▼ 1 ▼

 普段から電車で座る方ではない。けれど、今日は空席を見つけた珍しさから腰を下ろしてしまった。部活で疲れていたというのもあっただろう。だが俺は所詮体力のありあまっている男に過ぎないのだ。目の前で顔色の悪い女がいたら席を譲るくらいの道徳心は持ち合わせている。女が、たとえ腹の膨らんだ妊婦ではなく制服を着ていようとも。

「……どうぞ」

 いいことをするというのはなんとなく性に合わない。きまり悪く席を立とうとした俺に、女は止める。

「いいえ、別に平気です」
「そんな陰気臭い顔で目の前に立たれても困る」

 俺は無理に立って女へ席を譲った。女は顔色が悪いくせに、何故か困ったような顔をしていた。まるで自分は立っていたいのだ、と言うように。他の女はいつも席を争奪しているから、少し意外だ。彼女も俺と同じように年齢から引け目を感じているのだろうか。

「アンタいつもこの電車乗ってるだろ」

 ようやく座った彼女の肩が、びくりと揺れる。それほど気の小さい奴なのだろうか。俺が怯えさせてしまっているような気がして、なんとなく居心地の悪さを感じる。

「目立ってる」
「私は全然、自分が目立つ方だなんて言われたことないけど……」

 確かに、女は人目を引くような容姿をしていない。至って普通の女子高生、といった様子だ。なのにこうも視線が吸い取られるのはどうしてなのだろう。まるで昔から知っていたような。

 俺達はこれ以上喋らないまま、不思議な沈黙を共有した。


「私に毎回席を譲ろうなんて思わなくていいからね?」

 女が口を開いたのはその数日後のことだ。俺が立っている目の前の席が空いたから、彼女に譲った。やはり彼女は目立っていた。

「そもそも俺は毎度座らねぇ。偶然だ」
「流石だなぁ」

 まるで俺のことを知っているような口調に少し引っかかる。でも、俺はそれなりに有名になってしまったはずだ。学校で構ってくる女子を思い出す。

「アンタだって毎日帰り遅いだろ。何やってんだ」
「私も部活だよ。でも、全然大した活躍はしてないけど」

 それはやはり俺のことを知ったような口調だった。俺がサッカーで全国規模の活躍をしているのは知っている、そう言っているみたいだ。相手のことを先に知っていたのは女の方だったのではないか。彼女は、俺をどこまで知っているのだろう。