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「どうした」

部屋を開けるなり赤井さんはそう言った。その言葉にはいつもの鋭さもありながら、私が急に押し掛けたことによる不審感も含まれていた。急に押しかけても赤井さんは迷惑がるだろうと思っていたから、まるで親しい友人のように赤井さんが私を部屋へと入れてくれたことが意外だった。赤井さんの部屋に来るのもいつ以来だかわからない。だが、今はそんな悠長なことを言っている暇はなかった。私が口を開こうとしたその時、赤井さんは眉を顰めて言った。

「お前は何者だ」

飲み込んだ唾が音を立てて喉を通るのが分かる。未来から来たなどという素っ頓狂な話でも、赤井さんほどの人ならば理解してくれるのではないかと思っていた。しかし現実は、私が何か言うより先に赤井さんに違和感を掴まれてしまったのである。なるほどこの人を前に二股などすぐにバレるわけだと私は心の中で合点が行った。

「私。赤井さんの恋人の苗字名前。信じられないかもしれないけど、未来から来たの」

赤井さんは突き刺すような瞳で私を見る。じっくりと検分した後、赤井さんは視線を私に留めたまま口を開いた。

「証明するものは」
「ない。でも、これだけは知ってる。赤井さんは×月十三日の金曜日に、死ぬ」

それは私にとって賭けだった。未来から来た秀一さんは、未来が変わってしまうかもしれないから未来のことは話せないと言っていた。だが私が未来から来たことを証明する手立てはこれしかない。未来が変わってしまうとしても、それが世間的に見て悪いことでも私からしたらそうではないのだ。赤井さんの死を、防げるかもしれないのだから。
赤井さんを見ると、赤井さんは相変わらず読めない瞳でこちらを見ていた。

「君の言っていることを信用しよう」
「っていうことは赤井さん、死んじゃうの……?」

何度も嫌な彼氏だと思ったのに、それでも赤井さんの死を前にすると涙が出てしまうのは、秀一さんと関わったせいだろうか。それとも、放置されてばかりの付き合いの中でも赤井さんを好きだと思っていたからだろうか。心の中に昨日味わった苦みが広がる。あれは秀一さんが過去に戻って私を可愛がった理由が判明したからだけではなかった。赤井さんが死ぬことに、私はどうしようもない苦しみを感じていたのだ。

「俺の仕事だ。殉職することもあるだろう」
「でも、私は赤井さんに生きていてほしい」

赤井さんは困ったように笑った。赤井さんのそんな顔を見るのは久々だった。その時、私は一つの事を思い出した。

「あのね、赤井さん。少し前から、今の私、私からしたら過去の私の元に同じように未来の赤井さんがタイムスリップしてきたの。だから浮気なんかじゃないの」
「今言うことがそれか……」

赤井さんは笑いつつ、私の頭の上に手を置いて動かした。赤井さんに撫でられて、私の心は少し冷静さを取り戻した。

「だがまさか俺が死ぬ前にお前に会いに行くとはな……」

赤井さんは目を細めてそう零した。途端に私の中に一つの疑問が芽生える。今までの私だったら決して聞けなかっただろうそれを、私は赤井さんへ畳みかける。

「赤井さん、それくらい私のこと好きだと思ってくれたってことでいいの? 私は、赤井さんに愛されてるの?」
「それは未来の俺から聞いただろう」

赤井さんは相変わらず狡い。私が聞きたいのはそんな言葉ではないと知っていて、わざとはぐらかしている。

「赤井さんの口から聞きたい」

私がそう言って赤井さんを見上げると、赤井さんは観念したように目を閉じて口を開いた。その表情は、私を見下ろす時の秀一さんによく似ていた。

「愛している。たとえ死ぬことがあっても、お前を一番に想っている」

止まったはずの涙がもう一滴私の頬を伝った。それを指で掬う赤井さんに、私は弱々しい声で語りかける。

「死ぬ未来はもう変えられないの? 私はあと一週間で赤井さんが死ぬ未来に戻っちゃうの?」
「俺がいなくなっても、お前はもう大丈夫だ」

今までだって俺が殆ど構わなくても平気だっただろう。そう語る赤井さんは、まるでずっと前からこの未来が見えていて、そのために慣らしてきたとでも言うような口振りだった。今となっては、これまでの赤井さんの態度などどうでもいい。どうでもいいから、ただ赤井さんに隣にいてほしいだけなのに、その願いすら叶えられそうにないのだ。涙を流す私に、赤井さんは残虐な仕打ちをした。

「これは俺の勝手な我儘だが、俺が死んでも俺のことを愛してくれ」

その言葉に私は泣きながら頷いた。赤井さんに振り回されることなど慣れっこだった。赤井さんを愛することなど、とうの昔からやっていた。赤井さんは一度私のことを抱きしめると、私を部屋の外へ出した。これが一生の別れになるというのに随分簡単な挨拶だ。最後まで私は赤井さんに文句の一つも言えないまま扉を閉じた。

その日、赤井さんから握らされたメモには、一週間後まで私が身を隠すためのアパートが書いてあった。そこへ行くと既に生活に必要な物は揃っており、私は赤井さん以外何の不足もないまま一週間を過ごした。部屋から出られない一週間は、泣いて過ごすのに丁度よかった。きっかり七日が過ぎた日の朝、私が外へ出てみると、道を歩いていた人が私に近寄って言った。

「向かいのアパートに越してきた、沖矢といいます。よろしくお願いします」

新しい物語は、既に始まっていた。