恐らく私は今日も死ねない


不思議な出会いから約一週間。もう汐音は来ないかもしれない、むしろあの後、気が変わって死んだのかもしれないと太宰が考え始めた頃、彼女は図書館に姿を現した。

「上手く死ぬのってなかなか難しそうだね」

太宰を見るなり汐音はそう言った。俺だって追い詰められると楽に華麗に死ねる方法がないか考えるけど、思い付いた試しがないと太宰は心の中で呟いた。

「でも死にたいんだ?」
「死にたいというか、生きてても仕方ないなと思って」
「ふーん、挫折でもした?」

汐音は気を悪くした様子もなく小さく首を横に振った。

「家ではずっと邪魔者だったし、早く片付けたいみたいで、近いうちに会ったこともない、知らない人と結婚させられるから、もういいかなって」

◯ ● ◯ ● ◯


ベンチに座った汐音は足をぶらぶらさせていた。太宰が色々質問しても、顔色ひとつ変えずに答える。他人事のようだ。
諦めてしまっているのだろうと思った。家で邪魔者扱いなのは、話を聞く限りかなり幼い頃からだ。どうしようもなくなって、もうどうでもいいやという気持ちになるのは太宰にも覚えがあった。

「他に結婚したい相手は?」
「……いないよ」

さっきまで何の躊躇いもなく答えていたのに、妙な間があった。話したくないことを聞き出すつもりはなかったが、少し引っかかった。

「俺は一人で死ぬなんて耐えられないわ」

そう呟いたら、汐音は首を傾げた。

「一人じゃないなら情死?男女の心中なんて、何時ぞの文豪みたい」

太宰はぎくりとした。「何時ぞの文豪」とは自分を指しているのではないかと思ったのだ。俺って有名だしなぁ……などと考える。

「汐音って本とか読むわけ?」
「え?……ああ、文豪って言ったから?ほとんど読まないよ。そういう人がいた気がするなって思い出しただけ。太宰君こそ、図書館によくいるってことは本好きなんだ?」
「まあ、読むけど……」

全く知られていないのは不満だったが、まあ良しとする。何かの拍子に太宰治みたいだと指摘されるのは心臓に悪い。それほど文学に関心がないのなら、多少ボロが出ても大丈夫だろうと安心した。

「人なんて簡単に死ぬもん。一緒にいたいと思ってても、簡単に死ぬ。それなのに、いざ死のうとしたら、案外難しい」

今までの淡々とした話し方とは違う、感情の込もった声だった。いつのことだかわからないが、そういう相手がいたのだろうと太宰は思った。好きな人を失ったことがあるのだろうと。
自分はこういう人を放っておけないのだという自覚も少しはあった。太宰自身、すぐ不安になるし、寂しくなるから、同じような気持ちを抱えている人がいると駄目なのだ。その人に頼れる人がいないとなれば、尚更そう。

「……仕方ないことなんだろうけど。全部変わっていくから。変わらないものなんてなくて、ずっと続いて欲しくても、終わっちゃうんだよね」
「そうだな」
「太宰君はどうして死にたくなるの?」
「そうだな……俺って駄目な奴だなって思う時とか、嫌なこと思い出した時とか、不安になって、もう死ぬしかないって思う」

幸せは多分、長続きしないのだ。太宰は今の生活にある程度満足している。嫌いな人もいるが、友人も尊敬する人もいて、衣食住が保証されている。でも、その生活がいつまでも続くわけではないとわかっているし、これからどうなるのか無性に不安になることがあった。
人間なんて誰だって、これからどうなるかわからず生きているのだろう。先のことがわからず不安で仕方なくなるか、楽観的に考えられるか、ただそれだけの差なのかもしれない。

「太宰君はたまに大人っぽい顔をするね」
「なに?かっこいいってこと?」

茶化すように言ったら、汐音は苦笑した。

「全部見透かしたような、わかってるって顔」

柔らかな風が吹いた。木々が揺れる。太宰は何も答えなかったし、汐音もそれきり口を噤んでしまった。

170817
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