どうか笑って


『…どこか行きたいところ?』

「そうじゃ。お主もずっと同じ光景に飽き飽きしているであろう」

 えっへんと意気揚々に提案した夢野に画面上の少女は大きく首を傾けて考え込む。春川と最原が何事かと振り返ると彼女は無表情にマジシャンを見つめて放った。

『いや、特にどこも』

「どこでも良いという選択肢は存在せん!とりあえず言うのじゃ!」

『ええ…』

 むむ、と機嫌を損ねて小さな画面に詰め寄る夢野ははたから見るとおかしな人物だった。画面の中にいる名前はそんなこと思う暇もなく動揺したように声を裏返させている。『そんなこと言われても』『本当にないんだって』眉根を下げ口を小さくすぼめるのは彼女が本気で困っている証拠だ。夢野が何を気に食わないでいるのか図りかねているのだろう。
色々と一段落して、収まるところに収まった、今はそんな状態だった。見事犠牲者を出しつつ学園から抜け出した最原達がやっとのおもいで辿り着いた現実の世界は、やはり常識という常識が彼らとは違うものだった。目まぐるしく移り変わるテレビ画面、残酷な映像に狂喜喚起する若者たち。中でもダンガンロンパという名前は一躍世間に知れ渡っていた。
そこで超高校級の裏切り者、人気番組を終わらせた奴らだと揶揄されることになった彼らの苦労は想像を絶する。しかし後々に判明してみれば過激派は少数派だったようで、ほとんどの人は彼らの顔を見ても素通りするか見慣れない格好に不思議に思うだけだった。若者には大人気と謳うテレビ番組は、世間一般的にはどうやら好まれていなかったらしい。
しかし問題はそこからだった。番組はもうない。出演者として脚光を浴びるわけにもいかない。そんな中彼らは働いて収入を得なければならなかった。その世界は金のない者に慈悲を与えない。正当な方法で生きていく道を探さなくてはいけない。そんな中安いアパート、割の良いバイトを見つけて最原、春川、夢野の三人で生活できるところまでいったのは不幸中の幸いと言えた。

『私じゃなくて皆が考えるべきだよ。こうやって安定するまで私は何もしていないし』

 しかし必死に体を使ったのは三人だけ。画面の中で生きる彼女は一切の手助けもすることが出来なかった。
毎日疲れて帰ってくる彼らを慰めるくらいしかできずどれだけ自身の境遇を呪ったことか。私が言う権利はない、と思う。私はのうのうと画面の中ですごしていた。そもそも私はAIなのだから休息も必要ないのだと。だからこそ無理やりにでも意見を出させようとする夢野のことが彼女には理解できなかった。

「…遠慮なんかしてないで言ってやったら。こういうときの夢野は何を言っても効かないって知ってるでしょ」

『そんな…春川さんまで』

「考えてみれば、名前さんあれからずっと外に出ていないよね?だから偶には気晴らしに出かけるべきだと思うよ」

『…最原君も』

 いつもは止めてくれる保護者な二人はどこへ行ってしまったのか。いよいよ頭を抱える事態になってしまう。
お金をかけるところには、連れて行ってほしくない。だからゲームセンターとかレストランは無しだ。遠出もいけない。
三人はいつでも忙しいのだ。なるべく近郊で、しかも低コストで行けるところとは。悩みに悩んでやっとのことでっ結論が出る。

『…近くの公園』

「…家を出てすぐそこなんだけど。無理して言ってない?」

『言ってないよ。前は通りかかっただけだから、次はちゃんと行ってみたいんだ』

「んぁー、そこならば安心じゃの。最原と二人で行ってこい」

「えっ、どうして二人で?」

 嘘でしょ、と虚を突かれたように目を丸くする名前と最原。名前は猶更困ったように首を振る。最原が嫌というわけでは断じてない。むしろ彼には感謝しているし、彼無しには今の自分はいないという事もわかっている。それでも二人きりで、という言葉に彼女の心は大きく不安の波を寄せた。余計彼に迷惑をかけてしまうことになるのではないか。そんな考えが頭をよぎって離れない。しかし肝心の最原は一、二度瞬きをしたあと笑みを浮かべて頷く。…ああ、そうなってしまってはもう否定も出来ない。結局私は彼と二人きりで行くことになった。


