「お母さん…」
ぽつりとつぶやいた言葉は誰の耳に届くことなく彼方へと消えていく。その真意だとか思いだとか込められたものは一切悟られることはない。もう形どることもなくなって灰と化した親の塊を私は掬う。握る。振り払う。奇麗とは言えない雪が舞った。
元々体の弱い人だった。父親にも先立たれて生まれたばかりの私を女手一つで育てていった十数年後、ついに体に限界を迎えてしまった。気丈にふるまいつつ後ろを向いては咳をする姿を、私は隠れてじっと見ていた。
来たぞ。忌み子だ。呪われた子だ。村の人は私を指さしてそういった。どうしてそう呼ばれるようになったのかは分からない。知る権利はないと思った。私の存在が家族を狂わせた。他の者からすれば私は死神だろう。人の幸福を不幸に変える、死神。
「名前は神様なんかじゃないよー」
その場に見合わない朗らかな声が一体を制す。冷たい体に触れた温もり。天から降ってくる言葉が私の思いを否定する。
「…何、急に」
「名前みたいな人は神様なんかになれないよ?神様も言ってるよ」
「…何なのさ。アンジーの神様なんて嘘っぱちだよ。私は私が疫病神だって知ってるんだから」
耳をふさぐ。彼女の言葉は今は一番聞きたくなかった。他の人が口をそろえて言う呪いをいとも簡単に彼女は一蹴してのけた。それがたまらなく憎い。嫌い、嫌いだ。私は災厄という存在を違うと言ってのける奴なんて。だから私は彼女が嫌だと思うであろう言葉を投げつけた。そうすれば彼女も変わるだろうと思ったから。
彼女を、夜長アンジーを怖いと思うようになったのはいつの話だろう。気づけば彼女は私の家の真向かいに住むようになった。幼馴染と呼べるほど顔を合わせていたわけではない。だけど友達のいなかった私のもとに彼女はよく遊びに来た。「儀式を教えてあげる」と意気込んで。
「人間はいつか同じところに還るんだよ。そこで足を止めちゃうのも、またここに還っていくのも名前のお母さん次第なんだー」
一匹のカエルが死んでいた。道端に轢かれてつぶれていたのをアンジーが持ってきたらしい。思わず口を押さえた私に笑って彼女は手を組んだ。そして、祈る。
どれほど長い時がたったのかは覚えていないが、すぐに変化が現れる。カエルの周りに段々、だんだんと草が生え始めた。あっと息をのむ間もなく草に飲み込まれていったカエルは一つの草達磨になってその後土に溶けていった。
これが還るということなのか、と私は知った。その時ばかりはアンジーのことを素直に尊敬した。…だけどそれは薄気味悪さに変わる。2人で街中に遊びに行ったことがある。そのとき迂闊にも夜に道に迷ってしまったことがあった。
「名前も同じなんだよ?その理から逃れられない限り名前は神様にはなれないんだー」
気持ち悪い男どもに襲われたときは殺されると思った。アンジーは助けないと、でも自分の身はどうすればよい?葛藤で私はパニックに陥っていたから、記憶は曖昧な部分もある。やがて私は気を失った。…次に目が覚めた時はまわりにあの男どもはいなくて。いつものようににこやかに笑うアンジーと、人の大きさに丸くなった草達磨が複数並べられていたのだ。
「…じゃあ、私は一体何なのさ」
「だからさー、名前は立派な人間だよ。だから厄とか災いとか関係ないの。…アンジーと違って」
そんなことがあったから私は彼女を避けることになり、彼女もそれを受け入れた。それは単なるおぞましさからではない。彼女は悪い人間を裁いているように見えて、対する私は人に害をなす生き物で。いつか私も否応なしに還ってしまうんじゃないかと思うと怖かった。そう思えるから今彼女は冗談を言っているんじゃないこともよくわかっている。
きっとアンジーは神様に魅入られたナニカなのだろう。人ならざる力を備えてしまったのだろう。私と同じで、いや私以上に彼女は周りから疎外されていた。理解されない存在を彼らは拒絶する。
「アンジー。あんたもいつか還れるの?」
「…それを知るのは神様だけだよー?」
その答えはきっと、ノーだ。彼女は繰り返すことができないのだろう。ここで死ぬと魂は誰に記憶されることもなく消えるか、はたまた死ぬことがないのか。まるでお伽噺のような話を耳をふさぐことも忘れて私は聞いていた。灰はいつの間にか銀世界に飲まれて消えていた。
それでも。アンジーにまでそんな顔をさせてしまう私は、やっぱり疫病神なんじゃないのかな。彼女に不幸を与えたこと、そしていつか置いて行ってしまうことを厄と呼べずになんと呼ぶ?