こんなのしてる場合じゃないのに、と歯噛みしたが、そうも言ってられない。個人で抱えている仕事はコレでだいぶ遅れるだろう。今までの積み重ねが水の泡だと言う苛立ちのまま、素早く朝食を済ませて薄化粧して、ボロいアパートを出た。
「おはようございます、今お帰りですか?」
「おはようさん。ハハ、忙しくて参っちまうよ。名前ちゃんは今から仕事かい?」
隣に住む人の良い男性は不規則な仕事らしく、こう言うタイミングで会う事も珍しくない。
「本当はオフだったんですけどね、同僚のヘマの後片付けしなくちゃならないんです」
「オレも似たようなもんだぜ。お互い大変だなあ」
「ええ?三郎さんも?嫌ですよねえ、同僚の尻拭い何て……っと、そろそろ行かないと」
「おう、頑張れよ」
「はあい、行ってきます」
なんて事ない普通の会話をして、名前は仕事へ向かった。
「すみません、名字さん……来て下さって助かります」
「さすがに放って置けないわ。さて、やって欲しい事ある?」
それから、本来進んでいるべき分まで終わらせた時には、三徹目だった。隈の出来にくい体質で良かったと思うほど、その場の人間は一様に疲れた顔をしていた。幸いなことにシャワールームは簡素だが有る為、臭くなる事は無かった。着替えは当然の様に一週間分を用意していた。
夜中、ヘロヘロでアパートへ辿り着くと、仕事へ行くのだろう。黒いスーツの隣人に会った。
「あ、三郎さん、こんばんは。お仕事ですか?」
「今帰ったところだよ。クマ出来てるぜ」
「ああ、クマ出来にくい体質なんですけどね……さすがに三徹は疲れましたよ」
「おっと、そりゃあ引き止めちゃ悪いな。お疲れさん」
「三郎さんも、こんな時間まで大変ですね」
「お互いさまだろ、ちゃんと休めよ」
「はあい」
アパートのドアを開けると、ブラック系のスーツを脱いでハンガーに掛け、ルームウエアに着替え、なんとか布団を敷いて潜り込んだ。直ぐに寝入り、パッと目が覚めたのは6時間後だった。未だ眠い目をこじ開けて、シャワーを浴びた。幾分かスッキリした頭に栄養をと思って朝食をさっさと済ませ、身支度を整えた。遅れた自分の仕事を取り戻さなければならない。アパートを出れば、ふわりとタバコの匂いがした。隣人が良く漂わせている匂いの内の一つと同じだった。きっと同僚か上司あたりだろうと思っている匂いだった。帰ったばかりなのかな、と駐車場へ降りた。
「あ、珍しい車……カッコいいな」
この辺りでは見ない黒いポルシェに釘付けになりそうだったが黒いコートを着た持ち主の姿も有るし、凝視しては悪いし、何より自身は出勤しなくてはならない。後ろ髪を引かれる思いでその場を去った。
夜中にアパートへ帰ると、黒いポルシェが走って行った。運転席には朝見た男が居た。鋭く冷たい感じの男だったが、ポルシェ補正か、疲れて判断力が低下したのか、ちょっとカッコいいと名前は思っていた。
「よう、今帰りか?」
「そうなんですよ、三郎さんもですか?」
「おう」
「あ、さっき黒いポルシェが走っててカッコ良かったんですよ!見ました?」
「ん!?あ、ああ、珍しい車だからな。運転手はどんな奴だった?」
「良い車には、良い男が載るんでしょうかね?クールでなかなかカッコいい男の人でしたよー。アレはモテると思いますよ!」
「そうか。まさか惚れたか?」
「もう、やだなあ、三郎さんったら。話した事もない見ただけの人に惚れる程、惚れっぽくは無いですよ」
名前が何気ない日常会話だけで、後ろ暗い事の欠片も無いと今のところは判断されるが、念のために情報を探り出されるなどと、名前は思いもしなかった。その結果、今の生活を終える羽目になるとは当時思うはずもない。
ーーーウォッカ、次のターゲットはお前のお隣さんだ……ククク、何だお気に入りだったか?殺しじゃねえ、ネームドの後釜として、だ。
帰宅してもう寝るだけの状態だった名前のアパートの呼び鈴が鳴った。
「すまねえ、仕事なんだ」
「え?…あ…っ……」
拳銃を突きつけられ、部屋に押入られる。
「何時ものスーツに着替えろ」
「……う、うん。三郎さん、あの、」
