何れその青に溺死する


※全体的に特殊設定なので必読をご覧になってからお読み下さい。


太宰はぼんやりと海を眺めていた。普段は一人での外出を許可されないことが多いが、最近は問題を起こしていないからと許された。夕日が沈んでいく……と、海の中に入っていく人影が見えてぎょっとする。
少し距離があるから、はっきりとはわからないが、若い女性が服を着たままざぶざぶと海に入っていく。いや、これはまずいやつじゃないかと思う一方で、死にたがっている人の邪魔をするのはどうなんだろうと思う。
何も関係がない人に、生きてればいいことあるよ、死ななくてもいいじゃないかなどと言われたところで、お前に何がわかるんだ、綺麗事を言うなくらいの感情にしかならないだろう。

「ああ……もうっ!」

色々な考えを振り切って太宰は駆け出した。少なくとも太宰は一人きりで死ぬのは嫌だ。それに衝動で死んでしまったら後悔することだってあるかもしれない。

水を吸って重くなりそうなマントは砂浜に投げ捨てて、太宰も海の中に入っていく。もし、海の前を他の文豪や司書が通ったら、血相を変えて太宰の腕を掴むだろう。
服が水を吸って重い。波で上手く歩けない。それほど深く考えずに海に入ってしまったが、下手をすれば自分も一緒に死ぬかもしれないと太宰は思い始めた。転生したこの体が溺れて死ぬようにできているのかわからないが。まあ、その時はその時だ。太宰はそれほど惜しいとは思わなかった。
ざぶざぶと進んで行き、女性の肩を叩いた。さすがに海の中で誰かに肩を叩かれるとは思っていなかったらしく、彼女は慌てて振り向いた。

「入水自殺は失敗しやすいし、かなり苦しいぜ」
「……はい?」
「どうしてもって言うなら、止めないけどな。お勧めはできない」
「……そう。じゃあ、今日はやめておく」

案外あっさりとそう答えた女性の腕を掴み、気が変わらないうちにと太宰は砂浜に向かって歩き出す。頭の中では、こんなずぶ濡れで図書館に帰って、どう言い訳をしようかと別の心配事が出てきた。川に飛び込んだんじゃないかと問い詰めらそうだ。人助けをしたと言ったところで信じてもらえるかどうか……。

「失敗しやすいし、苦しいって、もしかして経験者なの?」

さっきまで死のうとしていたとは思えないくらいに普通の顔で、女性はそう問うた。まあ、そうかなと太宰は頷く。正直、それほどはっきりと覚えているわけではないが、苦しかったのは覚えていた。

「私も全く苦しまずに死ねるなんて思ってないけど、死に損なうのは嫌かな」
「まあ、そうだよな。わかるよ、うん」

そこで女性は初めて笑った。さっきまでより幾分若く、幼く見えるような笑顔だった。

「面白い人。見ず知らずの他人を海に入ってずぶ濡れになってまで止めたのに、死ぬなとか言わないなんて」
「言った方がよかった?」
「言われたら、止まらないで海に沈んでた。あっ、一応命の恩人だし、名前聞いてもいい?」

本当に命の恩人だと思っているのかどうなのか、軽い調子でそう言う。

「太宰」
「太宰君ね。私は汐音。名字は嫌いだから教えない。呼ぶなら名前で呼んで」

◯ ● ◯ ● ◯


濡れたのは私のせいだし、一人暮らしで咎める人もいないからと汐音は太宰を家に招いた。一般人との接触はなるべく避けるようにと司書が言っていたことを思い出して躊躇したものの、服をどうにかしてもらえるのは助かるため、太宰はついていくことに決めた。
汐音の部屋はひどく殺風景だった。年頃の女性の部屋には見えない。可愛らしい小物も何も置いていない。
借りたサイズの合っていない服を着て、殺風景な部屋を眺めていると、自分は一体何をしているんだろうという気分になってくる。ざぶざぶと服を洗っている音がする。雨で濡れたならまだしも、海水に浸かった服をそのまま乾かすわけにもいかない。

「あ……」

不意に雨音がして、窓を開けてみれば、かなり強い雨が降っていた。雨に濡れたことにすれば問題ないはずだ。濡れたままの服を着るのは気持ち悪いが、怒られるよりはマシだ。太宰は自分の思い付きに満足したように何度か頷いた。

「寒くない?」
「ああ、俺帰るわ。雨で濡れたことにすれば良さそうだし。遅くなると心配されるんだよ」
「そう、わかった」

やはり汐音はあっさりしていた。しかし、微かに寂しげな表情が見えた気がした。

「あのさ、この近くの図書館わかるか?」
「図書館……?ああ、あの庭が綺麗な?」
「そう、それ。俺はあそこによくいるからな!」

とりあえず自分の居場所だけは伝えておくことにした。関わってしまった以上、放っておくのはどうかと思ったのだ。自殺願望がある女性と関わるなんて、反対されるに決まっているだろうが仕方がない。

「ねえ、太宰君」
「なんだよ」
「太宰君も死にたくなった時は、一緒に死のうか」

穏やかな声だった。それは太宰にとって甘美な誘いだった。以前友人に「今は一緒に死んでくれる女もいないんだから」などと言われたのを思い出した。

「……それもいいかもな」

ぽつりと答えたら、汐音は笑った。

170817
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