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初めて「名前」の言葉を聞いたのはツムが部屋で電話している時だった。中でツムが話しているとも知らずに部屋のドアを開けた俺は、スマートフォンを耳に当てたツムに追い払うような手の動きをされた。

「ああ、すまへんな、ちょっと虫がおって。で、何の話やっけ。名前」

俺は虫かいと心の中で突っ込みながら俺は部屋のドアを閉めた。ツムは言わずもがなバレー馬鹿だし、友達とラインをしている暇があるならボールに触れていたいというタイプだ。だから友達と電話をするというのはとても珍しいように感じた。名前からして女なのだろうが、今ツムに女がいるという情報はない――勘違いしないでほしいが、俺達二人は互いの恋愛事情を共有したり密かに探っているわけではない。ツムがあまりにも学年で有名すぎて、彼女ができたら自然と俺の耳にも入るのだ。だから、今彼女はいないはずのツムにとって、名前さんはただの友達であるはずだ。余程気に入っているのだろうか。ツムの恋愛事情を気にしているわけではないが、その「名前」という名前は俺の耳に強く残った。

その名前を聞く機会は多かった。部活の休憩時間のくだらない話の中で、ツムに貸したままの教科書を取り立てに行った教室の中でツムはよく名前の名前を口にした。まるで男友達のように気安く呼んでいることから、ツムは名前さんと本当に仲がいいのだろうと思った。道理で家で電話もするわけだ。あれから、ツムが電話をしているからと部屋を追い出されることは何度かあった。ツムは角名や銀のような友達でも頻繋に電話したりはしない。美人だとか面白いだとかで名前さんの噂を聞いたことはないが、ツムは名前さんを狙っているのだろうか。別にツムが誰と付き合おうがどうでもいいが、毎日部屋から出るのは面倒だ。そう思っていた時、ツムに彼女ができたという噂を聞いた。相手は美人だと評判の、ツムの隣のクラスの女の子だった。

何や、名前さんやなかったんか。噂を聞いた俺の感想はその程度だった。もしかしたらツムは名前さんとその女の子を同時進行していて、名前さんを切り捨てただけなのかもしれない。名前さん、可哀そうに。そうは思いつつも、これで部屋に堂々と居座れるのだと思うと安心した。

ところがツムは相変わらず電話を続けているのである。ツムに自分の居場所を左右されることに腹が立った俺は、ツムの声をBGMにしながらベッドに寝転がった。最初は彼女だろうと思っていたが、話を聞いてみればなんと名前さんなのである。俺は驚くと同時に、ツムの話に聞き入っている自分に気付いた。それからツムと名前さんは来る日も来る日も電話をし続け、まるで旧来の友達かのように笑い合っている。名前さんは気になる異性という枠ではなく男友達のような存在なのだろうか。しかし、それはすぐに否定されることになる。

「名前、どうなった?」

教室を移動している際、俺は名前さんの名前を耳にして密かに聞き耳を立てた。話を聞く限り、俺の後ろを歩いている女の子がツムと電話している名前さんであることは間違いなさそうだ。彼女は一体何を思ってツムと仲良くしているのか。俺は何気なく歩いている風を装いながら、名前さんの次の言葉を待った。

「最近は電話で話すだけやけど……色々話せて嬉しい」

思わず俺は頭を抱えたくなった。可哀想に、名前さんはツムに本気で恋をしているのだ。ツムが自分に向けられた恋心に気付かないとは思えない。名前さんは、ツムに利用されているのだ。思い返してみれば、ツムが名前さんに電話しているのは彼女がいない切れ間の時や、彼女と上手く行っていない時だ。電話の最中で会う約束をしている時もあった。「最近は電話で話すだけ」という言い方からしても、ツムが名前さんの好意を利用して手を出していることは明らかだった。恐らく、性欲を満たす目的で。名前さんの連れが化学室に入ってしまった後、次いで化学室に入ろうとする名前さんを俺は呼び止めた。

「なあ、自分それで満足なん?」

名前さんは目を見開いて俺を見ていた。その顔は、確かに噂になるほど美しいわけでもなく、しかしツムが側にいることを許す程度には整っていた。声をかけてから、自分は何をやっているのだろうと我に返る。別に名前さんも好きでやっているのだから、名前さんがツムにどうされようが関係ないではないか。俺は名前さんを数秒間見下ろすと、無言のまま立ち去った。