「……ミトスくん、どこ!?」
音が止まない。定期的に揺れる地面は、それだけ大きな戦闘が起きていることを伝えている。
町のあちこちから立ち昇る黒い煙。あっさりと崩れて消え去ってしまった町。どこかからか聞こえる泣き声。そして……かろうじて残る道や、崩れた壁に散らばった、赤い色。
……ああ、これが、戦争なのか。
顔が歪んだのは恐怖の性なのか、それとも赤い色の近くに落ちているものが何か認めたくなかったからなのか。自分でもわからない。きっと全部だ。こんな場所に一人でいたくなくて、もう一度走り出そうとする。
けれど、それより前に、マーテルさんに笛を渡した女の子が大声で泣いてるのを見つけて動き出そうとしていた足を止めた。
ああ、だめだ、あんな子供を一人にしておいてはいけない。危ない。ミトスくんも見つけないといけないけれど、だからって、そのために目の前の女の子を見捨てるなんてできない。
やらなければならないことが頭の中でいっぱいになってぐちゃぐちゃになりながら、けれどなんとか一歩を踏み出す。教わった名前を呼んであげれば、彼女は泣きじゃくりながらわたしを見る。ほっと、少しだけ安心したように綻んだ顔にわたしも笑顔を返しながら迎えに行こうとして、彼女の頭上で屋根が崩れるのが見えた。
「危ない!」
慌てて女の子に飛びつくように抱き込んで逃げようとするけれど、わたしはスーパーマンでもなんでもない。飛び跳ねたって大した距離は出せなくて、崩れてきた屋根の一部がわたしの背中を押しつぶした。
「……ぐ、」
「お姉ちゃん!」
女の子の悲鳴が聞こえる。痛い。息が詰まる。それでもまだ、完全に押しつぶされたわけではないのが不幸中の幸いだろう。他のがれきに引っかかって、わずかにできた隙間の中を這って、そこから抜け出す。
けれどそこまでだ。背中は痛いし、手足もびりびりと痺れてる。なんとか繰り返す呼吸だって、いつまでも苦しくて、わたしは必死に深呼吸を繰り返した。
「お姉ちゃん! う、うう、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなざい……っ!」
「だ、いじょうぶ……怪我は、ない?」
「う゛ん……っ」
正直まったく大丈夫ではないけれど、どうにか安心させてあげたくて、泣きじゃくる女の子の頭を優しく撫でてやる。
とても痛い。苦しい。でも、動けないほどじゃない。気合を入れれば腕も足も動くし、ちゃんと話せる。だから、早くミトスくんを見つけて、この子も連れて逃げよう。マーテルさんに治療してもらえば本当に大丈夫だから。
とにかくここを離れよう、と立ち上がろうとして、向こうから鎧を着た兵士が一人で歩いてくるのが見えた。
いけない、と思わず女の子を引っ張って、再び隙間に隠れる。
あれはどちらの国の兵士だろうか。装備を見ただけでは区別がつかない。ここはまだテセアラの領土だから、テセアラ兵なら助けてくれる可能性がある。でも、シルヴァラント兵なら容赦なく攻撃されるかもしれないし……そもそも、この女の子がハーフエルフだと知れば、どちらの国の兵士であっても難癖をつけて攻撃される可能性もある。
それはだめだ。絶対にダメ。
わたしも、彼女も、他の一般市民も。助けられる限りは助けたい。
嫌だよ、目の前で誰かが苦しむのを見るのは。それを見ないふりするのは苦しい。
このまま隠れていればあの兵士もどこかへ通り過ぎてくれるかと思ったけれど、兵士は何かを探しているようで、他のがれきの下やかろうじて残された道の上を念入りに確認している。いったい何を探しているのだろう。保護目的なのか、それとも残党探しなのか。判断ができない以上、頼るのは危険だ。
わたしはもう一度深呼吸をすると、女の子の両肩を強く掴んだ。
「あのね、よく、聞いて。この先にわたしの仲間がいるはずなの。笛をプレゼントしたお姉さんたちよ。とにかくその人たちのところまで逃げて」
