148-3

件の子がわたしの病室に訪れたのは翌日のことだ。
今日の何時に来ますよ、と看護師さんに言われて、どうせ入院着だけどそれなりに身支度をして、ちょっと緊張しながら予定の時間まで待つ。
そして、コンコン、と控えめに聞こえてきたノックの音に、わたしはなるべく優しい声で返事をした。

「はい、どうぞ」

返事をしてもなかなか開かない扉に、自分から開けに行ってあげた方が親切だったかも、と今さら思って立ち上がったところで、ゆっくりと扉が開く。
そこに立つのは、年齢はわからないけれど一般的にまだ子供と認識される年齢の子、のはずだ。身長はわたしより小さいと思うので、たぶんそう。間違いない。でも、その子がどんな顔をしているのかはわからなかった。
理由は単純。顔を隠しているからだ。お礼として用意してもらったのだろうか。その子は顔が隠れてしまうくらいの花束を持っていて、それで顔を隠してしまっていて、どんな子なのかがわからない。
しかも一歩部屋に入った後、なかなか動かないので、もしかしたら緊張しているのかもしれない。

「ええと、こんにち……うわぷ」

後ろには保護者とか看護師さんたちの姿もないみたいだし、一人で成人女性の病室に来るのはやっぱり緊張するんだろうな。そう思ってわたしから近付けば、それはそれで驚かせてしまったのかもしれない。
その子は持っていた花束を思い切りわたしの顔に押し付けてきたので、今度は物理的に目の前が見えなくなった。
うーん、お花はいい香りだけど、顔面に押し付けられるのは普通に困る。

「あの……」
「あいつは、ボクたちがどこで生きてもいいって、言ったけど」

ひゅ、と。
聞こえてきた声に息を飲んだ。
それは、とても聞き覚えのある声だった。
まだ声変りの終わっていない男の子の声。視界は埋まっているから見えない。でも、確かにこの声を知っている。この子が言うあいつが誰で、何の話をしているのか、わかってしまった。

そんなわけないのに。
そんなこと、あるわけないのに。

「キミは、あの世界にいたって、よかったのに。どうしてここに戻ってきたの。ここは……あの世界とはまた違う、苦しさがたくさんあるのに」

言葉を紡ぐたびに、目の前にいて、わたしの視界を花束で覆っている人が誰なのかわかってしまって、ひどいなあって、思った。
お別れの時も、ひどいなって思ったけど。お別れの先でこんな風に現れるなんて、本当にひどいよ。勝手すぎる。どうなっているんだ。

だって、わたし、本当に一生懸命、覚悟したんだよ。
ちゃんと自分の世界で生きるって。みんなとお別れしたことを後悔しないようにしたいって。そうして胸を張って……君に、嘘をついたことにならないように。君に言ったようにどこでも生きていけるって証明するために、頑張るって、決めたのに。
どうしてこんなところで出会うんだろう。嬉しいけど、ぐちゃぐちゃだよ。

それでも、なんとか言葉を返さなくちゃって思って。
ちゃんと彼の言葉に応えなくちゃって思って。
わたしは、声が震えるのを自覚しながら、なんとか口を開く。

「……それでも、わたしは、ここで生まれたから。ここでせいいっぱい、胸を張って、堂々と、生きて……みせたかった、んだよ」
「相変わらずだね。……臆病なくせに、頑固で、優しくて、何も選べないって顔して、手を伸ばしてくれる。変わらないね、ずっと」

花束なんて、もう覚えていなかったような約束を守ろうとしてくれる君だって相変わらずだよ、という言葉は、上手に音にならなかった。

「……ねえ。ボクは……キミの世界で。ここで……ナギサと一緒に生きたいって言っても、いいのかな」

ただ、衝動的に。その言葉を聞いて、わたしは両手をうんと伸ばして目の前の彼を抱きしめる。
視界の端に映るのは、予想通り長くて柔らかな金色の髪。まだわたしより小さなその体は、あの世界のあの旅で、わたしたちを助けてくれた彼と同じ感触がする。同じあたたかさそこにあって、わたしはぼろりと涙を零した。

「ミトス」

せっかく持ってきてくれた花束が床に落ちる。
ここにいないはずの彼を。お別れをしたはずの大好きな人を。……ミトスを、わたしはぎゅうぎゅうと力任せに抱きしめて。何度も何度も言葉にして、それでももう叶うことのなかったそれを。かつて約束して、叶わなかったそれを。
奇跡みたいに思いながら一生懸命に伝えた。

「約束とか、関係なくていいから……わたしと一緒に、生きてよ」

ここにいて。
情けない声でそう言えば、彼の手がわたしの背中に回る。
そっと、優しく背中を撫でられて、少しだけ体を離して顔を見れば、あの時と同じ。綺麗でまっすぐな瞳がわたしを見て微笑んでいた。