記憶は置いていくよ
※お相手はご自由に想像してください
※全てが終わった図書館の話。幸せなお話ではありません


「……の本はありますか?」

女の子が口にした名前にびくりと反応してしまう。ないですか?と尋ねられ、ごめんなさい、ありますよとその本が並んでいる本棚に案内する。
少し開いていた窓から柔らかな風が吹き込んだ。ゆっくりと窓辺に近付き、庭を眺める。あそこのベンチで眠ってしまう人がいた。池にワニか何かがいると騒ぎになったことがあった。夏には花火をした。ぼうっとしていると、その風景が浮かんでくるようだった。

「苗字さん、この本をお願いしてもいいですか?」
「あ、はい。補修ですか」

もう3年も経つのにと考える。にぎやかだった図書館を忘れられない。廊下を歩けば、司書さんと呼び止められそうだし、よく助手をお願いしていた彼が何事もなかったように隣を歩いていそうな気がする。
これでよかったのに、どうしてこんなに寂しいのだろう。魂を呼び出すなんて、非常事態にしか許されないことだろうし、危機が去れば……。

彼らはどうやって消えていったのだろうと今になって少し気になった。見られたくないからと、一番強く主張したのは彼だった。だから、私は部屋から出た。館長さんとネコさんは多分、見送ったのだろうけど、その時の話は聞いたことがない。
呼ばれて部屋に戻ると、そこはもう静まり返っていた。どうしようもなく寂しくて、泣きそうになりながら、つい昨日まで彼らが使っていた部屋を掃除した。
勝手な都合で転生させたことを申し訳なく思ったこともあったのに、本当は転生したくなかったんじゃないかと感じたこともあったのに、それでもいなくなったら寂しいのは、本当に勝手だ。

▲ ▼ ▲


自宅に戻り、そのままベッドに寝転がる。図書館に住み込みで働く必要もなくなり、近くにアパートを借りた。この小さな部屋にも随分慣れた。
ふと、部屋の片隅の箱に目が行く。ずっとそのままにしてある物だった。司書室に置いていた私物を詰めた箱。開けると色々なことを思い出しそうで、開けられずにいた。
そっと近付いて、箱を開けてみる。何冊もの本が目に入った。彼らの本さえ、まともに読めないでいた。だって、彼らが自分の詩を口ずさんでいた声が蘇るのだ。これを読んでみろと自身の書いた小説を持ってきた顔を思い出すのだ。

「あれ……」

薄い水色の封筒があった。入れた覚えのないものだ。首を傾げながら、それを手に取る。中の便箋を取り出して開いた時、息が止まるかと思った。彼の字だった。
彼らは皆、手紙が好きだった。毎日のように会っているのに、手紙を出し合っていた。その延長線上だったのか、彼は私にもよく手紙を書いてくれた。自分の字に自信がなかった私は、数える程しか返事を書かなかったけれど。
とにかく、その見慣れた彼の字だった。彼らしい、別れの言葉が綴られていた。いつの間に書いて、いつの間に司書室に置いたのだろう。

ぽとりと涙が落ちた。便箋を濡らさないよう、慌てて拭う。最後の手紙は私の背中を押す言葉で締めくくられていた。私がきちんと歩き出せるよう、彼は最後まで考えてくれていた。

「ありがとう」

箱の中から彼の本を取り出す。久しぶりに読むそれは、やっぱり魅力的だった。
今日からまた1冊1冊読んでいこうと思った。彼の本も他の皆の本も、思い出をなぞりながら、大切に読んでいこう。

本を読んだら悲しくなると思っていた。でも、違う。本がある限り、私は彼らと繋がっている。この本には彼らの一部が込められているのだから。私はもう、ちゃんと歩いていける。

170915
title by icy
ALICE+