もっと痛くしてくれと繰り返す桐生は、やはり何かが壊れた後のようだった。

 龍司はのそりと桐生の上へ覆いかぶさると、腕を立てそのまま桐生を覗き込んで見下ろした。何かに怯える桐生とは相対的に、龍司は穏やかな目をしている。
 そのまま口元へ優しく口づけると、首を唇でなぞり、鎖骨の上を強く吸った。
 ピリ、とした小さな痛みが走り、桐生は少しだけ表情を歪めた。

「いま痛くできるんはこれくらいや」

 昨日見た前髪を下ろし色気の強いライオンだ。

「あんた、痛みに慣れすぎや。……もう、そないなことせんでええ」

 そう龍司が放った言葉に、とうとう桐生の涙腺が決壊した。
 龍司は桐生の肩を持ち上げ起こすと、座ったまま子供をあやす様に自分に体重を預けさせた。

「俺は……もういない」

「……そうやな。……せやけど、わしゃあんたの名前なんて関係ないんや。別に誰でも……あんたなら、ええ」

 抱きかかえるように背中を擦り、自分の肩が桐生の涙で濡れていくのを受け止めていた。

「もう失うものなんて何もあらへんやろが」

「違う。ちがうちがう。あんたがいる……」

「……あんた、手放し過ぎや」

 ちゅ、と一度桐生の肩へ口づける。
 桐生は変わらずひぐひぐと嗚咽を漏らすばかりだった。

「……わかったわ。あんたは自分が死ぬより、大切な人が死ぬ方がこわいんやな。……そんならこうしよか。わしが死ぬ前に桐生はん、あんたを殺したるわ」

「……」

 桐生の嗚咽が、僅かだが治まった。

「わしなら安心ですやろ?」

 コク、コクと左肩が揺れた。
 ええ子や。龍司はもう一度ぎゅっと桐生を抱き締めなおした。


「ほなら、痛くするんはもうやめよか。……明日はピクニックに行くで」

 思わず笑ってしまった桐生は、泣いているのか笑っているのか、ぐちゃぐちゃになってしまっていた。ただ、心が満たされて、いっぱいいっぱいになっているのを感じていた。


 窓の外の雨は、いつの間にか止んでいた。










 §



 次の日、桐生と龍司は宣言通り、ピクニックに来ていた。
 昨日が雨だったせいか、昼過ぎに訪れた公園は青々としていて、まだ少しだけ土が柔らかい。
 しかしそんなことはお構いなしに、二人は即席のビニールシートを広げ、その上に座った。

 お弁当は、何故か朝早く起きて龍司が作っていた。包みを開けると、大きなおにぎりが4つ入っている。

「これは何だ」

 桐生が指差す。

「梅干しや」

 桐生は露骨に顔を顰めた。龍司は口の中でだけ笑みを零した。

「これは」

「それも梅干しや」

「……」

 ニコニコとしてしまう。……しかし桐生は諦めていなかった。

「これは」

 別のおにぎりを指差す。

「それは唐揚げや」

 桐生の目が輝いた。とうとう耐えきれず龍司は笑いだしてしまう。

「これも唐揚げや。桐生はんは唐揚げふたつ食えや」

 ぽいぽい、と桐生に唐揚げのおにぎりを手渡した。……残りは家においてきた。帰ったらまだある。

「龍司。ありがとう」

「ええで。わしゃ梅干しが好きなんや」



 すべて手放さなくてもいい。
 時々思い出して、泣いてもいい。


 桐生が桐生のために生きる今日からを、自分も自分のために支えていけたらそれでいい。








 10年を経て、ふたつの龍が落ちる物語。





Fin.