透き通るような音色が空に響く。
儚くて優しく音。けれどその旋律は凛とした響きを持って、わたしの中に沁み込んでいく。綺麗な音だ。耳を済ませれば、顔が自然と笑みの形を作るのを感じた。
「……綺麗な音」
「あら、ありがとう」
ふふ、と笛を吹いていたマーテルさんが嬉しそうに笑う。
彼女が吹いていた笛はつい先ほど、この町に住むハーフエルフの女の子がくれたものだ。この町の近くに群生している木の実をくり抜いて作られる、名産品の一つなのだとか。炭鉱の町の近くなのに木の実の笛が名産品だなんて、ちょっとおもしろい。懐かしさを感じる黒髪を揺らして、この間はありがとう、とはにかんだ彼女はとてもかわいらしかった。
……でもちょっとタイミング、困っちゃったな。だってわたしも、そろそろマーテルさんとミトスくんと出会ってから一年になるし、記念に何か贈り物がしたいな〜と、機会をうかがっていた時だったので。
もちろん、あの女の子は何も悪くない。数日前、この町からそう遠くない近隣の村にいた頃に用意していたのに、今の今まで渡せなかったわたしが意気地なしなのだ。
そっと、ポケットの中にあるものを指先でなぞる。そこにあるのは、綺麗な翠の石で作ったペンダントだ。
すごく……すごく、子供みたいなのだけど。近隣の村を散策している時に見つけた、小さな石ころをペンダントに加工してもらったもの、である。
いや本当に拾った石ころというところが子供じみてて気が引けてしまうのだけど、とても、とても綺麗な石だったのだ。まるで生きているように色鮮やかな紺碧に染まるそれは、まるで宝石のようにも見えて、ぜひ贈りたい、と思ったのである。
二人には、今までたくさんの物を貰った。武器として使っている帯を始め、花冠や衣服、居場所、その他にもたくさん。たっくさんのものをもらった。だから少しでも何か返したくて、でも既製品を買うほどのお金はなくて。あれそれを手伝う代わりにと値段交渉をして、二つ分。すごく簡単で質素なデザインだけど、ペンダントに加工してもらったそれを用意した。
用意したけど、渡すタイミングを見計らっていたら、なんか、急に緊張してしまったというか、全然渡せなくて……もう数日。意気地なしである。
さすがにそろそろ渡したい、と思いつつ、今はその笛の方が大事だ。今日もプレゼントのことなど見事に隠して、女の子の気持ちがいっぱいに詰まった笛を見る。
「リンカの実の笛、だっけ? 素敵な贈り物をされたね」
「本当だわ。自分だって辛いでしょうに……本当に、いい子」
今いるこの町は、ハーフエルフの蔑視が特に激しい町だった。
戦場の近くということで、精神的にも余裕がないのだろう。ヘイムダールと違って直接叩かれることも多いらしく、女の子の体に残る痕を治療するとき、マーテルさんはひどく悲しい顔をしていた。
ミトスくんもつらそうにしていたけれど、この状況に先日の決意を強くしたのだろう。戦場に近いということは、兵士が常駐しているはずだと言って、一人で調べに行ってしまった。
こんな状況で話を聞いてもらえるとも思わないが、当事者から話を聞かないと何も行動できないからと言う彼は非常に頼もしいが、同時に心配だ。わたしも一緒に行くと言ったが、ミトスくんにとってはこの町でマーテルさんが一人になる方が嫌なのだそうだ。
相変わらずお姉ちゃん子だなあと思いながらも、そうでなければミトスくんじゃないよねとも思うからどうしようもない。
「……この辺りで発掘された、エク……なんとかが戦争には不可欠だ、ってことで、ずっと争っているんだよね。人間やエルフやハーフエルフの体を強くするとかなんとか……魔科学だけでも十分だろうに、なんだかなあ。同じ人間として申し訳ない」
「人間みんなが悪いわけじゃないわ。エルフだってハーフエルフだって、いい人もいれば悪い人もいる。種族で決めつけてしまうのはよくないわ」
