ああ、これは久しぶりにまずいやつかもしれないとぼんやりする頭で考えた。睡眠時間が足りていなかったり、疲れていたりすると頭痛がひどくなることがあった。多分、今回もそれだ。
名前が特務司書として働くようになって約2週間が経過した。文豪の魂を転生させ、侵蝕者と戦い、文学を守るのだと説明され、よくわからないまま必死に働いてきた。
自分にアルケミストの能力があるなんて考えたこともなかった。一般的には公になっていないが……などと言われた時には逃げ出したくもなった。それでも引き受けたのは、本が好きだからだ。本の中の世界が穢され、破壊されてしまうと聞かされては断れなかった。
これ以上痛みがひどくなれば、動くのも辛くなる。動けるうちにカーテンを閉めてしまおうと立ち上がる。光の刺激がなくなるだけでも、少しは楽になるはずだった。
「……っ」
激しい痛みに思わず蹲る。ズキンズキンと音が聞こえてくるようだった。何か嫌なものがこみ上げてきて、口元を手で覆う。どうしようと気持ちばかりが焦る。
ノックの音がして、しばらく間があった後に司書さんと呼びかける声がした。助手を頼んでいる堀辰雄の声だとわかったが、返事ができずにいると、ドアが開く音がして、ほとんど同時に驚いたような声が部屋に響いた。
「司書さん!?」
痛みがひどくなって目を強く閉じる。音の刺激も辛いのだ。
「堀せんせ、声……小さく……」
それだけをどうにか伝えようとすると、堀は察したらしく、すみませんと小さく呟いた。
「頭痛ですか?気持ち悪い?」
「……両方」
薄っすら目を開けるといつの間に持ってきたのか、堀は部屋の隅に置いてあったはずのくずかごを差し出していた。大丈夫ですよという声とともにゆっくりと背中をさすられる。
無理だったら吐いてしまってもいい。そうわかっただけで少し楽になった。
「カーテン、閉めてもらっても……」
「わかりました」
部屋が薄暗くなると幾分か痛みが和らいだ気がした。ふうと息を吐き出したところで、名前はやっと堀の顔を見た。薄暗い中で見る堀の顔は真っ白で、もしかしたら自分よりもひどい顔色をしているのではないかと思った。
「よかった。少し落ち着きましたか?部屋に入ったら蹲っていたから心配しました」
「すみません……頭が痛くて。こんなにひどくなるのは久しぶりなんです」
心配をかけたくはなかったのにと堀から目をそらす。戸惑っているのは文豪たちも同じなのだ。「文豪の魂を転生させる」のがどういうことなのかはっきりわかってはいないが、眠っていた魂を起こして連れてくるようなものなのだと理解している。
起こされたかと思えば、文学を守るために侵蝕者と戦ってほしいと頼まれるのだ。文豪の方だって困るだろう。
「無理はしないでくださいね。僕たちのことも、もっと頼ってくれていいですから」
「でも、先生方は侵蝕者と戦ってくれていますし、余計な手間は……」
「余計じゃないです。司書さんと協力して文学を守っていくんですから、司書さんだけが抱え込むのは違うと思います」
名前は困った顔でそういうものですかとだけ呟いた。堀に促されて、司書室の隣にある自室に向かう。こんな時間から部屋で休むのは抵抗があるが、仕事をするのは堀が許してくれそうにないし、そもそもこの痛みでは集中できない。
部屋に入るとカーテンを閉め、堀に言われるままベッドにもぐりこんだ。
「森先生からお薬もらってきましょうか?」
「薬はあるから大丈夫です。落ち着いたら飲みます」
「飲む前にお粥か何か少しでもお腹に入れた方がいいですよ」
「はい……そうします」
「じゃあ、ゆっくり休んでくださいね。皆さんには僕から言っておきますから」
名前が頷くのを確認して堀は静かに部屋から出た。
まだ若いのに落ち着いているし、しっかりしているというのが文豪たちの名前への評価だった。ただ、今日の様子を見るに、ずっと気を張って無理をしていたのだろうと堀は感じた。見た目は幼いと言っていい文豪もいるが、二度目の人生のようなもので、彼女よりは人生経験豊富だ。頼ってくれてもいいのに、と思う。
堀が転生し名前と出会った時、彼女は戸惑いを隠しきれていなかったが、それでも弱音は吐かなかったし、堀を安心させようと一生懸命だった。他の文豪たちが次々に転生しても、それは変わらなかった。
耗弱や喪失状態になった時、皆一度くらいは名前に弱っているところを見せたはずだ。だから、逆に文豪たちに弱いところを見せてもいいと思う。でも、彼女にはできないのだろう。責任感の強さはこの2週間でわかっていた。
▲ ▼ ▲
「司書さん、入りますよ」
部屋を出てから3時間以上経った。心配だから様子を見に行くと言い出した文豪たちを大勢で訪ねると気を遣わせてしまうからと止め、お粥と水を持って1人で部屋の前まで来た。
「ああ、堀先生」
身体を起こした名前の顔色はそれほど悪くなく、堀は胸をなでおろした。
「少しは食べられそうですか?」
「はい、吐き気はもうないので」
「それなら良かったです」
名前に言われて部屋にあった椅子に腰を下ろし、堀はぼんやりと彼女がお粥を口に運ぶのを見ていた。
「深刻に考えなくてもいいと思うんです」
「え?」
思わず口に出してしまった言葉に名前が反応した。
「本の中の世界が破壊されるのは、大変なことです。でも、追い詰められて悩むより、今の状況を楽しむくらいの気持ちでいてもいいんじゃないかと思います。今の状況、不思議な状況でしょう?」
「確かに不思議ですけど……」
「先輩方は楽しんでますよ。旧友や師と再会できて、また話すことができて……それでいいと思うんです」
堀から見た仲間たちは楽しそうだった。旧友と酒を飲み、笑いながら話をして、時には文学のことで熱くなる。堀自身、再会できて嬉しかった人が何人もいた。
「だから、司書さんも本当なら出会うはずのなかった僕たちと出会って、同じ場所で生活して、同じ目的のために戦っている……今を楽しむくらいの気持ちでいいんです」
「そういうものですか」
「そういうものですよ」
堀がはっきり頷いたのを見て、名前はやっと笑みを浮かべた。
「体調を崩してやっと、私今まで無理してたんだなぁと気付きました」
「これからはもっと頼ってください。全員で力を合わせて文学を守るんですから」
「はい」
名前がお粥を食べ終え、薬を飲んだのを確認し、堀は空になった器とコップの乗った盆を受け取った。
「堀先生」
「なんですか?」
「あの、用事がなければもう少しここにいてもらえますか?」
「もちろんです」
早速頼ってもらえたことが嬉しくて、堀は笑顔で頷いた。
▲ ▼ ▲
「さっき言っていて思ったんですが、随分壮大な物語になりそうですよね」
「物語、ですか?」
堀は眠そうな顔をしている名前に穏やかに語りかける。
「司書さんが違う時代を生きた文豪と力を合わせて文学を守るんですよ。主人公は司書さんですね」
「ええっ……」
「僕たちを転生させたのは司書さんなんだから、当然です」
ぽつりぽつりと話しているうちに名前は眠ってしまったようだった。堀はそっと彼女の頭を撫で、きっと幸せな結末になりますよと呟いた。返ってくるのは穏やかな寝息だけ。堀は微笑んで部屋を後にした。
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主催企画サイト黒猫は迷わないに提出したもの。