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 憧れだった企業に入社し、長い研修を経て遂に私は営業として働くことになった。同期がみな頭角を現していく中、私だけが未だ大した成果を上げられずにいる。この間はそこそこ大きな契約に失敗し課長に怒られたところだ。夜も更けた帰りの電車で項垂れているところを就活生の私が見たら落胆してしまうことだろう。今度こそは、と思って挑んだ商談にて、私は思いもよらぬ出来事に遭遇する。

「あ」

 部屋に入った瞬間そう零した私を先輩が厳しい目で見た。しかし相手も目を丸くしてこちらを見ているので、先輩は媚びを売るような表情で相手を見た。

「うちの新人とお知り合いですか?」
「はい。高校時代に」
「じゃあ苗字に任せようかな」

 途端に前に出され、私は困惑しながらも席に着いた。目の前にいる人――弧爪研磨は、高校時代部活を通じて知り合った者の一人だ。私は全国にも出場する強豪のバレー部のマネージャーをしていた。そのバレー部の合宿で毎度同じになるのが、弧爪君の所属する音駒高校だったのである。

 といっても彼と私は一学年離れているし、合宿で特別親しくしていたわけではない。お互いに顔と名前は知っている、所謂顔見知りというやつだ。もう四年は前の出来事だから、彼が私を覚えているというのも意外だった。そのおかげでこの場を任されるようになったのだから、嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちだ。それでも一緒にいる先輩が少しは安心してくれると思えばいい方だろうか。私は昨日用意してきたトークを思い出し、彼にパソコンの画面を向ける。

「うちに任せていただければ、弧爪様にとっても大きなメリットがあると思うのですが、いかがでしょう」

 正直、私は先輩のように安心できなかった。合宿で見た弧爪君のイメージは、クールで、情に流されないタイプだ。昔の知り合いがいるから乗った、という話にはならないだろう。そもそも一度も話したこともないのだ。私はそんな恩を売っていない。これで断られでもしたら知り合いでもできないのかとさらに先輩に詰められてしまいそうだと覚悟した時、「いいですよ」と静かな声がした。

「ほ、本当ですか!?」

 思わずそう零してしまい先輩に睨まれる。その様子を彼が可笑しそうに見ながら「はい」と頷いたので、私はようやく背筋を正した。

「では、これからよろしくお願いいたします」


 彼が去ってから、彼の残していった名刺を見る。株式会社Bouncing Ball社長、株式トレーダー、プロゲーマー、ユーチューバー。物凄い肩書きだ。彼は私の一つ下なのだから学生にしてこれをやっているということだろう。学生時代から遠くにいた彼だが、いよいよ遥か遠くに行ってしまったな、と思った。