「わかった……お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃんは大丈夫。まだ探している子がいるし……あ、でも」
ふと思いついて、ポケットの中から二つの碧い石のネックレスのうち、片方を彼女に握らせる。
彼女が絶対に落としたりしないように。彼女の手の上からわたしも両手で包み込むようにしっかりと持たせて、なるべく優しく見えるように笑った。
「これを、仲間に届けてくれる? わたしからのプレゼントだって」
「あたしが? お姉ちゃんじゃなくて?」
「恥ずかしがり屋で上手に渡せなかったの」
嘘。確かに恥ずかしがり屋でタイミングは見失っていたけれど、自分で渡せないなんてことはない。
ただ、不安だったのだ。ちゃんと二人のところに帰れるか、不安になってしまったから。だから、目標がほしかった。わたしも彼女も、絶対に逃げ延びるための強い指針が必要だった。
女の子には、これをマーテルさんに渡すために逃げてほしい。そうすれば女の子の無事もわかるし、彼女だってちゃんと逃げてくれるだろう。わたしも、これを受け取ってくれたのか聞くために、頑張って逃げようって思える。そうしてちゃんと二人のところに帰れた時、実は姉弟お揃いで用意してあるよ、ともう片方も渡して、無事でよかったって、笑うのだ。
大丈夫。絶対にそういう展開にしてみせる。
女の子がぎゅっとペンダントを握ってうなずいてくれたのを見てから、わたしは兵士の様子を探る。
攻撃するのはよくないと思うので、とりあえず帯を巻き付けるなりして捕まえる方向にしよう。逃げ遅れた人を保護しようとしてくれている人だったら、ごめんなさい動揺していましたと素直に謝ればいい。怒られるのは覚悟の上だ。
大丈夫。できる。
「よし……行くよ!」
合図と同時に飛び出して、わたしは帯をしならせて彼の体を鎧ごと締め付ける。打撃武器として使うのが主だけど、こうして相手の動きを止める使い方だってできるのだ。
女の子がその間に走り出したのを横目で確認しながら、わたしは力負けしないようにと帯に込める力を強めた。
「なんだ貴様! テセアラ兵か!?」
「見ての通り、ただの一般人です!」
テセアラ兵か、と聞くからにはシルヴァラント兵だろう。
ここはまだテセアラ領であることを考えれば、一応、今は敵だという認識でいいはずだ。まだ遠くで戦いの音は続いているし、このタイミングで逃げ遅れた人の保護活動敵側の国の人が行うとは考えにくい。
もし本当にそんな優しい人だったらごめんなさい、と心の中で謝りつつ、そのまま締め落とす。どこをどう締め付ければ死なずに意識を失うか、これでもちょっとはわかってきたつもりだ。
あっさりとその場に倒れた兵士の兜を取って、呼吸していることを確認する。大丈夫。無事に気絶しているだけ。わたしはほっと胸をなでおろした。
「よし、これで……っ」
わたしもここから離れないと。そう立ち上がろうとしたところで、再び背中に強い衝撃を受ける。
先ほどの傷が痛んだのではない。何かがぶつかってくる衝撃と痛みからして、たぶん、背後から何か攻撃を受けたのだ。
当然、不意打ちなんてものに反応できるわけもなく。先ほどのダメージもあって、上手に受け身も取れないまま、勢い良く地面に叩きつけるように倒れた。
痛い。痛い。もうあちこちが痛い。
一体何が起きたのだと確認しようと、なんとか後ろを振り返れば、そこにいたのは兵士でも魔物でもなんでもなく。ミトスくんとさほど変わらない年に見える少年が、傷だらけの恰好で、ぼろぼろと涙をこぼしながらわたしに刃物を向けていた。
たぶん、そこらへんに転がる兵士から武器だけを借りた、のだろう。それをわたしに向けながら、彼は落ち着かない様子で息を乱している。
「な、なんで……」
「人間なんか……汚い」
ぼそりと呟く声はひどくかすれていた。涙をこぼして、がたがたと震える手で、それでもしっかりと刃物を握りしめて、わたしを見下ろしている。