その通りだ。指摘を受けて、わたしはやってしまったなあ、と落ち込むのがわかる。こんなの、ただの自虐の延長線、ではあるのだけれど。先日、みんなが自分らしく生きられる世界を作りたいと言ったミトスくんに協力すると言ったのに、「人間」みんなが悪いみたいな言い方をするのはよくなかった。
小さなことだけれど。こうして自然と出てきてしまうからこそ、この問題はとっても難しいのだと再認識する。
それでもやると決めたのだ。わたしが生きている間には無理でも、そのきっかけになれるように、気を引き締めないと。
「うん、ごめんね。こういうことをなくそうって決めたのに」
「仕方ないわ。みんな、そんなにすぐに変われるわけじゃないもの。それに……みんな違ってみんないい、だったかしら?」
ふふ、とちょっと悪戯っぽく笑うマーテルさんに、ぱちりと目をしばたかせる。
そのセリフは聞き覚えというか、言い覚えがある。
わたしがヘイムダールに……この世界に来て最初の日に、里を出た今でもいけ好かないと思っている、あのエルフの男に向かって言った言葉だ。
「もうすぐ一年になるのに、よく覚えてるね」
「だって嬉しかったんですもの。この人は、私たちがハーフエルフだという他の人との違いを、前向きにとらえてくれるんだって」
そこまで詳しく考えていたのかと問われると、ちょっと自信をなくしてしまう。だってあの時はただ、そんなこと知ったことじゃない、わたしを助けてくれた人たちを悪く言うなと、それだけを思っていたわけで。そこに、そんな崇高そうな気持ちなんて何もなかった。
えへへ、と照れてしまっていると、さらりとマーテルさんの髪が風に揺れる。ああ、やっぱりこの姉弟は綺麗だな。わたしに向けてくれる笑顔を見ると、いつも愛おしい気持ちになる。
「本当に、ナギサと会えて幸せだわ。人もエルフもハーフエルフも、みんなが同じように笑っていられる世界がいつか来るって……たとえ手を取り合うことができなくても、認め合うことはできるって、信じさせてくれるもの」
「……わたし、無責任に背中を押しちゃったなあって感じで、まだ、何もできてないけど」
「あら、十分よ。あなたがいたからミトスも頑張ろうと思ったのでしょうし。ミトスは本当にあなたが大好きみたいだから」
ナギサ、とわたしの名前を呼んでくれる時のミトスくんは、たくさんの気持ちを込めてくれているって、わたしもちゃんとわかっているし、とても愛しいと思っている。
彼が笑ってくれるだけで、名前を呼んでくれるだけで。ここにいて、って。一緒にいられて嬉しいって、恥ずかしいくらいに伝わってくるから。照れくさいけど、それにわたしも救われていて、わたしも彼に笑っていてほしいって、大好きって、思う。
照れくささで頬がむずむずするのを堪えながら、ふにゃふにゃと笑って。わたしも、きっと負けないくらい大好きだって言いたくなって、ぱっと顔を上げた。
「わたしも、二人のこと……」
でも、わたしがきちんと言葉にできる前に、ガタンと地面が大きく揺れる。
地震か、と思わずマーテルさんに抱き着きながらしゃがみ込んだけれど、そうではないようだ。それ以上地面は揺れず、代わりにガチャンガチャンと金属の……いや、鎧の音があちこちから聞こえてきて、人の怒声と悲鳴とがごちゃ混ぜになった声が聞こえてきた。
この音が何か、なんて、さすがにわかる。
この町で、二つの国の戦いが始まった、ということだ
「……っミトスくん!」
「ナギサお願い、ミトスを探してきてちょうだい」
「それはもちろん、でもマーテルさんは……」
「私なら大丈夫。それよりも誰か怪我をして動けなくなっているかもしれないわ。私はその人たちを避難させます。待ち合わせは……」
「わかった。じゃあ、行ってくるね」
「ええ、行ってらっしゃい」
素早くマーテルさんと今後の行動を決めて、それぞれの目的を果たすために走り出す。こういう時に大事なのは素早さだ。すぐに決めて行動しないと、状況は悪化するばかり。だから、あらかじめ決めていた合流場所を示して、別れて、行動した。
それだけ、だった。
そして……それがわたしとマーテルさんの、おわかれだった。