楽しい実験
こんな夢を見た。
森の中に立っている。風で木がざわざわと揺れる。
「そろそろお腹が空いたね」
いつの間にか目の前には宮沢先生がいた。風に吹かれてマントがひらひらと揺れている。お腹が……と言いかけたところで、ぐうと間抜けな音がして、慌ててお腹を押さえた。
「あ!見て、お店があるよ!」
さっきまでは木しか見えなかったのに、先生が指差した先には建物があった。『西洋料理店 山猫軒』と札が出ていた。どこかで聞いたことのあるような名前だなぁと考えていると、宮沢先生は迷いなく建物に近づいて行く。
「先生、私、お金とか持ってないんですが」
鞄も何も持っていない。念のため上着のポケットに手を突っ込んでみたが、何も入っていなかった。
「大丈夫、ボクが払うから」
どう見たって子供にしか見えない先生にお金を出してもらうのは気が引けるが、お腹が空いているのは事実だから仕方がない。
『どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません』
硝子の引き戸には金の文字でそう記されていた。さっきの店の名前もそうだけど、何かが引っかかる。既視感とでも言うのだろうか、私はこの場所を知っているような気がする。
『当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください』
水色の扉に黄色の文字でそう書いてあった。頭の中で何かが噛み合った。「注文の多い料理店」それは本の題名だ。それも宮沢先生の。
ということは、私は本の中に入ってしまったんだろうか?有碍書の中?いや、入ることはできないはずではなかったか。
「早く食べたいね!」
宮沢先生は何も気付いていないのか、扉を開けて先に進もうとする。この料理店は私達が料理を食べるのではなく、私達が料理されて食べられるのだ。
幼い頃にその絵本を読み聞かせられて、泣いてしまったのを思い出す。絵が不気味だったこともあって、本当に怖かった。
「だっ、駄目です!ここは普通の料理店じゃないんですよ!」
「どうして?」
「どうしてって、先生の書いたお話でしょう!?」
澄んだ目をまん丸にさせて先生は首を傾げた。
「これから帽子に靴、あと尖ったものを外して、牛乳のクリームを塗ることになって、それで食べられちゃうんです!」
我ながら訳の分からないことを言っているが、逃げなくてはいけないのだ。このままでは危ない。それだけは分かっている。
「もう気が付いたよ」
「お客さん方、早くいらっしゃい」
どこからかそんな声まで聞こえてくる。ここが本の中だとして、本の中で食べられてしまったら、私達は図書館に、元の世界に戻れるのだろうか。
▲ ▼ ▲
「……いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか」
「あ、起きちゃったよ、けんちゃん」
新美先生がこちらを見ていた。ゆっくり瞬きをすると、見慣れた司書室の暖炉の前だった。手には読みかけの本がある。どうやら居眠りしてしまったようだ。
「まだ終わってなかったのに」
少し残念そうに言った宮沢先生の手には『注文の多い料理店』があった。
「……宮沢先生、それ読んでました?」
「そうだよ。どうどう?どんな夢を見た?」
「ほら、これは森の効果音!」
新美先生が小さな機械のボタンを押すと木々のざわめきが流れ出した。
「ええっと……」
「実験だったんだ。外の環境に影響された夢を見るって本に書いてあったから!」
「……どうせならもっと楽しいお話にしません?結構怖かったんですけど」
そう言ったら、宮沢先生と新美先生は顔を見合わせて笑い、大成功だと言い合う。悪戯好きの2人のことだ、より怖い不気味な本の夢を見せられてはたまらない。今後は司書室での居眠りは避けようとこっそり決意した。
180121
参考:宮沢賢治「注文の多い料理店」