少しずつ融けていく


「……おーい、大丈夫か?」
「大丈夫なわけない」

名前の青い顔を覗き込むようにして花袋は声を掛けた。木陰のベンチで花袋の膝を枕代わりにして名前は横になっていた。空は青く、風は心地良いというのに、彼女の表情は晴れない。

「気分転換どころか逆効果だから……」
「まあ、確かに、真っ昼間の公園に連れ出すのは無理があったかもな。外に出りゃ、気分も変わると思ったんだよ」

嫌がらせのつもりはなく、純粋に元気付けようと思っただけなのだ。仕事に支障はなかったものの、それまではある程度会話をしていた徳田と中野に対してもほぼ無言だと聞き、オレがどうにかすると宣言し、外に連れ出すことを計画した。徳田と中野は反対したが、無視して実行した結果がこれだ。秋声が後でうるさいだろうなと考えながら花袋は空を見上げる。

「……アルケミストなんて、研究にしか興味のない人の集まりかと思ってた。お母さんもおばあちゃんもそうだし、おばあちゃんなんて館長に向かって、文学がどうなろうが知ったことじゃないって言い放つくらいだから」
「マジか」
「うち、結構特殊だから。昔からアルケミストの能力を持って生まれるのは女だけ。それを研究してる人もいるくらい」

花袋はアルケミストのことも錬金術のことも詳しくないが、とりあえず頷いておく。館長曰く、国営錬金術研究所に入所した初めての女性は彼女の直系親族らしい。アルケミストとして有名な一族なのだということは何となくわかった。

「この前の集まり、髪振り乱して研究してそうな人なんていなかった。男も女も。だから、特務司書なんてやりたくないって言ったのに」

はあと大きな溜息をついた名前は空を見上げるが、すぐに眩しいと呟いて目を閉じた。

「誤解してるのかもしれないけど、私は外が恋しくてあの映画を見てるわけじゃないから」
「え?じゃあ、なんでいつも見てるんだよ?あ!もしかしてあの少年がタイプとか?」
「違う。ひいおじいちゃんの作品が元になってるから」
「はあっ!?オレの作品、映画化されたことねぇんだけど!売れない作家じゃなかったのかよ!?」

思いがけない言葉に思わず大声になる。嫌っているはずの曾祖父の小説が原作の映画を繰り返し見るのも気になるが、それ以上に売れない作家なのに何故映画化されたのかが気になった。

「大声出さないで。自主製作映画だから」
「自主製作?」
「そう。どこで住所を知ったのか家に訪ねてきて、この小説が好きで、映画を撮ったんですって。ひいおじいちゃんの小説なんて読んだことなかったけど、あんまり目を輝かせてるから受け取った。お母さんの手に渡ったらすぐ捨てられそうだったし」

淡々と言う名前に、見たら気に入ったのかと尋ねるが、彼女は頷くことも首を横に振ることもしなかった。

「売れなかったはずなのに、何十年も経ってから、作品が好きで映画を撮ったなんて人が出てくるんだと思って。私には必要ないけど、小説とかを必要とする人がいて、その人にとってはひいおじいちゃんの作品も大切なものなんだなと思った。文学を守るとかピンと来ないけど、どういうことだろうって、あれを見ながら考えてた」

なんだ考えていたんじゃないかと花袋は思った。この前小説を読んでもらおうとした時に不機嫌になったのも、嫌いな物を押し付けられたからというよりは、色々考えている時に外からうるさく言われるのが嫌だったのかもしれない。

「オレの作品も自主製作でいいから映画にならねーかな。美少女に演じて欲しい!」
「最後に電車に轢かれるのは撮影が大変そう」
「あー、確かにな……」

自然に頷きかけて、花袋はハッとした。今、名前は何と言った?最後に電車に轢かれる?

「え、オレの本読んだ?『少女病』だよな!?」

無言で体を起こした名前はやっぱり眩しそうに目を細めながら、帰るとだけ呟いて歩き出す。読んだんだろ?と尚も言い続ける花袋に、読んだら悪いのと素っ気なく返す。いーや、悪くない!と嬉しそうに答えた花袋は名前と並んで歩き出した。


名前は相変わらず司書室に引きこもりがちだし、指示は全て徳田か中野を通して伝えられる。それでも、これまでは補修の時にも助手がベッドの周りの白いカーテンを閉めてから補修室に入り、他の文豪とは顔を合わせないようにしていたのが、自分で声を掛けてからカーテンを閉めるようになった。それだけでも大きな進歩だというのが徳田達の評価である。
顔と名前は大体一致したらしい。何度か間違えて、プライドの高い文豪に睨まれたりするのを、徳田や中野がどうにか取り成していたが、最近はそういう光景を見なくなった。

「よう、散歩の時間だぜ」

司書室のドアを開けると、名前はゆっくりと部屋から出て来た。昼間の外出はまだ無理そうだったから、花袋は夜の散歩を提案した。昼間に公園に連れ出されて具合が悪くなったのもあり、最初は渋るのを引っ張るようにして連れ出したが、思ったより悪くなかったのか、2回目からは素直に出て来た。そのうち夜以外も外に出られるようになるだろう。
静かな道を並んで歩く途中、花袋は思い出したように本を取り出した。名前は首を傾げる。

「田山さんの本なら大体読んだけど」

その言葉に思わず頬が緩む。オレのじゃなくてさ、と本を名前に近付ける。題名と作者名、どちらが目に入ったかわからないが、名前はあっと声を上げた。

「古本屋にあったから買って来た」
「……ありがとう」
「おー。きっとひいじいちゃんも喜ぶぜ」

受け取った本を大事そうに抱えた名前をちらっと見て、花袋は弾むような足取りで歩き出した。

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