「待て、ウォッカと呼べ。それから話す暇は無えんだ」
急かされて、名前は不安な表情のまま、身支度を整えて黒いスーツに着替えた。
「準備できました……ウォッカさん」
「付いて来い、妙な真似はすんなよ」
促されるままにアパートを出て駐車場へ行けば、いつか見た黒いコートの男が居た。
無言で後部座席に促され、名前が従えば黒いコートの男が隣に座り、運転席に三郎……ウォッカが座った。
車が走り出してから、名前の隣に座った男が煙草に火を付けた。嗅いだ事の有る匂いに、ハッと隣を見た。
「ハ、煙草が嫌だとか
紫煙が名前の顔にかかり匂いがハッキリ分かる。火を付ける前の匂い、漂う紫煙の匂い、コレは黒煙草の匂いだ。
「……いえ、ウォッカさんから時々この黒煙草の匂いを感じていたので、貴方だったのかと思って……」
「ククク、何だ?お前の女だったのか?」
一瞬の沈黙が車内を横切った。
「うぇ?兄貴?!違いやす、なあ?」
「あ、はい。そう言う関係じゃあ、有りません……」
「そう言う事にして置いてやるさ」
紫煙を揺らし長身痩躯の男は、笑って名前の顔を見ているらしい。
「ええと、何ですか?」
「お前も吸うんだろ」
確かに煙草は嫌いじゃない。名前は頷いた。
「女は軽くて細長い煙草を吸う奴が多いが、お前はどうだ?」
そう言われてポーチを探る。
「細長い煙草と言うとカプリ、キス、ピアニッシモあたりでしょうか?」
言いながら、煙草のパッケージを二つ探り当て、取り出した。
「私は大体、コレです」
一つは真っ黒い箱に赤いアルファベット、もう一つは白い紙パッケージに錨のイラストだった。
「ブラックデビルにアーク・ローヤルねえ……甘ったるい」
「コレはフレーバーのお陰で沢山吸ってるのがバレにくいから、選んでたんです」
「何でコソコソ吸うんだ?」
ウォッカに聞かれ、名前は困った様に真っ黒な煙草を一本出した。
「女が煙草って、嫌う人が職場に多くて……自分も吸ってるくせに。ねえ、私も吸って良いですか?」
「コレなら良い」
コートの男が自身の煙草を一本差し出して言った。
「ありがとうございます。ゴロワーズ ・カポラルは初めてだわ」
両切りの黒煙草を咥えて、ポーチからマッチを一箱出した。慣れた手つきで火を灯し、紫煙を吸い込み、ややあって吐き出した。
「ん、初めての味……不味くは無いけれど不思議な味ですね」
別に両切りは嫌いじゃない。そして、コレは癖が強いと評判の黒煙草……不味くは無いが、本当に不思議な味だった。其れを吸い終えると有無を言わせず二本目、三本目と渡されて、戸惑いながらも吸っていた名前は、ハッと隣を見た。分かっていると言いたげに男はニヤと笑った。
「今までの煙草と全然違います……コレはクセになる」
「女が吸うにはキツいと言われた事もあるが、どうだ」
「うふふ、この荒々しいフレーバーだって慣れたら心地いいわ」
名前がそう言えば、男は満足したのか、声高に笑い名乗った。
「オレはジン……お前は拳銃の扱いは分かるか?」
分かっているのに自ら言わせたいらしいと、気づきながら名前は口を開いた。
「以前扱った事がある程度ですよ。大した腕じゃ有りません……まあ、調べは付いてるんでしょう?」
「ああ、後は躾けてやるさ」
***
実のところ、名前は暗殺者として躾けられるとばかり思っていたが、そうでは無かった。
書類整理と言った事務仕事もしっかりと教え込まれた。当然だが、重要な書類は未だ任せられていないのだろう。重要なのかを判断も出来ない程度しか書類も見ていないのだけれど。
書類整理を教えられ、合間に戦えるかのセンスの有無を調べられたりした。まあ合格ラインには達していたらしく、ジンをメインに荒っぽい訓練を付けられた。仕事となるとウォッカも手を抜かない様で、随分と厳しかった。
ボロボロになりながら、名前は彼らの組織に馴染んでしまっていた。
逆らえば、実家の誰かが見せしめにされるだろうと予想しており、其れは正解だと後日知ることになる。
厳しい訓練にの否応無しに慣れてしまった頃、先ずはジンに肉体関係を強要され始めた。ジンの次はウォッカだった。容赦なく避妊具無しで犯される為、子宮内に取り付ける避妊具になるミレーナを欲しがれば、着けてもらえたのは良いが、二人からの性的接触が段々と増えて行った。
