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「明日、会えないかな」

仕事も終わった金曜日の夜、私は一人スマートフォンと睨めっこをしていた。周囲の人々は華金だと浮かれる中、私だけが月曜日の朝のようだった。今の私を見て、まさか交際中の恋人とメッセージを交わしていると思う人はいないだろう。いや、赤井さんから返信はまだないから、正確にはメッセージを一方的に送っているだけなのだが。私は諦めてスマートフォンを閉じた。赤井さんの返信が一日や二日遅れることは珍しくない。初めは仕事が多忙なのだろうと思っていたが、それが私から誘いをかけた毎度となれば嫌でも現実を突きつけられる。赤井さんは、私といるのが面倒なのだ。このメッセージの返信も明日の昼頃になって「すまない、仕事が立て込んでいた」と来るに違いない。そうしたら私はまた何でもないふりをして、大丈夫だよ、お仕事お疲れ様、と一人きりの自室で打ち込むのだ。スマートフォンを放り投げて、ベッドに沈み込む。その悲しい感触を私は嫌と言う程知っていた。傷付きたくなければ、今回も期待はあまりしないことだ。明日も一応予定が入っているというのに、私は強めの酒を買って帰った。どうせ今日中に連絡が来ることはないのだから、赤井さんの前で醜態を披露するということはないだろう。私は重い足取りで自宅のドアを開けた。

「ただいまー……」
「おかえり」

今、聞こえるはずのない声が聞こえたような気がする。半ば恐ろしい気持ちで顔を上げると、その人物は自分の存在を証明するかのように繰り返したのだった。

「おかえり」

考えることは沢山ある。何故赤井さんが私の家にいるのだとか、いや赤井さんなら私の家のマンションのロックくらい開けて入ってしまうかもしれないがそれにしても何故こんなに上機嫌そうなのだとか、挙げたらきりがない。しかし仕事と赤井さんのせいで疲れ切った私は、「ただいま」と単純に口を動かしたのだった。


どこから入ったのかもわからない赤井さんは、冷えるからと私を室内に招くとリビングまで案内した。確か赤井さんは私の家の中まで入ったことはなかったはずだが、すぐに勝手を知っているのは流石というところである。居間のクッションに座ると、私はようやく現実味を取り戻した。

「で、何でいるの? 赤井さん」
「その赤井さんというのをやめてくれないか」

赤井さんはまるで私が愛おしくてたまらないというような目で私を見下ろした。確かに赤井さんにそうしてもらえるのは嬉しいが、不信感の方が際立つ。一体赤井さんに何があって、急に私に構うようになったのだろう。その疑問を汲み取ったかのように赤井さんは答えた。

「俺はどうやら、過去に来てしまったらしい」

ぼうっと口を開けて、私は赤井さんを眺める。赤井さんはこれ程の真顔で、つまらない冗談を言うような人ではない。仮にこれが嘘だとしても、赤井さんが私にそんな嘘をつく理由がないのだ。あれこれと考えてみても、結局いつも私は、赤井さんの言う事を信じ、赤井さんの言う通りにしている。それが一番合理的だと身を持って知っているからだ。にわかには受け入れ難い話ではあっても、赤井さんの前ではそこらの世間話と大差ないのだった。

「それで、どうして私の家に……」

そこまで発すると、私が赤井さんを信じたことを悟ったらしい赤井さんが「いい子だ」と私の頭を撫でた。久しぶりの温かさに目を細めながら、私は赤井さんの言葉を待つ。

「もし過去に来て過去の俺や俺を追っている奴らと接触しては何かしらの危険があるだろう。それで、ここに来た」

要するに私は赤井さんの避難区域、安全地帯だったわけである。少しの擽ったさを感じながら私は赤井さんを見る。すると、言いたいことは分かっているとも言いたげに赤井さんは頷いてみせた。

「未来に戻れるまでの期間、ここに居候させてくれないか」

目の前には私の愛してやまないエバーグリーンがあり、それは柔らかな感情を持って私を見ている。現時点の赤井さんのように面倒臭そうな目ではなく、だ。私の枯れた心は、未来から来た赤井さんというオアシスに簡単に絆されてしまった。

「うん。赤井さん、ここに居て」

私の方から頼み込むように言うと、赤井さんは満足気に笑ったのだった。