つばき
しんしんと降り積もる雪を横目に見ながら廊下を歩く。やがて見えてきた医務室の戸を開ければ、暖かい空気が冷え切った僕の体を包み込んだ。
「やあ、左近」
善法寺先輩が片手を挙げて挨拶してくれた。それに軽く会釈をする。
今日は保健委員会がある日。部屋を見渡せば、保健委員会の一員は揃っている、…一人を除いて。
「名字はどうしたんですか」
「何も連絡きていないから来ると思うんだけど、」
もうすぐ時間になるのに、と善法寺先輩は首を傾げた。
名字とは本名、名字名前、くのたま二年である。実家が町医者であり勉学のために保健委員会に所属しているとか何とか。くのたまは基本的に委員会に所属しないので、忍たまから見たら少し珍しい存在である。
「そうだ、左近ちょっと探してきてよ」
「え、僕ですか?!」
「だって仲良いじゃない」
「仲良くありませんよ!」
善法寺先輩の言葉をすぐさま否定する。何処をどう見たら仲良く見えるのだろうか。名字はいつもびくびくしていて、こっちから見たらじれったいというか、何か苛々する。
名字を探すのは嫌だったけれど、あいつのせいで委員会が始まらないのも何だか癪だったから、重い腰を上げて医務室から立ち去る。目指すは図書室。
名字と遭遇する場所といえば、一番は当然医務室だけど、次に頻度が高い場所は図書室だった。彼女は勉強熱心で、図書室でよく医学関係の本を読んでいる。つい読み耽ってしまい委員会に遅れるということもしばしば。本当止めてほしい。
もうすぐ着くというところで、向こう側から桃色が歩いてくるのが見えた。
「あ、川西くん」
名字は僕の姿を見るなりびくりと肩を揺らした。こういう態度が気に入らない。彼女への態度がついぶっきらぼうになってしまう。
「委員会もう始まるんだけど」
「ご、ごめん」
謝りながら名字は駆け足で僕に近寄る。手にはたくさんの本や巻物。きっと全部医学関係のものなんだろうなあと思った。
「早く行くよ」
「う、うん!」
そう言って一歩踏み出した瞬間、体の軸がぶれて大きく傾いた。うわあ!、と叫びながら隣にいた名字を巻き添えにしながら倒れこむ。何もないところで転ぶなんて、相変わらずの不運。
「ごめん、巻き込んだ…」
「大丈夫、…あ、巻物」
どうやら倒れた時に名字が持っていた本や巻物をぶちまけてしまったらしい。一部は雪の上に投げ出されている。
名字は廊下に散らばった本をまとめ、外へ飛んでしまった本を取りに行った。僕も彼女に付いていく。最後の巻物は池のすぐ側に落ちていた。これが不幸中の幸いというものか。池に落ちたもんなら久作が黙ってないだろうなあと考えたら寒気がした。彼女も同じように考えていたらしく、池に落ちていない様子を見てほっと息を吐いていた。
その巻物を拾えば終わり。彼女が巻物を拾い上げた途端、今度は彼女の体が傾いた。雪が踏み固められて滑りやすくなっていたのだろうか。咄嗟に手を伸ばして彼女の体を引くと、彼女と僕の位置がくるりと反転して、背中には池、……え?
「うわあああ!」
ばしゃんっという音と僕の悲鳴が混ざり合う。やっぱり保健委員会って不運。
「顔も赤いし、熱もあるし、これは完全に風邪だね」
真冬の池に入ればそら風邪引くよなと思いながら、善法寺先輩にすみませんと謝る。視界の隅で名字があたふたしているのが見えた。
「良いって、まあ本当は良くないけれど、女の子の名前ちゃんに風邪引かせるのはまずいし」
「…先輩、酷いです」
「ごめんごめん、今日はゆっくり休んで。委員会はまた今度にしたから」
ちょっと白湯貰ってくるよ、と先輩は医務室を出ていった。今この部屋にいるのは僕と名字の二人だけ。ちらりと窺えば、彼女は申し訳なさそうに座っていた。目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「本当にごめんね…!何かしてほしいこととか…」
「あー…、良いよ、別に」
「で、でも…!」
「良いったら。僕、少し寝るから」
まだ何か言いたげな名字に背を向けて目を閉じた。
不意にお腹辺りに重みを感じて目を開ける。体を起こすと額から濡れた手ぬぐいが落ちた。…ん、手ぬぐい?重みの原因を見れば、僕のお腹に自分の頭を乗せながらすやすやと寝息を立てている名字の姿があった。僕、病人なんだけどなあ。
窓から見た空はもう真っ暗だった。
「あ、目覚めた?」
声をかけてきたのは、衝立の向こう側から顔を出した善法寺先輩。
「先輩、これは何ですか?」
名字を指さして問えば、先輩はくすくすと笑った。
「名前ちゃん、さっきまでずっと左近の看病してくれてたんだよ」
「え?」
「もう遅いから帰りなって言ったんだけど、自分のせいで風邪引かせたから自分が看病やるって聞かなくてねえ」
「…そう、ですか」
「名前ちゃんに感謝しなきゃね」
左近も起きたことだし、食堂でお粥作ってくるね。そう言って先輩は衝立の向こうへ姿を消した。
今までぶっきらぼうな態度しかしてこなかったのに、彼女は僕の看病をしてくれた。それがこんなにも嬉しいなんて、普段の僕からしたら何か変な感じ。でも悪くない。
「…ありがとう」
多分、面と向かってじゃちゃんと言えないから、彼女が寝ている間にこっそり呟いた。
120322
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