卵雑炊
ぐうと間抜けな音がして空腹に気付いた。ああ、夕食のことをすっかり忘れていた。食堂の営業時間はとっくに終わってしまっている。
空腹をはっきり自覚してしまったこの状態では、仕事が捗りそうもない。とりあえず、何か食べよう。

私くらいの年齢の女性なら、パパッと何か作れるのが普通なのかもしれないが、私には料理の才能がない。もう苦手とかいうレベルじゃなく、できない。おにぎりと目玉焼きがせいぜいだ。
空腹は最高の調味料である、なんて誰が言ったのか知らないけど、確かにおなかがすいていればたいていのものはおいしくいただけるわけで、今ならおにぎりと目玉焼きでも十分だろう。
ご飯残ってるといいなぁと思いながら歩いていると、ちょうど食堂に入ろうとしている志賀先生がいた。

「あれ、志賀先生?」
「ん、こんな時間にどうした?」

夕食を食べ損ねたのだと正直に答えようとしたが、それよりも早く、私のおなかが空腹を訴えて、志賀先生は吹き出した。

「腹減ったのか」
「……夕食を食べ損ねたんです」

真っ赤になっているであろう顔を隠すように下を向く。恥ずかしすぎる。

「こんな夜中だし、さらっと食えるもんでいいな?」
「はい……へっ!?」

思わず返事をしてしまったが、それは志賀先生が作ってくれるということだろうか。いや、さすがに文豪に料理させる司書ってどうなのよ。

「あんたは料理ができないって聞いたんだが、違ったか?」

誰情報だ。確かにおにぎりと目玉焼きくらいしか作れないけど。
思い返してみれば、食堂の設備が整っていない頃に、みんなで一緒に料理をしたことがあった。おにぎりを作る私に、手際が悪すぎるからもういいよ、とか言ってきた徳田先生あたりの情報か。

「……違いません」

色々複雑だけど、嘘をついたところでどうしようもない。作ってくれるというのなら、お願いしよう。

□ □ □


かつおでだしを取って、そこにご飯を入れる。おたまで軽くほぐして、弱火にする。煮込んでいる間に、ネギを切って、卵を割って溶く。よどみない動きに見とれてしまう。既にいい匂いがして、またおなかが鳴りそうだ。
醤油やらみりんやら味噌やらを入れ、また軽く混ぜる。溶いた卵を回し入れて蓋をする。

「よし、こんなもんだろ」

火を止めた志賀先生は蓋を開け、出来上がったらしい卵雑炊を混ぜた。適当な皿を出してよそい、ネギをのせる。

「あんたの腹が鳴る前に、さっさと食うか」
「恥ずかしいので忘れてください」

席に着くと、志賀先生はこっちを見ている。食べろということらしい。いただきますと手を合わせ、レンゲで雑炊を掬って口に運ぶ。
優しい味がした。どこか懐かしくて、幸せな味。ご飯と卵だけなのに、どうしてこんなにもおいしいのか。材料だけなら、おにぎりと目玉焼きと変わらないのに。

「おいしいです。優しい味がして、こう……身体に染み込む感じが」

志賀先生は満足そうに頷いて食べ始めた。志賀先生が料理好きなのは知っていたけど、こんなに上手いとは思っていなかった。もっと豪快な料理を想像していた。例えば、肉を炒めて、どーんって感じの……。

「志賀先生!料理を教えてください!」
「教えられるほど上手くないと思うけどな」
「いや、十分すぎるくらい上手いですから!」
「わかった、いいぜ」
「やった!お願いします」


こうして志賀先生は私の料理の先生になった。どうなるかわからないけど、ちょっと楽しみだ。

170211
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