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なるほど、1週間を予定してこちらに来て欲しいと指示されたのは、これが目的だったのか。
既に前払いしてしまっているホテル代のせいで、私はこれからあと6日間、アメリカに滞在しなければいけない。
そうだ、よく良く考えればあと3日で年を越してしまう。
そんなことも考えず、私は日本を飛び出してきていたのだ。
流石に、1週間をこのホテルに篭って過ごすのはもったいない。引きこもりだけど、せっかくなら色々なところを見て回りたい。
両親へのお土産も買いたい。「就職してくる」だなんて行って結局、就職しないどころかバイトすら失って帰ってくる娘からの、ささやかな謝罪の気持ちだ。
新卒採用に乗り遅れた私があのバイトを失ったら、完全ニートになってしまう。日本に帰ったらすぐにでも新しい職を探さなければ、本当に本当のクズになってしまう。
零はとっくに立派な国家公務員、対して私はバイトすらしていないニート。
とんでもない差である。
とはいえ給料のよかったバイトのおかげで当分は一人暮らしの生活には困らないだろうから、バイトはゆっくり探すことにする。
死ぬ前…便宜上前世とでも呼ぼう、前世では何度かアメリカに飛んだことがあったが、そのどれも例のファミリーを潰してやるための細工のためだったから、ろくに観光などしたことは無い。
考えるまでもなく、シェーラの頼みに対する私の答えはNOと決まっていたので、何も考えることなく、私は3日間を過ごし、柄にもなくニューヨークでカウントダウン、年越しを過ごしてみたりもした。
「…さすがに疲れた、飽きた、日本食が恋しい」
滞在4日目。
一応精神的にはイタリア人のはずだが、肉体は日本人、2度目の生まれと育ちも日本。加えて引きこもりには、3日ですら海外の観光は堪えた。
そう言えば、こちらが1月1日になったのだから、日本ではもうとっくに1日の午後になっているんじゃないか。
零からの年賀状は届いただろうか。あいつはいつも律儀に、きちんと1日の朝に届くように年賀状を出す。実家にだけ、私が一人暮らしをするアパートには来ない。当然だ、連絡を取らないのだから、住所を知るはずもない。
だから実家からも、送られてきた住所に同じように年賀状を送り返す。
私は携帯を開き、実家に電話をかけた。
「…もしもし、母さん、涼だけど。…うん、…うん、大丈夫、元気。…それでさ、零の年賀状なんだけど、届いてる?なんか気になっちゃって」
なんとなく、本当になんとなく。
いつもなら私から実家に「零の年賀状は届いた?」なんて電話を入れることは無い。
母がいつも、今年も届いたよ、とメールをくれるからだ。
それが無かったからなのか、所謂双子の神秘的なあれなのか。
私の問いかけに、母は不安げな声で、届いていないと、そう答えた。





母の答えを聞いて、私はぞわりと背筋が凍った。
一瞬にして、体のけだるさは忘れた。
それからただひたすら、私は走った。電車を待つ時間ももどかしく、乗り換えですら走った。
たどり着いたのは4日前も訪れた、シェーラの所。真夜中だったけれど、家の前まで来て私がシェーラに電話をかけて、「今すぐ私を中に入れて」、と言えば、シェーラは心做しかうれしそうに私を中に入れてくれた。
「私が今すぐ使えるパソコン、貸してほしい」
「え…」
「早く、お願いだから」
「…わかったわ。…こっちに来てちょうだい」
シェーラは訳も聞かず、すぐに私にパソコンを1台、貸してくれた。
「ごめんシェーラ、絶対、絶対足跡は残さないから、このパソコン貸してね。どうしても今すぐ確認しなきゃいけないことがあるんだ」
シェーラが戸惑いつつも頷いたのを確認して、私はすぐさまキーボードに指を走らせる。
他所のパソコンに忍び込むなんて、20以年上してこなかったから、鈍ってはいないだろうか。
いいや、やってやる。やらなければいけない。
「ちょっ、涼、あなたそれ…!」
私が忍び込んだのは警視庁及び警察庁の名簿。
降谷零、その名前一つを探して、私は、指と目を走らせる。
けれど、無い。どこにも無い。
ひゅ、と喉が鳴る。
震えだした手を無理やり動かして、そのまま他のページ…殉職者の名前が載ったページに目を通す。
鼓動が速まって、今すぐにでも目を閉じたかった。もしもそこに零の名前があれば、一体私はどうすれば…
「…、ない…?」
そんなはずはない。
零は確かに、警察官になったはず。
それなのに、どの名簿にも降谷零の3文字は見当たらなかった。
「シェーラ…日本警察で、突然名簿から名前を消される状況なんて…あると思う…?」
侵入した足跡を念入りに、何事も無かったかのように消し去りながら戻って、ポツリと私は呟いた。
「…諸事情で、日本警察については多少調べたことがあるけれど…考えられるのは恐らく…、公安警察への所属、かしら」
公安警察。
確か、そうだ、テロ対策だとか、潜入捜査だとかを行っている、普通の警察官とはまた違った人たちのことだ。そして彼らは、公安警察になるとき、警察名簿から名前を消される。
つまり。
「だから言ったんだ…!!」
警察官になってろくなことなんてないんじゃないか、零が誰か知らない人のために命をかけることなんてないんじゃないか。
警察官として、自分の意思で、例えば身を呈して誰かを守って零が命を落としたというのなら、私は誰にも復讐することは出来ないだろう。だれも悪くは無いのだから。
でも、万が一、零が潜入捜査を命じられたとして、そこで命を落としたのなら。
それが零の納得したことであったとしても、私は潜入捜査を命じた警察を許すことは出来ないだろう。


零を、絶対に死なせたくなんてない。

ならば、するべきことはなんだ?


「シェーラ」
私はパソコンの電源を落として、立ち上がる。
シェーラは私よりずっと背が高いから、もしかしたらこの時、私は下から思い切り睨みつけるようにシェーラを見ていたかもしれない。
「私は、多分、1人でクラッカーなんてやっていたら、周りが見えなくなってすぐに殺される。そういう危機管理ができない。…、シェーラの復讐に力を貸すよ。だからお願い、私をこの組織の一人として匿ってほしい。私は私で、確かめたいことと、場合によってはやりたいことが出来たから」
私の勝手なお願いに、シェーラは少し目を閉じて考えた。
そりゃそうだ、先日あんなにきっぱりと断っておいて、こんなムシのいい話し、誰が聞いてくれるというのだ。
それでも今、私にはこうするしか手段がない。
私が手に入れたいものは、零も私も生きている未来なのだ。
「…わかった。そのお願いと私のお願い、それで取引にしましょう」
この名前は、私自身がハッカーだなんて良いものではない、雑草のようなクラッカーであることを、自覚し続けるためのものだ。
「この組織では一応、それぞれあだ名みたいなものをつけるの。コードネームって訳では無いけどね。この組織の人間は基本的に世界中に散らばっているから、本名を教え合う機会はあまりないわ。涼、あなたはなんて名乗る?」
望む未来を手に入れられるのなら、私はもう一度、喜んで雑草にでも、何にでもなってやろうじゃないか。

「エルバッチャ、って呼んで」



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