仙台は東北では最も大きい都市だといわれているが、駅から20分も歩けば小高い山にたどり着く。東西に走る道路はだだっ広く、静かだが夜でも大きなトラックが国道をしきりに往来している、そんな街だ。八月七日、七夕のような大きなイベントの時はごった返す往来も、この時間になれば終電がとっくに車庫に入りきって眠っているだろう。
午前1時。
龍司はそんな街の駅から少し車を走らせたところにある綺麗過ぎない小ぶりなマンションで、贅沢とも質素とも呼べない暮らしをしている。東北は大阪に比べるとべらぼうに家賃が安かった。
なにやら不祥事のニュースばかりを繰り返す深夜番組を流していたが、そろそろ寝ようかという頃だった。龍司の携帯が、連絡を受け取ることが少なくまだ聞きなれぬ着信音を奏でた。
こんな時間にいったい誰だ。ディスプレイを覗くと、どうやらそれは公衆電話からのようだった。……出なくてもいい。公衆電話からの深夜の電話なんて、取ったが最後、はいそうですかと短く終わらせて入眠できる筈がない。しかしそう訝しむ自分より先に、取らねばならぬと使命感に狩られた自分が携帯を手に取る。
「もしもし」
「……」
沈黙が返ってきた。
「誰やねん。……切るで」
そう、言い終わらないうちに、相手の吐息が聞こえた。
「龍司」
全身の毛が逆立った。
「桐生……。桐生はんか」
一度携帯を離してディスプレイを確認する。もしかしたらこれは黄泉の国と繋がっているのかもしれない。しかし表示は先ほどと同じ、公衆電話だと教えてくれているだけだった。……こちらからはかけられない。
「桐生、あんた、生きとったんか」
思わず立ち上がり、窓を開け放つ。
夏と言えど、夜はひんやりと身を締めるような、そんな寒気が部屋に流れ込んだ。
窓から見下ろす景色は、何らいつもと変わりない。おかしなものと言えば、自分の名を呼ぶ声の持ち主だけだった。
「ああ。……生きている」
生きている。
「生きてるてあんた……」
生きている。
「久しぶりに、会いたくなってな。……いま、どこに住んでるんだ?」
止まったと思っていた時計の針がカチカチと動きだし、龍司を急かすように猛スピードで回転を始めた。
「……仙台や。仙台。伊達政宗の」
「仙台か。そう遠くないな。……明日、空いてないか」
「何、言うとんのや」
「……忙しかったら、」
「忙しない。ええで。何時頃駅に着くんや。迎えに行くで」
「そうか……わるいな。だったら、昼の1時でどうだ? 仙台駅に向かえばいいか?」
チャリ、と向こうから音がした。
公衆電話からなら、早めに切らなくてはいけないだろう。――ここで逃しては全て無かったことになってしまう。そんな気がして、龍司は早口で捲し立てた。
「仙台駅でええ。いま仙台駅の中にでっかい七夕のボンボンが下がっとる。見たらわかるさかいその下ででも待っといたらええわ」
「わかった」
「……桐生」
「なんだ」
「いや……何でもあらへん」
「……そうか。じゃあ、明日」
「おう。ほな」
ガチャン、と今度は重めの音がした。
ようやっと耳から携帯電話を話すと、余程押し付けてしまっていたのだろう、耳がジンジンと痛んだ。
明日じゃない。もう「今日」ではないか。……いや、今日の話なのか明日の話なのか、桐生が意図していたのはどちらなのか。龍司が確かめる術はもう無い。
今日も明日も、待てばいい。
たこ焼き屋はおやすみだ。
開け放ったままの窓を、カラカラと閉める。鍵をかける。カーテンを、閉める。動作の一つ一つを実感として確かめても、まだ桐生から電話がかかってきたことだけ浮ついて確証が持てない。
桐生一馬が死んだ。
その噂は半年以上前、お節介な元部下から電話で知らされた。「そうか」しか言えなかった龍司に、相手も「そうです」としか言わなかった。
証拠も無いが、人が死ぬときは案外そんなにオオゴトにならないと考えていた龍司には、ただ一錠薬を飲まされたような情報だった。小さな塊が、喉を通り消化され、やがて己の肚へと染みわたっていく。受け入れる受け入れないではなく、ただ飲み込み、侵食していくものだった。
生きている。
それを知ったいま、飲んだ筈の錠剤を吐き出す必要が出てきた。
とにかく明日の1時。
龍司は早々に支度を整え、床に就いたのだった。