青い世界が見えるかい?

黄色い表紙、定本青猫の文字、猫のイラストを眺め、そっと表紙を撫でる。図書館の本棚に当たり前のようにこの詩集はあった。ただ、もっと前に出た、堀がまだ学生だった頃に持ち歩いていた「青猫」は本棚にはないようだった。

「……ねぇ」
「ひっ……!」

集中していたせいか、突然声をかけられて、堀は飛び上がった。声のした方に目をやれば、堀以上に驚いた顔をした朔太郎が震えていた。

「ごめんなさい、驚いてしまって。大丈夫ですか?」

慌てて謝ると、朔太郎は無言でこくこくと頷いた。

「何かありました?」

今日の役目は終わっていたはずだが、急に仕事が増えることもある。司書に頼まれて、堀を探しに来たのかもしれない。

「何か読もうと思って探していたら、堀君がそれ、見てたから」

書いた本人に見られていたのかと思うと、少々恥ずかしい。しかし、思い返してみれば、ばったりあった朔太郎に、署名入りのこの詩集をもらった時にも同じようなことをした気がする。
転生したばかりの頃は曖昧だったはずの記憶は少しずつ確かなものになり、昔親しくしていた人と再会すると、その人との思い出が蘇ることもあった。

「なんだか、懐かしくて。萩原さんとも、お話ししたいと思っていたんです」

まだ文豪が数名しかいない頃に転生した堀と違い、朔太郎が転生したのはつい最近だ。その時の図書館には犀星や白秋、三好も既にいて、堀はなかなか話しかけられずにいた。
内気な性格もあるだろうが、そうでなくても第一会派に属している堀は比較的忙しいことが多かった。

「自分もゆっくり話したいと思っていたよ」

穏やかにそう返されて、堀は微笑んだ。文学を志すきっかけとなった朔太郎の詩。あれほど1人の詩人に傾倒したのは、あの時だけだったかもしれないと堀は思う。

「堀君は、もう詩は書かないの?」
「わかりません」

朔太郎の目に淋しげな色が見え隠れする。堀が詩を書いていたのは一時期だけで、その後はずっと小説を書いていた。詩を書いたことのない文豪は恐らく少ない。ただ、詩と小説を両方書き続ける文豪はもっと少ないかもしれない。どちらかを選ぶのが普通で、犀星のように長い間両方書き続けるのは、かなり珍しい。

「小説も全然形にならなくて……。萩原さんはもう詩を書いているんですよね。室生さんが嬉しそうに話していました」

話しながら、だからこの詩集を手に取ったのかもしれないと気付いた。自分にとってのはじまりは、この詩集だったから。

「君は変わらないね」
「え?」
「姿は変わったかもしれないけど、やっぱり変わらない。『辰ちゃん』のままだ」

どこを見てそう思ったのかわからないが、嬉しかった。そういえば、いつの間にか朔太郎もそう呼ぶようになっていたんだったと思い出す。懐かしい呼び方はどこかくすぐったい。

「姿形が変わっているから、知っていてもわからない人がいたけど、君はすぐにわかったよ」

朔太郎はおかしそうに笑う。堀が首を傾げてその様子を見つめていると、朔太郎はひどく優しい声で言った。

「いつも草花の匂いがするから。不思議だね」

ああ、何かこの人に言いたいことがあったはずだと焦りにも似た感情を覚える。でも、それは昔のことで、多分今言っても仕方がないことのように思えた。
朔太郎は堀にとって、最後まで遠い人だったような気がする。遠い詩人だった彼は、親しく交流するようになった後も、ふとした時に遠くに感じることがあった。
でも、転生して本棚に囲まれた場所で向かい合っている今は、朔太郎があの頃より近くにいるように感じる。

「僕が詩を書いたら、読んでもらえますか?」
「うん」

嬉しそうに頷く朔太郎を見ていると、どんな形であれ、また会えてよかったと改めて思った。
また詩集の表紙を撫でてみる。これをじっくり読もう。詩はまだ書けなくても、この詩集の話をしようと思うと、自然と顔がほころんだ。

170204
title by icy

堀さんが文学を志すようになったきっかけは「青猫」。それもあるけど、2人とも可愛いから、並べたら可愛いだろうなくらいの気持ちかもしれない。萩原さんも「辰ちゃん」呼びだったらしいけど、文アルのキャラ的に「堀君」の方がしっくりきたからそっちで。草花の匂い云々はもしかしたら違う人が言ってたかも…うろ覚え。


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