恐怖に満ちた目で。嫌悪に染まった目で。けれど、わたしを通してわたしではない何かを見るように視線をさまよわせて、泣き叫ぶように声を振り絞った。
「戦争なんかして……互いに殺しあって……まだ足りないのかよ! あんなにハーフエルフだからって虐げて! それでもまだ傷つけたりないのかよ!」
そうか、彼はハーフエルフなのか。あの傷はこの戦闘で追ったのではなく、あの女の子のように日ごろから虐げられてできたもの、なのか。
そうして町が戦闘に巻き込まれて、怖くなって、パニックになって。そうして、目についたわたしが人間だから、身を守るために攻撃したのか。
「待って……違う。わたしは君を傷付ける気なんて、」
「人間なんて……人間なんて!」
「ぐ……うあっ」
違うよ、君を傷付けたりなんてしないよ。
そう言いたいのに、起き上がる前に、背中に向かって再び乱暴に武器を振り下ろされて、再び地に伏せる。彼も錯乱しているのだろう。がむしゃらに切りつけてくるそれは、たまに空を切ることもあるけれど、わたしの背中を容赦なく切り裂いてくる。
痛い。苦しい。でも、反撃はしたくない。痛みに痛みを返したくない。
だから逃げなくちゃ。
でも、上から振り下ろされるそれに体がすくんで、痛くて、うまく逃げられない。
(あ、やばい、かも。)
思った以上に、体が動かない。起き上がろうとする腕に、踏み出そうとする足に上手に力が入らない。体中が熱くて、だが寒いと体が僅かに震えるのを感じる頃には、痛いのかどうかもわからなくなってきていて。
死ぬかも、と思った。
こんな急に、突然、死んじゃうなんてアリなのかな、って思った。
「なんで……なんで、エルフなんて、人間なんてぇ……!」
「だい、じょぶ……だから、」
敵じゃないよと言ってあげたいけど、もうそんな力もない。頭を撫でてあげたかったけれど、腕が持ち上がらないどころか、倒れている体が重たくて起き上がれない。
視界が揺れる。違う、地面が揺れたのだ。音はよく聞こえなかったけれど、大きな風が吹いて、再びがれきが落ちてくる。
たぶん、また戦闘の余波がこちらに来たのだろう。魔術なのか爆薬なのかはわからないけれど、それ以降、視界が暗くなる。完全にがれきの下敷きになってしまっているのかもしれない。
困ったな。わたしの上に落ちてきたってことは、ハーフエルフの男の子も巻き込まれたということだ。確かめたいけど動けない。
ああ。どうしよう。ちゃんと、二人のところに帰らないといけないのに。
あのプレゼント受け取ってくれた? って聞きに戻らないといけないのに。
こんな怪我をするような危ないことをしないでと、きっとそう言って泣きそうに叱ってくるマーテルさんに謝らないといけないのに。
まだ、ミトスくんのこと見つけていないのに。大丈夫かな。あの子はちゃんと無事でいてくれているのかな。
なんか、変な感じだ。ふわふわする。音が遠くて、視界もぼやけてきて、ぼーっとする。悔しいのか安心したのかわからない変な気持ちで、変に落ち着いている。
こんなところで死んだら、一人で倒れたらだめだって思うのに、思うだけ。
すごく眠くなってきて、なんか、急に一人ぼっちになった気がして。
無性に、二人に会いたかった。
ミトスくんに、会いたかった。
そういえば、わたしの身長を追い越したミトスくんの話を聞くって約束、まだ果たしてないな。最近少しだけ身長伸びたみたいだけど、まだまだわたしの方が大きいから、聞いてないや。
まだ見てない景色もいっぱいあるな。また三人で、たくさん、したいことがあって、まだなんにも、できてないな。
ミトスくんを支えるって決めたのに。
マーテルさんと一緒に、三人で、ずっと一緒だって、約束したのに。
「やく、そく……」
守りたかったな。
その言葉を呟いたのを最後に、わたしの意識は静かに闇に落ちていった。