経験を積ませる為にと、ジンに任務に連れ出される様になった頃には二人同時に相手にする事も有った。
コードネームを得た頃には、三人纏めてルシアンと呼ばれていた。わざとこのコードネームにされたのだと分かっている。わざわざカカオだなんて。ふざけてジンにチョコレートと呼ばれる事も有るが、ちょっと違うリキュールなのだと名前もジンも分かっている。普段はメアリー姫にしてやる、とジンは誘うし、ウォッカは名前をバーバラと呼んで誘うのだ。彼らが誘うと言っても、名前に拒否権は無い。
***
二十四になる年、前々から名前だけは聞いていたネームドとの任務が多く入る年だった。
ベルモット、ライ、スコッチ、バーボン、この辺りが多かった。ジンはこの四人が少々気に入らないらしく、彼らとの任務を終えて戻ると、いつも以上に荒々しく抱かれた。名前としては不本意であるが、そんなモノは考慮される筈も無い。
名前が忠実に働くのは、いずれ逃げ出したいからだったが、誰にも悟らせずにいられたのは、ジンやウォッカからの折檻と性交の跡がいつも身体中に有り、しょっちゅう痛み止めを飲む姿が、痛々しかったからだった。
それも理解していた名前は、いつか来るかも知れないチャンスを伺うために、ジンの暴力を受け入れていた。
「あなた、もう少しうまく立ち回るべきよ。こんなに傷だらけで」
包帯を巻いた手の二の腕をベルモットに握られて眉を顰めた。
「私、あなた程に器用じゃあ、無いんですよ……ベルモット」
「ジンかウォッカを愛してるって言うのかしら?」
「ココで誰かを愛する何て聞くとは思わなかったわ」
クスクスと笑って名前はベルモットから離れようとするが、握られた腕は離れない。
「で?どうなのかしら?」
「……嫌いじゃないわ、とだけ」
「攫われてこの組織に入って、暴力と人質で言う事を聞かざるを得ないのよ、カカオは……ふふふ、哀れな娘」
ベルモットの言葉は哀れんでいる様でいて、軽薄な色が浮かんでいた。
「何故攫われたか分からない?偶然にもネームドの近所に住み、仕事中の別のネームドを目撃、そして仕事の出来るキャリア警官だったらしいわ」
元警官と言う事に思うところが有ったが、次の一言で吹き飛んだ。
「あの娘に対する人質は、日本国民全てが成り得るとジンは言ってたわ。本当に馬鹿な娘」
***
体力は有るはずなのに、ジンと致した後は何も出来ない程に身体に力が入らない。終わったと思えば、未だ足りてないと言わんばかりに中で硬さと質量を増して、何度も犯され、名前は気絶しては叩き起こされる。
まだウォッカの方が、マシな抱き方だったが、二人まとめての時はウォッカの箍が外れるらしく、一番体力を消耗する。
「あ、ジン待って!まだ仕事中……痛っ」
「急ぎはねえだろ……口開けろ」
独立したノートパソコンで事務仕事をしていた名前を、ソファに引き摺り倒して顔を寄せ囁いた。言われるがままに唇を開けば、黒煙草の味が舌に馴染んだ。
「待って、ジン、やめ、あ……」
「どうせ直ぐ良くなるクセによ」
「や、ああっ!」
キスに翻弄されている間に脚を開かれショーツの隙間から最深部へ入れられるだけで、名前の身体は覚えさせられた快楽を呼び起こしてしまう。
挿入しただけで達して膣壁をヒクつかせ、縋るようにしがみ付く名前にジンは口角を上げた。
喘ぐ声も擦れて、朦朧とする意識の中で容赦無く注がれる熱に、涙を流しながら快楽に溶かされて必死にジンを求める女が、元キャリア警官だと誰が思うだろうか。
昨夜のジンはやけに機嫌が良かったなと名前は隣に寝る裸の男を見た。閉じていたはずの目が合って、唇が重なる。
「足りねえってか?」
「もう今日は許して……身体が持ちません……」
眉尻を下げて困った様に笑う名前は、再びジンに組み伏せられていた。
「ククク、お前は……馬鹿な女だ」
***
いつも以上に疲れてぐったりして、デスクに着いていた名前の所へベルモットが何時もの調子で現れた。
「あら、いつもよりお疲れね、クレーム・ド・カカオちゃん」
