真島さんが化粧品売り場に来る頻度は、あれから少し落ち着いていた。

 本業が何なのか……あの剥き出しの刺青を思えば簡単だが……まあ考えると怖いのでやめるけど、その本業が忙しくなったか、お化粧に興味がなくなったか。私も気にしているわけではないのだけど、たまに真島さんに似合う色の化粧品を見つけては、真島さんのことを思い出していた。女性に似合うメイクと男性に似合うメイクはちょっと違っていて、興味深いと思い始めてしまっているだけだと思う。



 そんなことを考えていたある日。帰り際の夕方の空が一気に暗くなって、何かと思っていたら土砂降りの雨になった。雲の動きが速いのか、遠くの方で雷が聞こえる。

「あれ……ゴロ美さん?」

 デパートから駅への帰り道。雨宿りしているゴロ美さんを見つけてしまった。

「お久しぶりです……わ。酷い顔」

 言った直後に流石に失礼だったな、と反省した。怒られるかなと思ったのに、ゴロ美さんはわかってる、というように瞼を一層重たく被せて俯いただけだった。真島さんのこと、私はきっとまだなんにも知らないのだけれど、らしくないということは判る。……罪悪感だけ雨と一緒に私の傘を打っていった。

「伊織ちゃんか。……雨で出られんなってしもた」

 そう言いながら真島さんは、ぶるぶるっと細かく震えると己の肩を掻き抱いた。ゴロ美のドレスはあまりにも露出が多くて、濡れた身体にそれだけ纏う彼女はあまりにも寒そうに見える。それだけじゃなく、例のキリュウさんと喧嘩した後なのか、大小さまざまな傷、ウィッグは解れ、メイクは流れ落ちている。――満身創痍。


「……ちょっと、傘、持っててもらえませんか」

 思わず同じ軒下に入ると、傘を押し付けた。上着を一枚脱ぐと、バサ、と大きく開いてゴロ美さんの肩へ乗せた。近づくとよりわかる真島さんとの身長差に一瞬狼狽えたけど。背伸び。背伸び。……彼女がこれを着たって、まだ私の方が厚着だ。

「あかん、汚れてまうわ、」

 傘とハンドバッグで手が空かずに、隣の私を見下ろしながら悲しそうな顔でゴロ美さんが言った。

「ゴロ美さんこそ、風邪ひきますよ」

 二人で並んで暗くなった通りをただ見守る。雨は大きな音をたてて新宿中のアスファルトやら金属やらにぶつかっては、細かく泥を跳ね上げている。

 ふと、私がこのまま居なくなっても、誰にも探せやしないだろうな、という考えが浮かんだ。


「ゴロ美さん。寒いですよね。とりあえず温まりましょう。……うち来ます?」

 雨の中走っていく若者を目で追いながら、高低無くそう提案した。真島さんも同じ様にボーッとしていたのに、急にこちらを見下ろして、何も言わずに暫く黙っている。

「電車で二駅なんですよ。まあ……タクシー捕まえようと思いますけど」

 どうですか? と横を見遣ると、相変わらずお化けのような顔をした真島さんが真剣な表情でこちらを見ていた。思わず笑ってしまいそうになる。

 真島さんは何か言いたげに口を開けたけど、その次の瞬間には寒さで身震いをしていた。

「……ほんなら、ええか? ……すまん」
「勿論ですよ。雨で震えている女性を見捨てられません。……さ、行きましょう」

 二人で一つの傘の中、縺れるように通りへ歩き出す。

 タクシーは思っていたより早めに捕まった。





 タクシーの車内で真島さんの携帯が震えていたのに、それに気づかない振りをして彼がずっと窓の外を眺めていた以外は、特に何も変なことは無く我が家へ辿り着いた。

 玄関で待っていてもらい大きめのバスタオルを渡すと、真島さんは幾分か安心したような顔をした。……それにしても、露出が多い。ヒールも高い。

「お風呂すぐ沸かしますから、とりあえずウィッグ取ってメイク落としてください。あー、着れる服あるかな……」

 玄関でぽかんとしている真島さんに、クレンジングオイルを押し付ける。真島さんが着られるサイズの服なんて、ダボダボのパーカーしか思い浮かばない。……というか、下着とかどうするんだ。早速困ったぞ。


「ああ……あんまし気ぃ遣わんでええからな。服さえ乾いたらすぐ帰るわ」

「んー……? まあ。はい。でも、お風呂は入ってくださいね」

 沸かし損には、したくないんで。




 お風呂から出てきた真島さんは当然ながらただの成人男性で、眼帯をつけた黒髪の男がタオルをほっかむりながら出てくると、数秒私の心が固まった気もした。
 それでも、別に後悔はしていない。

「服、とりあえず大丈夫ですか?」

 真島さんがお風呂に入った隙に、近くのコンビニまで走って男性モノの下着だけ買ってきた。オーバーサイズの服を押し付けたけど、真島さんが着るとぴったりというか。少し小さいというか。

「あ、ああ。ほんまにすまん」


 先ほどざんざと降っていた雨は峠を越えたようで、音は幾許か落ち着いている。

「紅茶飲めますか? 座って少し落ち着きましょう」

 テーブルの向かいに今しがた温めたカップを置く。真島さんはリビングに入りかけたところで、呆けたようにゆらりと立っているだけだった。


 少し、甘やかしすぎているかもしれないとここで初めて気づく。……真島さんが、どこかで断ってくれると信じていたのかもしれない。