『寒くない?』

「いや、温かくしているから大丈夫。名前さんは」

『…それは冗談かな?』

「あはは、そうかもね」


 朗らかに笑う最原の口からあがる白い息。絶対寒いだろうに、と名前は赤い耳と鼻を見つめて縮こまる。小さな公園は真冬の寒さから子供もおらず閑散としていた。ブランコが小さく軋み、砂場ではつむじ風が小さな粒を巻き上げる。本当はここは行きたい場所ではなかった。春川の言うように遠慮した。しかし案外実際来て見てみると良いものだと感じる。葉を落とした木々が彼女たちを静かに取り囲んでいた。それを見上げる最原が、ふ、とわずかに口角を上げて彼女を見る。

「何か、したいことはない?」

『…最原君は、何かしたいことはないの?』

「……うーん」

 
 少しだけ不満げな目が画面を除くのを見逃さない。名前は必死に思考を巡らせて自分の言動の不備を思い返したが、思い当たることは見つからなかった。正直、今の自分にはこれ以上望むものはない。壊されずに生きてる。縛られずに動いている。別れたはずなのに、彼の隣にいる。それ以上何を欲しがれというのだろう。しかしまた、違う感情に動かされそうになる自分がいることも名前は気づいていた。何か胸にこみあげる、もやもやとした気持ち。それは呼吸を苦しくしたり気分を悪くさせたり彼女を都合の良いように弄んだ。そして、その現象はいつも最原の近くでおこるものだった。それが何なのか名前にはわからなかった。おそらく、プログラム中では想定されていなかった事象なのだろう。だがそんな想定外の物のせいで名前は最原を巻き込むことを恐れた。だから、無意識のうちに距離を置いていた。それは彼も気づいている。考え込んでいた最原は、とりあえず座ろうとベンチに腰掛けた。きちんと彼女に外の景色を見せるのも忘れない。完走した冬の空は嫌に晴れ渡って雲一つ見られなかった。


「…懐かしいね。こうやってあの時も話したことがあったっけ」

『…そう、だね。あの時はたくさん猫がいて、缶詰を持っていくのが大変だった』


 ベンチに、青い空。思い出されるのは彼と共に過ごした日々。そして彼と初めて出会った日。何も分からず捨てられたような最原を、名前ははぐれ君と呼んでその下に置いた。いつか自身に降りかかる終焉も覚悟して。そしてそこに群がる猫たちとともに滅ぶことを予感して。現実は、黒猫一匹と自分だけが生き残る形になってしまったのだが。足元で黒猫がスヤスヤと寝息を立てる。
実際には、わかっていた。はぐれていたのは彼ではなく自分であったのだと。はぐれ君と呼んだのは名前が最原に自身を投影していたからに他ならなかった。理不尽な状況に追い込まれ、途方に暮れる彼の姿。それは自分のようだった。そう思いたかった。しかし今の彼にはぐれていた気配などない。対する私は、外の世界でも迷子になっている、気がする。


「どうしても、話してくれないんだね」

 
 失望したような声にはっとする。最原はじっと名前を見ていた。その表情は怒りからくるものではない。その瞳を見てまた、胸が苦しくなる。深い悲しみに満ちた瞳だった。

「何か、名前さんにしちゃったかな。いくら考えても思い当たらなくて」

『…最原君』

「…遠慮、してほしくなかったんだ。外の世界で、笑っていてほしかった」


 そうやってまた自分の気持ちに蓋をしていたことに気づいたのは、最原の悲しむ顔をみた瞬間だった。あ、と思ったときにはもう遅い。彼は既に目を逸らして私を掴んで歩き出した。





 冬の昼は本当に短い。一時間と立たないうちに日は地平線に沈みかけていた。沈んでいく光と気分。いつまでたっても最原は浮かない顔のままだった。いつまで歩くのか、と名前はキョロキョロと周りを見る。外を出たことがない自分にとってまわりは全くの別世界だった。無言でカツカツと足を運ぶ彼を小さく呼ぶ。答えない代わりに動きが止まった。その場所は人気の一切ないコンクリート路だった。隙間風だけが存在を主張してたなびく。



