より未来からの転生

変換は無し。
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昌穂あきほは確かに死んだ。お見合い結婚とは言え、趣味の合う夫との間には男子二人に女子一人と言う子宝に恵まれて、孫も出来て……86歳、風邪を拗らせての肺炎で死んだ為、癌等よりはマシな死因だったろうと自分では思う。が、何故か幼児おさなごになっていた。寝ていた、と言うより病み上がりの時を思い出す感覚の奥から、薄らと浮かぶ今生の記憶に驚きから身震いした。

ーーー内親王に生まれ変わった何て、どんな夢かしら?畏れ多いわ。



私は三つの時代を生きた。
昭和9(西暦1934)年に生まれて、平成、令和と生きた。
世界恐慌の中で生まれ、戦時体制下で育った。一番上の兄は陸軍軍人として戦死したけれど、そのすぐ下の兄は生きて帰り、家を継いだ。私の夫はその次兄が戦地で出会った人だった。戦争が終わった時、私は11歳の子供だった。だからこの時は未だ、この人と結婚する事になるとは思っても居なかったのだけれど。

夫との共通の趣味は歴史についての本を読んだり、刀剣等の歴史的遺産を調査収集する事だった。
特に好きだったのは戦記物で、戦国時代のものから入り、仮想戦記も好んで読んだ。平成、令和の頃にはスマートフォンやパソコンを使って、インターネット上に投稿された物も積極的に読んでいた。玉石混淆ぎょくせきこんこうであるからこそ楽しい。
史実もちゃんと学んでいれば、面白さは段違いである為、昌穂は子供の頃に学んだきりの学説だけで無く、最新の学説も学び続けていた。其れによって、大きく変わった物も有れば、変わらない物も有って家には新たな本が増え続けていた。そうしていつしか、私と夫は歴史の研究家となっていたのだった。

その記憶を持って今の私は、韶子あきこと言う7歳の女児となった。ちなみに小学二年生である。本来なら2歳程で夭折ようせつした筈の滋宮しげのみや韶子内親王しか時代的に見ても当てはまる方は思い付か無い。恐らくは鉛中毒からの髄膜炎でこの世を去っていた筈の宮様、しかもしっかりと内親王宣下を受けている。

ところで最近、2つ下の妹である章子ふみこさんがコソコソしている。前はそうでは無かったのに、と2つ歳下の妹の様子をひっそりと探っていた。探るまでも無く、以前は全く御所への参内には特別な事が無い限り赴く事は無かったのに、ほんの数回だけれど参内しているのが分かった。ただの参内であれば誘ってくれても良いだろうが、其れは一度も無い。前回の参内は磐梯山ばんだいやまの噴火の前だった。その次は噴火直後。私はその時御母様おたたさまへ日赤から医師を被災地へ派遣して欲しいと言う内容の手紙を書き、義援金として自身の御手元金からの下賜を行う様に手配する事で忙しかった。
其れから二週間程経った七月下旬の事だった。章子さんとは別の馬車で私は御所へ呼ばれて参内に赴いた。どう言う事か分からないけれど、最近になって急に余所余所しくなった章子さんの心内が分かるかも知れぬと、典侍に見送られ一人馬車に乗った。



案内された室内には後世では元老と称される幕末から明治初期の偉人が勢揃いしていた。御父様おもうさま御母様おたたさまに、章子さんと御養育掛の堀川康隆やすたかも揃って居て、何の場か分からず首を傾げた。