滲んだ涙と瞼の熱
※あまり深くは触れていませんが、司書に暗い過去があるので、苦手な方はご注意ください。

安吾の夏。ずっと夏ならいいのにって哀しげに微笑む君が、儚げで、熱を帯びる瞼に口づけた。
(診断メーカー「君と過ごす夏」)


「俺は坂口安吾。偉大な落伍者になる男だ」
「……お待ちしておりました、坂口先生。特務司書の苗字名前と申します。織田先生も長い潜書、お疲れ様でした」

初めて名前を見た時、安吾は人形のような女だと思った。精巧に作られた綺麗な人形。手足は細く白く、すらりとしていた。
初対面だし繕っているのだろうと思ったが、誰に聞いても普段からあんな感じだという返事しか返ってこなかった時には耳を疑った。息苦しくないのだろうか。そして、誰も彼女が図書館に来る前のことは知らなかった。自分のことは話そうとしないらしい。わかったのは育ちがいいのは確かだということくらい。普段の所作は一朝一夕で身につくものではない。

「なんだよ、安吾。司書さんのこと、そんなに気になるわけ?」

太宰にそう訊かれるくらいには、安吾はわかりやすく名前を意識していた。なぜ気になるのかは本人もわかっていなかったが。

「何となくだけど、司書さん脆いよ」
「……は?」

予想外の言葉に安吾は太宰を真っ直ぐに見た。太宰は案外脆いやつだからと名前に言ったことがあるが、その太宰が名前を脆いと評した。

「普段は落ち着いてるけど、『死』に過剰反応する。俺が喪失でぽろっと死にたいって言ったら、真っ青になって何でそんなこと言うんですかって、見たことないくらい取り乱した。こっちが冷静になって、もう言わないからって宥めたくらい」

だから、あまり首を突っ込まない方がいいという太宰なりの忠告だったのかもしれない。名前自身が文豪とはある程度の距離を置いているのだから、無理に近付くべきではないと。

◆ ◆ ◆


「どうした?」

助手を任されたある日、何か違和感を覚えて声を掛けた。名前は静かに何もありませんと答えて微笑むだけだった。
普段より顔に赤みがさしている気がして、何も言わずに手を伸ばした。名前は身を引いたが、一瞬触れた肌は熱を持っていた。

「アンタ……熱あるだろ」

触られた以上、言い訳しても仕方ないと考えたのか名前は頷いたが、このくらいは平気ですと答え、手を休める様子はなかった。
言っても無駄だと判断した安吾は名前の手首を掴んだ。見ているよりもずっと細く感じられた手首はやはり熱を持っている。逃れようとする抵抗は弱々しかった。

「やめてください、坂口先生」
「今日はもう寝とけ」
「大丈夫ですから」

安吾はため息を一つ吐き、名前を持ち上げた。男女の差はあれど、これは問題だろうと思うくらいには軽かった。

「わかりました。わかりましたから下ろしてください」
「いいから、具合悪いやつは安静にしてろよ」
「体調管理はしているつもりです。坂口先生に言われたくありません」
「俺は不健康でいいんだよ。普段と違って突っかかってくるのも、本調子じゃない証拠だ」

やっと大人しくなった名前を医務室に運ぼうとすると、休めば治ります、薬は部屋にありますと最後の抵抗をされたため、そこは妥協するかと司書室とは別にある彼女の自室まで連れて行く。

「坂口先生は世話焼きですね。太宰先生や織田先生に対してならわかりますが、私にまで」

少し呆れたように呟いた名前は人形のようには見えなかった。
「みな、心に仮面を被った変装者に違いありません」、ふと、そんな言葉が頭をよぎる。安吾とも因縁がある江戸川乱歩が口にする言葉だ。

「アンタは何を隠してるんだ?」
「誰だって知られたくないことの1つや2つあるでしょう?責任を取れないのに、安易に暴こうとするのはどうかと思います」

声はいつもより弱々しいのに、態度は毅然としていた。だから、そこまでして隠したいものが何か気になってしまった。隠されれば隠されるほど知りたくなるのは仕方のないことだろう。

◆ ◆ ◆


そんな出来事があったから、恐らく距離を置かれるだろうと思っていたのに、安吾が助手を任される頻度は増したように感じられた。気のせいではなく、他の文豪からも、最近の司書は安吾に対する態度だけ違うのではないかと指摘されることもあった。

「かき氷もらってきたぜ」

縁側に腰掛けて扇子を手にしてゆったりと扇いでいた名前が振り向いてありがとうございますと微笑んだ。
氷の山を崩していく音は耳にも涼しい。夏だからといって食堂の献立にかき氷が加えられた時は驚いたが、思った以上に良いものだった。

「ずっと夏ならいいんですけどね」
「そうか?鍋は寒い季節の方が旨いからな……まあ、俺は夏でも食うけど」

暑いけどまた鍋でもするかと考えながら名前の方を見ると、彼女は寂しげな顔をしていた。涙が滲んでいるようにも見えたが、それを隠すように俯いてしまう。
安吾は正直面食らった。最初に比べれば色々な表情を目にするようになったが、泣くところなんて見たことがなかった。ただでさえ華奢で白い彼女がそのまま消えてしまいそうなくらい儚く見えて、思わず手を伸ばした。

「坂口先生?」
「……あ」

ほんの一瞬、唇に触れた名前の瞼は熱かった。そして少ししょっぱかった。そう感じると同時に自分が何をしたかに気付き、安吾はぎょっとした。ほとんど無意識だった。

「悪い……」
「いいですよ。嫌じゃありませんでしたし」
「え?」

名前は何事もなかったかのようにかき氷を食べ始めた。

「昔、好きな人がいたんです。冬に呆気なく死んでしまいましたけど。夏が好きで、冬が嫌いな人でした」

それだけだった。もうそれ以上語る気がないことは安吾にもわかった。

「よし、アンタにも安吾鍋を食わせてやろう」
「……今、そんな話してましたか?」

冷静を装ってはいるが、いつもより幾分赤い顔をした名前が可愛らしく見えて、別にいいだろと言いながら、安吾はぐしゃりと頭を撫でた。

「話してくれたってことは、責任を取れってことだろ?」

名前は驚いたように目を見開いたが、少し困った顔をしてから、そうですねと笑った。

170806
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