夜空に銀冠
菊池の夏。次々上がる花火の小休止、隣の君に名前を呼ばれた。視線が絡む長く短い3秒の後、一際大きな銀冠。歓声。その刹那、君が何か呟く。聞き取れず首を傾げると、なんでもない。と笑った。
(診断メーカー「君と過ごす夏」)


「まーた寝てるのか」

司書室に入ると名前は机に突っ伏していた。一度や二度ではなく、夜に仕事の途中で寝てしまっていることがよくあった。
一度目は揺り起こして、ここには男ばかりなんだから無防備な姿を晒すのはよくないと注意したものの、数日後にはまた眠っていたので抱き上げて部屋まで運んでやった。部屋の手前で目を覚ました名前が運んでもらうような年齢じゃないから下ろしてくださいと慌てたから、嫌なら司書室で寝るなと再び注意した。
これで懲りただろうと思ったのに、また寝ているものだから、見つけるたびに部屋まで運ぶのが菊池の仕事になっていた。
大体は翌朝目覚めた名前が食堂まで来て、運ばなくていいから起こしてくださいと叫んで、自分の部屋で寝ればいいだけの話だろと菊池が返すところまでがお決まりのやりとりだ。それで、周りにいる文豪がまた始まったよという顔をしたり、痴話喧嘩かと揶揄ったりするのだ。

「ああ……菊池先生」

名前はゆるゆると顔を上げた。今にも眠ってしまいそうだ。

「起きたか。どうする?運んでやろうか?」
「明日……」
「ん?」

まだ眠そうな顔で名前は言った。

「明日、花火大会があるじゃないですか」

菊池はああと頷いた。その話は聞いていた。皆思い思いの場所で花火を楽しむ予定らしく、一緒に見ようだの、酒を準備するだの騒がしかった。

「まだ約束がなければ、一緒に見ませんか?」
「別に構わないが、どこで見るんだ?」
「少し歩きますけど……近くまで見に行きませんか。よく見える場所を聞いたので」
「近くで見るのもいいかもしれねぇな。ただ……2人で行くのか?」

少し揶揄うように聞いてみたが、答えは返ってこなかった。

「おい、もう寝たのか?」

言いたいことだけ言って寝てしまったらしい。完全に目を閉じている名前を見てため息を吐いた菊池は、慣れた様子で部屋まで運ぶのだった。

◆ ◆ ◆


浴衣を着て髪を結い上げた名前は普段より大人びて見えた。まあ、普段も外見だけなら年相応には見えるのだが。

「行きましょう、菊池先生」
「おう」

履き慣れていない下駄で歩く様子は危なっかしくて、菊池は苦笑した。

「掴まるか?」
「いいです。歩けます!」

子供扱いされたと感じたのか突っぱねる名前に他の人だってやってるだろと周囲の男女を示す。腕を組んだり、男性に寄りかかるようにして歩いている女性もいる。

「じゃあ……お願いします」

思ったより歩くのに時間がかかったらしく、名前が言っていた場所にたどり着く前に花火は上がり始めた。乾いた音がして、夜空に花が咲く。

「わあ、綺麗ですね」
「どうする?ここらへんでいいか?」
「そうですね、よく見えますし」

ちらほらと近くで座っている人もいる。空いている場所に持ってきた敷物を敷いて座った。花火は次々に上がる。様々な色が夜空を彩る。菊池がちらりと横を確認すると、名前は花火を見つめていた。

「菊池先生」

花火が消え、こんなに空は暗かっただろうかと思いながらぼんやり眺めていると、不意に呼ばれて、そちらを向く。目が合ったのに、名前は何も言わなかった。ただ、菊池を見ていた。菊池もまた名前を見ていた。
乾いた音がして、夜空が明るく照らされた。銀色の光が長く線のように下に落ちていく。大きな花火に歓声が上がった。

「ん?」

名前の口が微かに動いた。歓声のせいか聞き取れなかった菊池は首を傾げたが、名前は笑って首を横に振った。

「何でもないです」
「何でもないってことはないだろ」

菊池の言葉に肩をすくめて名前は呟く。

「うーん、でも、今はやっぱりいいです」

花火の赤い光に照らされて、名前の顔は赤い。それが花火だけのせいなのか、他に理由があるのか、まだはっきりとはわからなかった。

170901
ALICE+