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 そんな折、俺に青い監獄からの手紙が来た。頭に過ぎるのは、冴のこと、それから名前のこと。名前には随分寂しい思いをさせることになる。でも俺は、自分の力を試したい。

 名前と会う約束をとりつけて、話をしようと思った。俺は名前を部屋に招き、簡単に飲み物を出す。名前は緊張しているようだった。まるで今からされる話をわかっているかのように。

「しばらく会えなくなる」

 俺がそう切り出した時、「ブルーロックのこと?」と名前は言った。反射的に答えてしまったというふうで、名前は言ってからやってしまったとでも言うような顔をしていた。俺の眉間に皺が増える。

「何で知ってる?」

 まだ俺は、何も話していない。このプロジェクトは大っぴらに進めているものでもないはずだ。名前が知っているなどありえない。そう、俺の深いことも、冴のことも。

 名前に前から抱いていた違和感の正体を突き止める時が来たと思った。名前はどうして、俺を昔から知っている風なのか。

「どうしてだ。答えろ」

 名前はカップを持ったまま、視線を彷徨わせた。それから観念したように、下を向いて話し出した。

「この世界は、並行世界なの」

 俺は一瞬呆気にとられる。それではまるでSF映画だ。

「寝ぼけてんのか」

 俺が相手にしようとしていないことも気にせず、名前はとうとうと話す。まるでずっと前から言おうとしていたことのように。

「現実の糸師冴は飛行機事故で死んだ。この世界はそれに耐えられなくなった凛くんが作り出したパラレルワールドなの」

 俺は名前が何かの冗談を言っているのかと思った。けれど名前は至って真面目だった。泣き出しそうな顔をしていた。それから、震える声で付け加えた。

「現実の世界でも、私達は電車で知り合った。凛くんは多分、私のことを好きだったんだと思う。ある日、私が凛くんにもたれたまま眠って、山の方まで乗り過ごして、そのせいで凛くんは冴くんの最後に駆けつけることができなかった」

 俺がこの間見た夢に不思議なほどそっくりだった。夢ではないと、今確信した。冴が死んだ。その事実を、憎しみを、俺は奥歯で噛み締める。

「ふざけんな。俺の苦しみは何なんだよ。冴のせいでサッカー人生を滅茶苦茶にされたのも、全部嘘だったのかよ」

 名前は黙っていた。その目からは涙が溢れていた。俺は名前に当たるのが間違っているとわかっていて、当たらずにはいられなかった。

「お前となんか付き合わなければよかったんだ!」

 気付いたら俺も涙が出ていた。怒りの涙か、興奮の涙か、悲しむ涙か。名前は「ごめんね、凛くん」と静かに告げた。名前が悪いわけではないのに何故名前は謝るのだろう。ああ、俺が怒ったからだ。

「凛くんが満足したら、多分この世界は終わるから」
「ふざけんな……っ」

 名前が俺を引き寄せる。俺は息を呑んだ。俺達の初めての触れ合いだった。俺達は外で会うばかりで、まるで恋人らしいことをしてこなかった。恋人を家に招く意味を、俺は今になって理解した。そして名前が言った、「凛が満足したら」の意味も。

「一緒に、元の世界に戻ろう」

 名前は俺を見上げた。その瞳を見たら、俺は色々なものを噛み殺して押し倒すしかなかった。冴の死に耐えきれずに作った世界。でも、名前と一つになれば終えられる。何故なら、名前はもうそれくらい俺にとって大きな存在だから。他人に戻ってしまうとわかっていて、俺達は最後にセックスをする。こんなに好きなのに。初めてのセックスで涙を浮かべながらするなんて、想定外だった。

「………っ」

 好きだ、と言えずに、名前の中で押しつぶされる。俺の気持ちも、押しつぶされる。俺は行為を終えた後、泥のように眠った。


 ブルーロックからの手紙が来た。冴亡き今、俺のサッカーへのモチベーションは低くなりつつある。でも、折角だから行ってみようかという気になれていた。数ヶ月にもわたって閉じ込められることになる。ならば、言っておきたい人がいる。

「あの」

 俺が声をかけると、彼女はやや混んだ電車の中で振り向いた。驚いた、という表情で。

「俺は少しの間いなくなる。でも、待っててくれませんか」

 冷静に考えたら、告白しているようなものだ。でも、それはブルーロックを出てからと決めている。彼女は気持ち悪がるだろうか。彼女は、目に涙を溜めて頷いた。

「うん、待ってるから」

 何故、電車の中で顔を合わせる程度の知り合いでしかない俺に涙を流すのだろう。嫌がられているのか、とも思ったが、彼女の顔は嬉しそうだった。なんとなく、彼女の泣き顔を見たことがある気がする。あれはいつだったか。思い出せない。

「頑張ってね」

 彼女に背を押されたら、俺はふと軽くなった気がした。冴のことを忘れてサッカーをしていいのだ。そう思わせてくれる誰かを、ずっと探していた気がする。俺は頷いて、「行ってくる」と言った。

「行ってらっしゃい」

 新しい季節の始まりを予感させるような、涼やかな声だった。