01-福岡での生活
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当然だが、誰にも言ったことは無い。けれど、その記憶の中と現実が所々、噛み合わないものがある。
例えば、前世ではバブル経済崩壊後に生まれて、田舎の山奥で生まれ育ち、山の中が良い遊び場で、オヤツは木の実だったり、食える草だったりした。
商業高校卒業後に小さな土木事務所の事務員になって、何度か恋人が出来たり別れたり、結局近所のおばちゃんのススメでお見合い結婚して、子供が出来ずに離婚して、数年後に年下の県外の人と再婚したら3人も子供が生まれて、てんやわんやだったりもした。子供が大人になって孫が生まれたりして……平凡で幸せな人生を送っておばあちゃんな私は死んだ。そう言う記憶の中にある街の名前が違う事に気が付いたのは、1995年……私が10歳の頃だった。何故か前世の記憶の生まれより数年早く誕生していた事も不可解では有ったが、その日、あまり見ないテレビが珍しく電源オンになっていて、ギラギラとネオンの灯る街並み……所謂、ヤのつくお仕事のイメージが強い場所の一つ。その街の名が歌舞伎町じゃあ、無いらしいと知った。
前世では聞いた事も無い神室町と言う名になっていた。
家に有った地図帳を引っ張り出して全国の地名をゆっくり、じっくり確認して分かったのは、ちょっとした地名が響きは近いけど、何か違う場所が少しは有るという事実。
今住んでいる博多は同じだったから、気付くのが遅くなったのだろう。でも中洲は永洲になっていたりした。
しかし、このところ土地名よりもっと気になる事がある。
両親は物心ついた頃には居なかった。祖母はつい先日他界した。そして唯一の肉親である祖父の背中には鮮やかな和彫りが鎮座している。
何を思ったか、前世の記憶の戻っていなかった当時4歳の私は、祖父の背を見てニッコニコで「きれいやなあ、よかねぇ(綺麗だね、良いね)」と無邪気に言い放った。現在10歳の私が思うに、あの場は一瞬凍っていた。
けれど、その発言以降、祖父に甘やかされていると感じている。
と言っても、数か月に一度、祖父の部下が「お嬢、なんか欲しい物あっとですか?」と聞いてきて、答えた物が後日届いたり、祖父の部下が私を買い物に連れて行ったりと言う程度だったのだけど。
今は特に欲しいもの無い、と答えてしまうと、ちびっ子な私に10万円〜50万円の入った封筒をくれる物だから、今では欲しい書籍や服、食べ物などをはじめとした、無難にちゃんと使えるものをお願いする事にしている。
小学校に上がる前から、山笠組や傘下の構成員に連れられて服屋に行ったり靴屋に行ったり、ケーキ屋に行ったりもした。それが無くても学校で避けられるのは、変わらなかっただろう。
この小さな地域で祖父に守られて過ごすのも悪くはない。
けれど、2度目の生では少しばかり広い世界を見て見たかった。この極道世界を隅っこから見ていると、余計に他所が知りたくなった。
その結果、私は大阪の中学に進学しようと思い至った。
当然の様に反対された。けれど諦める気は無かった。説得を続けた結果、山笠組や直系の組から常時5人から10人の兄さんらが近所に住む事で許可が出た。兄さんらは数か月ごとに入れ替わり、祖父に報告しに帰る事になっている。
そんな事をしていると、関西の筋者に痛くもない腹を探られるんでは無いのかと言う懸念は有ったが、私の周りで生活する間は、堅気の振りをするらしい。まあ、そうしてくれなければ困る。
大阪の中学へ入る前に、本州のその筋の人たちの顔写真と名前と風評を教わったり、護身術として、2年間ではあるが色々教えられる事になっている。更に護身の為に大阪に居る間にも、闘い方や作法とかいうものまで教え込まれるらしい。
何故か和装の着付け、生け花くらいなら幼少期よりできる様に叩き込まれていた為に、兄さんらに和装にドスは見栄えが良いと言う理由で教えられたりもした。「後は実践で覚えてくれんですか」と言われ「そげん厄介事に巻き込まれんこつが、一番良かろうなぁ」と返せば「そん通りですわなぁ」としみじみ言われた。厄介事に首を突っ込む気はない。
1997年3月、大阪での生活が始まった。
2019/01/21 up
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