水底に沈む花のように


「よう、またそれ見てんのか?」

びくりとした名前はまた隣に座っていた花袋を見た。画面の中では麦藁帽子の少女が少年と話していた。

「うん、やっぱり美少女だよな。オレもこんな可愛い子と一夏を過ごしたいもんだな」

呆れたような顔で見ている名前に、花袋は好きなものを好きと言って何が悪いと開き直ったように言った。

「別に。美少女が好きなら、こんな引きこもりの部屋にいないで、街にでも出たらいいんじゃない?」
「今日は用事があってきたんだよ」
「だから、そういうのは中野さんか徳田さんに……」

花袋はそれを遮るようにじゃーん!と言って、文庫本を取り出した。自身の著書だ。名前は微かに顔をしかめた。

「オレのこと全く知らないみたいだし、それなら読んでもらうしかないだろ!」
「……そういうの興味ないから」
「いやいや、司書なんだし、本くらい読んだ方がいいって」

名前はふいと顔をそむけた。

「人の趣味をとやかく言うつもりはないけど、それを他人に押し付けるのは迷惑。田山さんにとって価値のあるものに見えたとしても、それを必要としない人も世の中にいる。わかろうとしないのは傲慢」

早口でそう言うと、それっきり花袋を見ようともしなかった。じっとテレビを見つめたまま動こうとしない。呼びかけても反応はなく、花袋は文庫本を持って部屋を出るしかなかった。


花袋の話を聞いた徳田は深い溜息をついた。隣にいた中野もやっちゃったねという顔だ。花袋としては何が悪かったのかわからない。ただ、自分が書いたものを読んでもらいたいと言っただけだ。それは多少強引ではあったかもしれないが、呆れられるほどではなかったはずだ。

「一言で言うと、司書さんの文学嫌いは根が深いんだよ」
「それにしたって、まさか小説に親を殺されたわけでもあるまいし」
「殺されたとは言わないけど……」

中野は口ごもって徳田を見た。徳田は頷いて口を開く。

「ひいおじいさんが小説書いてたんだって」
「小説家が身内にいるのに、なんで嫌うんだよ!?」
「いや、売れない作家で、家族に迷惑かけても他の仕事をしようとしなくて、小さい頃からおばあさんとかお母さんに小説なんてくだらない、そんなものに耽溺すると人生を棒に振ることになるって言い聞かされて育ったって話だよ。特務司書も何度か断ったらしいし」
「……どんな教育だよ」

その教育の是非はともかく、あれほど拒絶された理由はわかったような気がした。人間、ダメだと言われればやりたくなるもので、むしろ小説に手を出したくなりそうなものだが、名前の様子からしてそんなことはなかったらしい。
バタンとドアが閉まる音がした。普通に閉めればここまで音が響くことはない。徳田は溜息まじりに誰だよ騒がしい……と呟いた。

「そういえば、司書さんは大丈夫かな」
「さあ、朝の感じだと相当嫌がってたけど」

中野が思い出したように言い、徳田が答える。何の話だよと花袋が訊けば、特務司書の集まりがあって出掛けたのだと返ってきた。今までも集まりはあったが、本人が嫌がるから免除されていたものの、今回は重大な連絡があるらしく、館長にほぼ引っ張られるようにして連れ出されたらしい。

「あ、館長さん」
「ああ、ここにいたか。司書がぐったりしてるんで、あとは頼んだぞ」
「頼んだぞ、って僕らは世話係じゃないんだけど」

館長は肩をすくめ、俺はもう出るからと背中を向けて歩き出した。残された徳田と中野は顔を見合わせる。

「わざわざ言いに来るってことは、下手すると明日の仕事に差し支えるってことですかね」
「だろうね。行くしかないか」

司書室に向かう徳田と中野の後ろから花袋もついて行くことにした。ノックをしても返事はなく、徳田が入るからねと声を掛けながら開ける。薄暗い部屋、ソファーの上で名前は丸くなっていた。

「何?」
「司書がぐったりしてるから、って館長さんに頼まれたんだよ」
「別に……疲れただけ。人が多かったし」

膝に顔を埋めたままのくぐもった声だった。よほど疲れたのか。まあ、ほとんど引きこもりのような状態だから、外に出て、人に囲まれていただけでも疲れたのかもしれない。

「それならいいんだけど。欲しい物はある?今日はもう休む?」
「何もいらない。もう休む」

やっと顔を上げた名前は立ち上がった。そのまま眠るつもりなのか、自室の方に歩いて行く。と、不意に足を止めた。

「アルケミストなんだから、私みたいな人がいると思ったけど、みんな普通だった。あんな中に放り込まれるなんて、聞いてない」

言うだけ言って部屋に引っ込んでしまう。「普通」がどのような人を指しているかわからなかったが、少なくとも、名前のように転生した文豪の顔と名前も一致していないような特務司書はいなかっただろう。


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