どうか忘れてしまっていて


数年ほど前、突如として組織の情報が何者かに奪われた。
組織の末端の人間でも扱えるような、それほど重要かつ危険度の高いものでは無かったが、相当の人数のプログラマーを雇ってセキュリティを強化するこの組織のコンピューターがハッキングされ、情報まで奪われたのは初めてのことだったらしい。
その当時、零はまだコードネームを貰っていなかったため、詳しいことはよく知らないが、相当やり手だったらしい。
足跡も、あるにはあったとはいえ相手の正体を探る手立てにはなり得ず、組織は結局そのハッカーを捕まえることは出来なかったようだった。

それ以来、時々思い出したように、そのハッカーに情報をかすめ取られていくらしい。
ジンの機嫌がすこぶる悪い日は、半分の確率でそれが起きた時だ。
一体何者なのだろうか。
どう探ってみても、分かるのはそのハッカーがエルバッチャと呼ばれているのだということくらいのもので、他は何一つ情報を得ることは出来なかった。

現在はバーボンとしての仕事と、それのカモフラージュに、安室透としてポアロと会う喫茶店でアルバイトをしている。
このポアロの二階には、やたらと頭の切れる小学生のコナンが住んでおり、既にコナンには“本職”の方も知られていた。


(…ああ、もうそんな時期か)
ポアロの外に桜が散っているのを見て、ふと、双子の妹である涼とめっきり話さなくなったきっかけである高校の卒業のあとのことを思い出した。
小さい頃からやたらと大人びていた涼がボロボロと泣いたのは、あの時以外見たことがなかった。
本当に、心の底から嫌なのだと言っていた涼。
零自身、まさか自分が公安の、しかもゼロに所属し、潜入捜査をすることになるとは思ってもみなかった。
六年前の正月から、ある意味生存確認として実家に送っていた年賀状も書かなくなってしまった。と言うよりは書けなくなってしまった。
そのことに、一体涼は何を思ったのだろうか。怒っているだろうか、泣いているだろうか。
警察学校に入ってしまってからずっとだから、かれこれ10年ほどまともに話していないことになる。
涼の危うさは、頭のどこかで気づいていた。
零が死んでしまえば、彼女自身が言ったように、何をするか分からない。
今の零は、殉職者の名簿どころか、警察官の名簿にすら名前を載せることが出来ない存在だ。
だからこそ家族と連絡を取ることも出来ない。
突然連絡のつかなくなった零を、もし涼が死んでしまったと勘違いしたら____、
(…やめよう)
あの時、涼が未だに、零が警察官になることを認めていないのだと知った時、いらつくのと同時に、悲しくなった。
だからあの時、らしくもなく、わざと涼を突き放すような言葉を突きつけた。
これで納得してもらえればなんて考えて。
まさか、あれほどまでに、自分が涼を不安にさせていたなんて、思いもしなかったのだ。
「安室さん?安室さん!」
ぼんやり思考にふけっていたら、目の前から声をかけられた。
そちらを見ると、カウンターに座ったコナンが、手のひらをこちらに向けてひらひらと振りながら、安室の方を見ていた。
「…あれ、コナンくんじゃないか。どうしたんだ?」
「どうしたって…僕はお昼ご飯を食べに」
「蘭さんたちはどうしたんだい?」
「出かけ先で事件があって…蘭姉ちゃんと小五郎のおじさんは事情聴取で残ってるよ」
珍しいものだと安室は思った。
あんなに進んで事件に関わっていき、すぐさま推理を組み立て、解決に導いていく。彼が、最後まで事件を見届けずに一人で戻ってくるなんて。
何かそれ相応の理由があるはずだ。
「…何かあったんだね?」
よほど急ぎのことなのだろうかと、声を潜めて安室はコナンに問いかけた。
「いや…急ぎっていうか、ちょっとした疑問みたいな。もし合ってるなら、気をつけた方がいいだろうなって思って」
「疑問?」
首をかしげて先を促す。
「今日ね、事件現場で見つけた暗号を、僕よりも先に解いちゃった女の人がいてね」
「それは…凄いな」
「それで、お話したいなって思って、名前を聞いたんだ。…聞きたいんだけど、安室さんて、お姉さんか妹、いたりする?」
まさか、と軽く目を見張った安室に、コナンはコクリと頷いて見せた。
「降谷涼さん。その人、そう名乗ってたんだ。だから、もしその人が安室さんのきょうだいなら、ここら辺に住んでるらしいから、気をつけた方がいいだろうなって思って」
蘭姉ちゃんたちがいると話せないでしょ?と苦笑したコナンに、安室は苦笑して頷いた。
まさか、この近くに住んでいたとは。
年賀状のやり取りから、大学在学中に涼が一人暮らしを始めたらしいということは知っていた。
彼女も自立したということだろう。
決して公言することの出来ない仕事に就く兄の代わりに、家族を支えてやってくれ。

その時安室の携帯に、一通のメールが入った。


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