ここには言葉がない
「暑いですね……」

沈黙が続いていた司書室に川端先生の呟きが響いた。図書館に慣れてもらうために助手をしてもらおうと決めたのはいいものの、なかなか会話は続かず、多少気まずさも感じていたから、何か言ってくれただけよかった。
顔を上げれば川端先生の格好は見るからに暑そうだ。まずマフラーのようなものは取ってもいい気がする。羽織っているものもいらないだろう。

「えっと、マフラーを外せば少しは涼しくなると思いますが……」

川端先生はジッと私を見ていたが、ああと頷いてマフラーを外した。先ほどまで見えなかった首が見えた。白く滑らかに見えるそれは羨ましいくらいに綺麗だった。

「……何か?」
「いっ!いえっ!」

首のあたりを注視していたのを気付かれたのかもしれない。私は慌てて否定する。不快そうな顔はしていないし、見つめてくる目もさっきまでと変わらないが、表情に出ていないだけかもしれない。気にしないようにしなければ。仕事に集中しようと資料に目を向ける。
まず向き合ってここまで真っ直ぐ見つめられるということに慣れていない。そんなこと、問い詰められたり、怒られたりする時くらいだと思う。その上、川端先生は相当に整った顔をしている。落ち着かないのも仕方がない。

「お腹でも空いたのですか?」
「え……、いや、空いてないです」

無口ではあるが、優しい人なのだろうと思う。お腹は全く空いていないし、どこからそう感じたのか疑問ではあるが。
横光先生には通訳してやるから何かあったら呼ぶようにと言われたが、川端先生が何を言いたいのかわかりません、などと助けを求めるのはさすがに失礼な気がする。

「触れてもいいですか?」
「はい!?」

前言撤回。これは横光先生を呼びたい。触れる?真意が全くもってわからない。そんな会話はしていなかったはずだ。

「えっと」
「すぐですから」

手が伸びてきたかと思うと、するりと髪を撫でられた。微かに頬のあたりに手が触れた。
勝手に冷たいだろうと思っていたその手は思ったよりも温かかった。不思議な人だ、本当に。

「ほら」

そう言った川端先生の指先には白い糸があった。思わず机に突っ伏してしまう。なるほど、ゴミが付いていたから取ってくれたわけだ。
気を取り直して顔を上げ、ありがとうございますと口にすれば、川端先生は無言で頷いた。
そのうち慣れるのだろうと思った。悪い人じゃないことは確かだから、大丈夫だろう。結局、こういうのは慣れなのだ。

「どうかしたのですか?」
「大丈夫です」

まだまだ道のりは遠そうだと思いながら、私はとりあえず笑顔を返すのだった。

170722
title by icy
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