桐生さんにはその昔、心の底から愛した人がいた。

 幼い頃から施設で二人はずっと一緒だった。性格は違えど自分の半身のようで、希望も欲望も、苦しみも彼と共有して生きてきた。彼のためなら人生を捧げてもいいと思った桐生さんは、彼の代わりに10年のムショ勤めまで耐え抜いた。しかし出てきた桐生さんを待っていたのは、心の支えを失い傷を剥き出しにして狂乱した、愛する彼だった。

 言葉で解決したわけではなかった。彼は桐生さんを守るために命を落とした。後にも先にも、桐生さんにとって最愛の人だったのだろう。
 二人は一つでなければ、血を流し続けるのだった。

 それから人を好きになっても、ふとした瞬間に彼のことを思い出してしまい続かないのだという。
 女を引っ掛ける技術は彼の方が長けていたようで、その姿を思い出せば自然に動けた。したい時に奪ったり捨てたり、時に遠ざけて修道女のように振る舞ってみたり。しかし性欲のために女を抱いても失望しかなく、また、桐生さんは男性にもモテたが……そちらは逆に彼のことを思い出して嫌悪感で何もできないのだという。

 そんなことを、ずっと繰り返してきたんだろう。

 あるものは全て手に入れられるのに、
 一番欲しいものは絶対に手に入らない。


 桐生さんはいつの間にか、ふとした瞬間に闇に囚われ、何もできなくなるのだと言った。

 私のことは、好きだと。

 ただ、彼のことが忘れられない。誰かを好きになると、後ろめたい。続くかも不安で、こんなに無責任な事は無いと思うが……でも、私を今までの女性のようにヤリ捨てるのだけは嫌だと感じた。



「情けねえ……」

 そう呟いたまま、ギュッと私を抱えた。

 外では鳥が啼いている。


 今度は私が桐生さんを覗き込む番だ。


「……私を、手篭めにした感触はどう?」

 グ、と桐生さんが唸った。
 ちょっと意地悪だったかな。

 桐生さんの苦痛は、消えることはないだろう。

 私が消そうとも思わない。

 消せるとも、思えない。


「私、桐生さんのすぐ側に男の人がいるの、感じるよ」

「……」

 少し驚いたのか、息を飲むような沈黙が聞こえた。


「私は、桐生さんのこと、好きだよ」

――桐生は俺が好きなんだよ。お前に立ち入る隙なんて、

「まあそうね、あんたには敵わないよ」

 今度ははっきりと桐生さんが驚いた。私が何を言っているのか、一生懸命汲み取ろうとしている。

「でも、別に敵わなくても、私は生きているし、あなたは死んでいる。 桐生さんが望めば、私は桐生さんに抱いてもらえる」

 くしゃ、と桐生さんの顔が歪んだ。
 何を言っているのかわかったらしい。
 「彼」が苦しんでいるのか、桐生さんが苦しんでいるのか、桐生さんは声を漏らして静かに泣いていた。


 私ももうそれ以上は何も言えなくなって、彼らの苦しみに寄り添おうと、桐生さんを抱きしめてそっと胸に口づけすることしかできなかった。