谷村正義が生活安全課から捜査一課に移り、3ヶ月が経とうとしていた。相棒としては頼もしすぎる伊達さんとの捜査、捜査に次ぐ捜査。見込まれてシゴトをするのは正直厄介だが、趙さんやメイファ、それに亜細亜街の皆のような、弱きものを救う父親のような刑事になりたい。その意志は事件を越え、杉内さんや久井さんの死を越え、より強固なものとなり谷村を衝き動かしていた。
 実際谷村の分析力やセイギ感は捜査においても遺憾なく発揮され、伊達は隣りにいながら後輩が組織から必要とされていくのを感じていった。

 ――要は、忙しかったのだ。

 事件で出会った秋山については、伊達がニューセレナによく顔を出すため、時々階段を上がり茶々を入れていた。秋山はスカイファイナンス内に居ないことも多かったが、花ちゃんにお土産を渡すだけで関係性が保たれている。
 しかしあの二人はどうだろう。桐生は沖縄に戻ったと聞いている。東京で会うことはそうそう無いだろう。冴島は晴れて東城会直系冴島組組長を襲名した。……警察官の谷村とは、連絡をとる方が難しいだろう。せっかく見知った仲なのに、もう話すことは叶わないような、そんな隔たりを感じる。

 いい人だった。熱い人だった。素敵な人だった。
 でも、それだけで一生会わなくなる人間はごまんと居る。彼もその一人だっただけだ。

 事件の最中一度だけ、猫を追いかけている冴島を見かけたことがある。不思議な人だと思った。
 ……なんで連絡先、聞かなかったかな。

 そんなことを思い出しては忙殺され、やがて全く考えなくなっていった。



 谷村には、仕事仲間には言えない秘密があった。
 格別後ろめたいことではないが、谷村は女性を本気で好きになったことがなかった。本気で好きになるのはいつだって、男性だった。
 ――だからどうということはない。昔は違和感を感じ、何故自分はこうなってしまったんだろうと思い悩んだり、想いを終に伝えてしまい、実った筈がいつの間にかそいつに彼女ができていたり、した。しかしもうそれにも慣れた。男性が好きだからといって何が変わるかということはなかった。ちょっとはっちゃけることが増えるだけだ。




 そんな谷村が、しばらく顔を出せていなかったゲイバーに訪れたのは、やっと忙しさが落ち着いて遊べる気持ちになったからだった。
 警察官になる前、ママにお世話になってここに入り浸っていたことがある。谷村はそこそこ人気のウェイターであった。


「あら、ヨシくん。久しぶりじゃない」

「ママ、久しぶり。……また人増えた?」

 ヨシくん、とは谷村のことだ。このお店では本名は名乗らない。客も店員も、本名を知らずに過ごすのだ。
 店内は記憶の中より人でごった返していた。

「うん、まあね。うち、ヨシくんよりかわいい子入ったのよ」

「またまたぁ。そんな筈ないでしょ」

「そうね。ヨシくんよりかわいい筈無いわよね!……でもすごい人気でね。おかげで客足増えてるのよ」

 カウンターにひっつきながら会話をしていると、ママ、と向こうの席から声がかかった。

「ごめんね、行くわね。モヒートでいいの?」

「ああ。ありがとう」

 ママが呼ばれた方へ向かい、オーダーを聞きながらモヒートを作ってくれている。谷村はカウンターを背にし、ぐるっと店内を見回した。
 
 広すぎるわけではないが、ボックス席もそこそこあるお店だ。お店全体が暗くなっていて、音楽がかかっているためプライバシーが守られる。
 何が好きなのか、嘘をつかなくていい。なんの変哲も無いサラリーマンも、女にしか見えないようなニューハーフも、いかつい男の人も、気兼ねなく過ごせる場所だ。

「はい、モヒート。」

 ママが帰ってきてお酒を出してくれた。

「そうだ、その子ミサキくんって言うんだけど、紹介していい?」

「ふぅん。……別にいいけど」

――俺ネコに興味ないから、仲良くできるかはわかんないけど。

「よかった。こっちこっち」

 どうやらミサキくんはボックス席についているようだ。ウェイターはお酒を作ることもあるし、運ぶだけということも、話しかけられたら座ることもある。お酒が嫌いじゃないなら、楽でいい仕事だった。

「ミサキくん、ちょっといいかしら。こちら、ヨシくん。ほら、前に話してたでしょ」

「よろしく……え」

「……あ」

 正直、ミサキくんは谷村の眼中に入らなかった。
 いや、ミサキくん自体は思ったより女の子っぽくて、ニューハーフ?という感じの見た目だった。ラインも華奢で、そもそも女装の可愛さを売りにしようとしている。――ジャンルが違うから俺と比較しないでほしいな。

 ……ではなくて。隣りに座っていたのは、もう会わないと思っていた、冴島さんだった。

「谷……ヨシくん。……あんたがか」


 さいあくだ。既に俺の話を聞いてしまっているらしい。偶然居合わせたことにも、できそうになかった。

「ミサキくん? よろしく。ちょっと、……隣のお兄さんとお話したいんだけど、いいかな」

 こうなったからには、腹を括って口止めするしかない。……いや、冴島さんだってこのお店に来ていることは世間体的にバレたくない筈だ。――もしかして、冴島さんは仕事で?だったら不利なのは俺だけじゃないか。どこまで聞いたんだ。
 そんなことを考えていたが、まずこのミサキくんが、なかなか退こうとしない。冴島さんの腕に自分の腕を絡ませベッタリとくっついている。

「ヨシくん? 話は聞いてました。よろしくお願いします! あの、鈴木さんとはどんな関係ですか」

 ……こいつ。

「べつに? プライベートで、ちょっとね」

 ママが「ごめん、知り合いだった……? まずいことしたかな……」と小声で気を利かせてくれている。とりあえず冴島さんも俺も大人だから大丈夫。このミサキってやつだけそうじゃないみたいだけど。

「ミサキ。今日はこいつと話がしたいんや。席外してくれへんか」

 ほら見ろ。冴島さんがこう言ってるぞ。

「えーっ。今日は僕と一緒に出るって約束だったのに」

 客の情報を見ず知らずの人間に教えるな。マイナス1万点。……つけまが浮いてる。マイナス5点。チークが濃い。……ムカついてきた。

「すまんな」

 そこでやっとミサキは冴島さんの腕を離しママとどこかへ行った。

「……」

「冴島さんは……バカ専なんですか」

 業を煮やした俺から出た言葉は、思ったよりキツくなってしまった。