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「……こんにちは」

とある土曜日の午前、何と言ったらいいか分からずに私は迷った末に告げる。

「いらっしゃい」

対して北さんはいつも通りの様子で、見慣れない私服に身を包みながら言った。北さんに案内されるのは勿論居間のテーブルだ。私は手土産の袋を置く。今日やってきたのはおにぎり宮の使いとしてではなく、北さんの彼女としてプライベートでお邪魔しているのだった。

「何か持ってきてくれたん? 別に気使わんでええのに」
「いや、貰ってください!」

私が持ってきたのは駅前の和菓子屋で買った和菓子だ。北さんならば洋菓子より和菓子を好みそうだという予想通り、北さんは袋の中身を確認して「俺好きや、これ」と言った。今日はプライベートだから持ってきたが、今度からはおにぎり宮の用事で来ている時も何か持ってきてもいいかもしれない。なんてすぐ仕事脳になってしまっている頭を切り替え、私は目の前の北さんに向かい合った。今まで仕事の時もキスなどはしてきたが、今日はまるきり恋人としての時間だ。何があるかは分からない。事実、私は入念に準備してきている。そんな私に気付かないように北さんは楽しそうに雑談に花を咲かせた。もうお昼の時間だということは、私の腹の虫が鳴ったことで発覚した。

「昼飯、なんかあったかな」
「すみません……」

お腹を鳴らしてしまった恥ずかしさと、ちゃっかり昼ご飯をご馳走になるという申し訳なさで私は小さくなる。昼前の時間に来るならば和菓子ではなく昼飯になりそうなものを持ってくればよかった。北さんは広い台所を歩き回り、食材の状態を確認する。

「とりあえず今あるんはこれくらいやな」

そう言って北さんが開けた野菜室には、人参、玉ねぎ、じゃがいもが入っていた。そのラインナップを見て私は思わず呟く。

「これだとカレーが作れそうですね」
「作るか?」

ふと口にしただけだったのだが、北さんに振り返られ私は思わず頷いた。

「作ります! 私がカレー、作ります!」

見栄を張ったって実際の私は自炊を怠りおにぎり宮に通っている怠惰な社会人なのだけど、カレーくらいなら何とかなるだろう。手伝いたがる北さんは何としても居間で待っていてほしかったのだが、「道具の場所とかわからんやろ」と言われあえなく屈してしまった。そうして私は彼女が彼氏に料理を作るというシチュエーションにもありつけず、北さんと並んで野菜の皮を剥いている。すると何が可笑しいのか、北さんがふと笑った。

「お前今日、俺と何するんかてガチガチやったやろ」
「え!? いや、あの」
「ええねん。俺らもう大人やし、今日はビジネスちゃうし、俺もどないしよ思てた」

私の緊張はしっかり北さんに伝わっていて、緊張しているのは北さんも同じであったらしい。どうやら私達の距離感を難しくさせているのは、私達が高校時代に付き合っていたことと私達がビジネスでも付き合う仲だということがあるらしい。

「お前も色々想像してるみたいやし、高校生の頃と同じようなことしてもしゃあないし……でも、案外悪くないやろ」
「へ?」

私が北さんの方を見て尋ねると、北さんは笑って顔を合わせた。

「二人並んで自炊するなんて社会人くらいやろ。俺ら、まずはカレー作りするくらいでええんちゃう」

私は北さんの顔を見た後、手元の野菜を見た。到底世間一般のカップルのようにスムーズにお家デートをすることはできないけれど、カレーを作っている時間は上手く北さんと話せる気がする。こういうことの積み重ねで、私達は正しい距離感を掴んでいくのではないだろうか。

「……そうですね」

私はそう言ってまた皮剥きを始めた。野菜を切り、炒め、ルーと共に煮込んで、私達の共同制作のカレーの完成だ。残念ながら共同制作はこれが初めてではなくおにぎり宮の野菜おにぎりがあるけれど、それはこの際どうでもいい。私は皿によそったカレーに手を合わせると、「いただきます」と言った。高校で一度終わった私達の関係。おにぎり宮のおにぎりがもう一度結びつけた私達の仲。それを深めてゆく第一歩は、このカレーライスだ。きっと私は、これから北さんと何かある度にこのカレーライスを思い出すのだろう。手を合わせたままカレーライスを眺めていると、向かいで北さんが「見てないではよ食べ」と言った。