を押された。
そしてバッティングセンターで再会した時に、平謝りでしっかりコピーを渡し、いつもの様に二人でかっ飛ばした。

ただ、食事だけじゃなくて、会いに来てくれていたのかもしれないと思えて、名前の心の奥で小さな恋心が芽生えていた。

期待しても良いですか?なんて、まだ聞くことも出来ないけれど。

2019/02/18 up
2019/11/21 移動

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