「ベルモット……何か有りましたか?」
ベルモットには、あまり関わりたく無いと思っている名前は素っ気なく返す。
「ノリが悪いわね。コレ、お願い出来るかしら?」
「……んー、これくらいなら直ぐ終わりますよ」
「あら、其れは良かった。待たせてもらうわよ」
「お好きにどうぞ」
仕事を増やしてくれただけらしく、ベルモットはソファへ掛け、煙草を咥えた。
「ライター無い?」
「マッチが置いてあるでしょう?」
「あら、ジンと同じなの?」
「ここに入る前からずっとです。まさかマッチ使えない訳じゃあ、無いですよね」
「マティーニの時はマッチだったわよ」
ドライ・ジンとドライ・ベルモットをステアしたカクテル……マティーニ。当然だが、このベルモットが言うのは其れじゃあないと名前でも分かる。ジンとの性的な関係を匂わせたいと言うのが見え見えだった。
「そうですか」
「クールねえ、カカオちゃん。嫉妬くらいしないの?」
嫉妬をしても意味があるのだろうか、名前はジンの鋭く冷たい目を思い浮かべて首を振った。
「……終わりましたよ。どうぞ」
「ホント、つれないわね……ま、助かったわ。今度はルシアンでも作ってみたらいいんじゃない?」
ルシアン……ウォッカ、ドライ・ジン、カカオ・リキュールを同量シェイクしたレディキラーカクテルの一つだが、コレはジン、ウォッカ、名前の三人でのセックスの事を言っている。組織の人間ならピンと来るだろう。
「それ、すごく疲れるから遠慮したいですね」
溜め息と共に言えば、ベルモットは笑って部屋を去って行った。
「ねえ、スコッチ、カカオちゃんはルシアンも経験済みらしいわよ。アレキサンダーでも誘ってみたら?」
「アレキサンダーはブランデーだろう。一緒にするな」
「ふうん、そう言う話が随分とお好きなのねえ……これ、忘れ物よ」
ベルモットが忘れて行った細長い煙草を手渡し去ろうとする名前の腕を掴んでベルモットは引き止める。
「あら、吸って良かったのに」
「必要有りません」
女性向けの煙草に好みの物は無い。
「でもジンの煙草は吸うんでしょ?その匂いが染み付いてるわ」
「だったら何なんですか?」
確かにジンと同じゴロワーズ ・カポラルは、たまに吸うし、今日も吸った。否定はしない。
ジッと見つめ返せばベルモットが唇を開き、名前の唇に合わさった。舌さえも捻じ込まれ、渾身の平手打ちを放つ。
「……ふふふ、同じ味だわ」
「はあ、そうですか……私、戻ります」
付き合ってられないとばかりに、名前は溜め息を吐いて踵を返し、スコッチに目礼だけはして仕事部屋へ戻った。
***
いつになったら、この生活が終わるのか何て考える余裕はなかった。きっと、この組織に入っていなければ、警官として今まで通りだった。コレで良い。
だから、NOCだろうヤツを見つけてしまったら、キッチリ報告したし、ジンに言われるまま手も下した。
だから、思っても見なかった。スコッチにNOCだとバレるなんて。
ジンとウォッカに攫われた日が、ゼロへの移動の日だった。まだ名前は同僚の顔や名前、声を殆ど知らない。ただ、二つの連絡先だけは知っている。二つあるウチの一つに報告はしてあった。まだ殆ど人となりも知らない上司に、例の組織に攫われた為、そのまま潜入してみると言う事、死ぬか脱出まで連絡はしない事を。何故か殆ど事務員扱いなのは、情報収集には向いていて有り難いのだが、この組織の人材不足を感じて笑えた。しかもゼロでの直属の上司が組織の幹部に居た時は、一人心の中で大爆笑した。一番心安らいだ出来事だった。
NOCだと認めはしなかった。けれど、スコッチが自分から公安だと言い出した。馬鹿かと阿保かと思った。どこから漏れるか分からないのに名前に自らバラすなんて。それでも、本来の同僚だと分かっていて告発はし
其れがどれだけ効果があるかなんて分からないし、いつでも切り捨てられる覚悟はしている。どちらからも。
to be continued……?
2020/01/02
プロットまんま上げてる感じ。
いつの間にか下げるてるかも。
一応、コレ単体でもOKな様に、魔法の魔の字も出さなかった。