「…僕は名前さんが思うような人じゃない。何も感じないわけでも、すごく鋭いわけでもない」

『…ぇ、』

「だから君の気持ちを分かってあげることが出来ない。察することが出来ないんだ。僕は探偵だけど心理学者じゃない。…直接、言葉で聞きたかった。名前さんの考えること、感じること、不満とかそういうことを」

 
 悔しそうに告げる最原。彼は、どこまでも誠実な人間だった。遅ればせながらもようやく名前は、彼がずっと彼女を待っていてくれたことを知ることが出来た。自分の気持ちを全て隠さずに言うことを、彼に全てを伝えることを。


「無理なんてしなくても良いんだ。君がいるのは閉じ込められた籠の中なんかじゃない。自由な外の世界なんだから」

 画面越しに彼の手の温かさに触れる。温もりと共に名前に教えてくれる。…そうか、私はまだ心は自由になっていなかったのだ。私には諦める癖が板についていた。だから思ったことや不満を全て流してしまおうとしていた。それまでだって思ってあきらめたほうが楽だった。それは出てからもそうだった。自由を手にした彼女が感じたのは良い感情ではなく、孤独だった。


「不満を言い合って、喧嘩して、支えあう。それが人間ってものだから。…やっぱりそういうのって、僕のわがままなのかな」


『さ、いはら君…』


 ああ、ほら、また。名前は両手で頬をぬぐう。彼の言葉は毒だった。救いだった。いつだって彼女を正しい方向に向かせてくれた。今だって、そんな彼に勝手な理由で距離を置いた彼女を赦し、暖かく迎えようとしている。最原は優しい。優しすぎた。胸の奥につかえていた冷たい氷が溶けていく。名前は彼の胸に頭を寄せた。


『…最原君といると、変な気分になるんだ』

「…え?」

『最原君がそばにいてくれると、凄くほっとして…離れていくと胸が苦しくなる。知らない女の子の話とかしてるときとか、特にそう。この感情が何なのかさっぱりわからなくて。…それで、見当もつかなくて。距離を置いてた』


「それって」


 馬鹿な私でごめんなさい。だって、何もわからないんだもの。そう告げると最原は目を丸くして、やがて一度ゆっくりと瞬きする。画面が傾いて名前は最原の正面と相まみえる形になっていた。何事かと動揺する彼女に、目線を合わせる。


「…名前さん。それは良いように捉えても良い、ってことなのかな」


『……え、それは、どういう』


「……ごめん、なんでもない。…言わなかったことはそれだけ?」


 小さく頷くと、最原は目元まで真っ赤になって咳払いをする。その表情、その様子を見てふとそれに起因する感情を名前は考えつく。…そして同じように顔を赤く染めることになった。いやいや、まさか。まさか、自分がそんな感情を持つようになるとは。だって自分はAI。彼は人間。どう考えても無理があるではないか。しかしいったん考えてしまえばそれしか考えられない。「あのさ」正面から自分を見据える目にからめとられて、思わず姿勢を正す。これから彼が何を言うのか。期待と不安が胸をよぎる。 赤くなったまま、意を決したような顔が名前に向けられる。


「…好きだよ。名前さんのことが。だから、僕への気持ちは押し込めないでいつでもちゃんと伝えてほしい」


『……っ、』


 次は羞恥で顔を覆いたくなった。その次に感じたのは焦り。早く、早く彼に返事を伝えないと。こんな私に正面から向き合って、気持ちを伝えてくれた。そんな優しい彼に。名前は身を乗り出して彼を見る。


『わ、私も好き…だから。こんな私でも、最原君は構わないの…?』

 
 数秒の間もなく上下に動いた首に思わず体が傾く。画面越しに伝わってくる彼の体温はどこか高くて、心臓の音も早い。その音が少しだけ緩められたことに、名前は彼が安堵したのだと知ることが出来た。そうしてお互いの顔を見て、ゆるりと笑った。もう真冬の寒さなど感じられなかった。

- 1 -
←前 次→
ALICE+