斎藤は次の水曜、そっと屯所を抜け祇園まで来ていた。

 目的はずばり土方であった。土方は今日も未の刻過ぎに屯所を出掛け、まだ戻っていない。
 お節介かもしれぬが、沖田が「なんやて!そら探りを入れなしゃーないやないか……せやけど今週の水曜は一番隊が屯所守りやからワシは出られへん!!」等と喚き、「はじめちゃん頼むからワシの代わりに行ってくれ!!」と泣きついてきたので斎藤は致し方なく出掛けたのであった。
 土方の尾行をしている訳ではないが、夕刻過ぎに祇園をぶらつけばきっと捕まるだろうと踏んでいた。

 そして斎藤は酉の刻あたりにようやっと土方の居処を突き止めたのだった。

 土方は料亭にいた。
 揚げ屋で女遊びでもしているのかと思っていた斎藤には、これは予想外のことであった。女将に話を聞くと毎週ここで一人で深酒をしているらしい。斎藤は土方が心配だから、と託けそのまま座敷にあがった。



「……斎藤くんか」

 土方は既に目が座っていた。

「土方。毎週ここで飲んでるんだな」

 土方は最早驚いた様子も見せない。

「ああ。……斎藤くんも、どうしようもない気持ちの時は、飲むだろう」

「飲むけどな……。あんたは毎週水曜日にどうしようもない気持ちになるのか」

「そうだ。伊織さんがな、」

 どうやら歯止めが効かないようだ。土方はそのままベラベラと話し始めた。

「俺の歌を添削してくれるんだが、とても可憐で、かわいくて、思慮深く、文も達者で……ああ、なんで俺は勉強をしてこなかったんだ」

 土方は右手に盃を持ったまま、眉を顰め淡々と語っていく。
 それは剣を振るっていたからだろう、と斎藤は思ったが、己も何故こんなに難しいことがわからぬのかと考えたことがある。気持ちはわからんでもなかった。

「唇が」

「?」

「唇が動く度にその唇を奪って押し付けてしまいたいと考える……。俺は所詮言葉で伝えることはできないんだ」

 なるほど、土方は筆舌を尽くして思いが伝わらないことを嘆いているのか。

「近藤さんの馬鹿、なんで伊織さんを紹介したんだ……。お父様も知っているから手も迂闊に出せん……」

 最早土方の語りは止まらなくなっていた。

「もう添削なんぞ、行きたくない。私は伊織さんにお逢いするのが辛いんだ。顔を合わせて話す度に伊織さんが俺のことを何とも思っていないとまざまざと見せつけられるようでつらいんだ。来る夜も来る夜も伊織さんのことを考えて眠れない。職務に支障が出るんだ。俺にどうしろって言うんだ」

「お、おい、副長」

「やめてくれ。私はもはや副長なんかじゃない。ただの多摩の百姓だ。あんなに高貴なお方とお付き合いなんてできる筈がない」

 ワッと泣き出しそうな勢いだった。
 そっと土方の手元を見遣ると、一升瓶が既にすっからかんの状態で転がっていた。

「斎藤くんは女性と付き合ったことがあるか」

「……あ、ああ」

「そうか……。その、どうしたらいいんだ。俺は」

「いや……」

「今まで雰囲気で見知った振りをしてきたが、正直他人とこうしたいああしたいなどという感情が共有できるとは思えない。長年連れ添った近藤さんでさえ何を考えているかわからないことの方が多いというのに」

「……」

「だから伝えなくていいと思っていたんだ。……思っていたんだ。思っていたのに!!」

 そのとき急に土方が立ち上がり、戸に向かってズンズンと歩くと、ピシャッと開け放ち「女将!酒!!」と叫んだ。

 これには流石の斎藤も面食らってしまう。

「土方、酒はそろそろ辞めた方が」

「斎藤くんもそんなことを言うのか。許さん。そこに居直れ。たたっ斬ってやる」

「お、おい」

 土方がふらついた足取りで刀に手を伸ばした瞬間、女将が新たな瓶を持ってきた。

「あ。すまんな」

 そのままくるりと回り一升瓶を受け取ると、またピシャリと戸を締めた。隙間からとても心配そうな女将が斎藤に目配せしていて、斎藤は気が気じゃない。

「まあ、ほら、斎藤くんも飲むんだ」

 抜刀なんてされたらお店にも迷惑がかかる。ここは早めに酔い潰してしまって背負って屯所に帰ろう。
 そう腹をくくった斎藤は升を差し出した。

「しかし土方」

 うっかり副長と呼ぶとまた何か始まりそうなため、土方、と呼んでやる。

「なんだ、斎藤くん」

「どうせ酒を飲むなら、俺なんかとじゃなく、その伊織さんとやらと呑んだ方が楽しいんじゃないか」

「……なんだと」

「誘ってみたことはあるのか」

 土方は暫し静止した後、

「ない」

 と答えた。

「無いのか。誘ってみればいいのに」

 そう斎藤が言い終わるか言い終わらないかのうちに、土方はたしかに、と口走った。

「え?」

「考えもつかなかった。やはり斎藤くんは面白いな。ではそうしよう」

 そう言い切ると、一升瓶を投げ捨て戸を開けて土方は飛び出していった。
 玄関先で派手に転んだのか、心配そうな女将の悲鳴が聞こえる。


 まさか今から実行に移すとは思ってなかった斎藤は、暫く土方の飛び出した襖を見つめていたが、何も聞かなかったフリを決め込もうと、忘れるために残った一升瓶を開けたのだった。










 それから後のことは、もう屯所では皆が見知っていることになってしまった。

 どうやら近藤さんは初めから二人をくっつけるつもりで会わせていたらしい。伊織さんは時々屯所に差し入れの大層美味しい手作り料理を持ってくるが、隊士が受け取ると土方さんが拗ねて機嫌を悪くするので、絶対に土方さんを呼ぶようにという話が出回った。

 それから土方さんの歌が非常に不味いということも隊士の多くが知るところとなってしまった。
 伊織さんとお付き合いするうちに歌を詠むのがより好きになったらしく、土方が不意に口にすることが増えたのだ。
 笑ってはいけない。笑ってはいけない、と、隊士も必死の様子である。井上さんだけが、毎回いい歌だ、と褒めるので土方も図に乗っているようだった。


 しかし土方のあの晩の荒れっぷりは、後に確認しても土方自身はあまり覚えておらず、斎藤も他の人に話すのが憚られたため、沖田にも話せず ずっと斎藤の胸のうちに秘められている。




Fin.