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 無事彼との契約も結べたこともあり、当分の私の仕事は彼の会社との進行がメインになった。他に営業に行くこともあるが、上司は私に下手な営業をさせるより昔の知り合いの接待をさせる方がいいと思ったのだろう。なんだか安心するような、落胆するような気持ちだ。私は彼のレンタルオフィスに行くと、受付で名を名乗った。

「本日Bouncing Ball社の弧爪社長と面会の予約をしている苗字です」
「苗字さん、待ってたよ」

 横から突如現れた彼に思わず息が止まりそうになる。彼は昔から、座敷童のような雰囲気があった。大人になって薄れてきたかと思ったが、彼の中では健在のようだ。

「応接室はこっち」

 彼が背を向けたので、私は慌ててその背中を追う。社長自ら受付まで迎えに来るというのは初めてだった。ベンチャー企業だからだろうか、節々に社長との距離の近さを感じる。

 レンタルオフィスのサーバーから彼が淹れてきてくれたお茶を端に寄せてから、私は資料を取り出した。

「先日のご契約について、契約書をお持ちしました」
「うん。判子が必要なんだよね」

 遠回しに私の会社の古臭さを指摘されたような気持ちになって、私は縮こまる。

「はい」

 私が書類を向けると、彼は軽く目を通してから「弧爪」という印鑑を押した。きっと最近のベンチャー企業は何もかもデジタル化していて判子を押すなど久しぶりなのだろうと思った。

 書類を受け取り、幾つかの確認事項を示しあう。短い話が終わると、私の用はもうなくなっていた。

「それでは、本日はありがとうございました」
「もうちょっとゆっくりしていったら。ここ、お菓子もあるんだ」

 彼にそう言われ、私は腰を浮かしたまま停止する。これは所謂、営業サボりというやつだろうか。このまま本社に帰っても仕事をするだけなのだから、ここで一杯飲んでいけば一息つける。だが果たしてそれは成績の悪い私に許されたことなのだろうか。迷っている私に、彼が「おれ、かなりいい契約したから少しくらい平気だと思うよ」と言ったので、私は大人しく腰を下ろした。

 いざ仕事の話が終わり、二人きりになると何を話していいのかわからない。その場しのぎに彼の持ってきたお菓子を食べながら私は彼の手にしているお菓子を見た。

「弧爪社長は甘いものがお好きなんですか?」

 すると、彼は怪訝そうな顔をして言った。

「元々知り合いなんだし、先輩でしょ。そんなかしこまらなくていいんだけど」

 私はふと考える。今まで彼と話したことがなかったから、正しい距離の取り方というものがわからない。私は迷った末に、彼の高校の主将を思い出して言った。

「……研磨?」
「一気に距離詰めすぎじゃない?」

 どうやら私は失敗したみたいだ。しかし彼が大人しくお菓子を食べているので、私もお茶を楽しむことにした。