「くっ……」
全員が床に倒れ伏す中、ロイドだけがもう一度立ち上がった。
コレットとクラトスさんの間に立ちふさがるが、もう体力が限界なのはここからでもわかる。気力だけで動いているのだ。立ち上がることを、彼だけが諦めていない。
「……クラトス。あんた……本当に俺たちを裏切ってたのか……!? 答えろよクラトス……っ」
クラトスさんは剣を振りかざす。それを振り下ろせば、今のロイドには避けることが出来ないだろう。
助けないと。そう思って起き上がろうと体を動かすけれど、だめだ。立ち上がるどころか、体を起こすこともできない。
……でも、不思議だった。こうして動こうとして、でもだめだ、不可能だと気付くくらいの時間がある。決して短い時間ではないはずなのに。
その間、クラトスさんはずっと、剣を振り下ろさない。
「……っ」
「やはり、いかなお前でも本気で対峙するには至らなかったか……」
声が落ちてきた。知らない声だ。
抑揚の少ない、落ち着いた男性の声。
それは光として祭壇に降り立ち、そして姿を人に変える。
その相手に、クラトスさんは剣をしまってかしづいた。
「ユグドラシルさま」
「……ユグ、ドラシル……」
その名前に、必死に顔をあげた。ミトスくんたちと同じ名前のその人を一目見ようと、だんだんと痛みがわからなくなってきた体で、一生懸命に視線を動かす。
そこにいるのは天使だ。体を覆うぴったりとした白い服がシンプルで飾り気がないせいか、その背中で虹色に煌めく羽の神々しさを惜しげもなく晒している。クラトスさんより、コレットより、ずっと大きくて、いくつもの光が集まってできたような、綺麗な羽を広げた天使が、そこにいる。
長い金髪は、確かにミトスくんに似ているかもしれない。でも、声が……そりゃあミトスくんは幼かったから、声変わりくらいするだろうけど、そうじゃなくて。ミトスくんはもっと優しい声だった。こんな、冷たく淡々とした声なんかじゃなかった。
少なくとも今のわたしには、その天使とわたしのミトスくんが同じ人だとは、思えなかった。
「なんだ、あいつ……」
「また天使かい!」
しいなたちももう一度立ち上がろうと体を起こす。ここまでで少しでも体力が回復したのだろう。その時、ふわりと体を光が覆って、ほんの少しだけ体に力が入るような気がした。
見れば、リフィルさんが全員に治癒術をかけたところだった。ある程度みんなの傷を治したところで、そのまま杖はわたしに向けられて、彼女はわたしだけに治癒術をかけ続ける。
「まだ……動かないで。あなたはエクスフィアを付けていないのよ……」
「先生……わたしはいいから……」
「お黙りなさい」
キツく言われて、大人しく黙る。話す力もあまり残っていなかった、というのが本音だ。
わたしは、エクスフィアをつけていない。潜在能力を引き出し、その身体能力を格段に向上させるそれを、装着していない。ただの弱い人間のままでは、治癒術の効果も半減してしまう。だから、これだけ集中的に治癒術をかけられたって、他のみんなほど動けるようには、なれそうになかった。
祭壇の上で、ユグドラシルがロイドを見て薄く笑う。
……ああ、やっぱり、似てるけど似てない。ミトスくんの目はもっと輝いていて、あんな薄く冷たい目ではなかった。きらきらと強い光を宿して、いつだってまっすぐに前を見つめていた。あの目が見据える未来ならなんでも信じられるような、あの目に見つめられるとそれだけで嬉しくなるような、そんな、素敵な子、だった。
そうやって、必死に違いを探していることに気付いて苦笑する。こんな状況だと言うのに、名前が同じというだけでこんなにもミトスくんを探してしまう自分にバカみたいだと笑う。
「お前がロイドか?」
「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗れ」
「ハハハ……犬の名前を呼ぶときに、わざわざ名乗る者はいまい」
「なんだと」
ふっと、ユグドラシルの羽が輝きを増した。
……ああ、綺麗だなあ。
場違いに、そう思った。
「哀れな人間のために教えよう。我が名はユグドラシル。クルシスを……そしてディザイアンを統べる者だ」
彼が静かに告げれば、祭壇の下から剣が現れる。
ユグドラシルの手に握られるわけでもないその剣は、彼がそっと目を細めただけで強く輝いて、わたしたち全員を吹き飛ばすほどの衝撃波を放って。クラトスさんの攻撃でほとんど動けなかったわたしたちは、受け身も何もとれないまま、あっさりと吹き飛ばされた。
「かは……っぐ、う、」
「クラトス、異存はないな?」
やばい。これは、やばい。
どんどん冷たくなるこの感覚をわたしは知っている。世界が遠のいていくような感覚を、わたしは一年前にも経験した。
死んでいく、感覚。もう無理だよって、体が悲鳴をあげて、消えていく感覚。ああ、もしかしてまた、わたしはどこかへ行くのかな。それとも、もう本当に、ここで死んでしまうのかな。どうなんだろう。わからない。わからないけど、嫌だな。
死ぬのも、またいなくなるのも、どっちも嫌だ。
「さらばだ」
嫌だ。嫌だ。
でも、わたしに何ができるの。
力も覚悟もいつも足りなくて、何もできなくて、せめて目の前のことをとどれだけ必死にかき集めても、何も手の中に残らないの。そんな現状を変えるだけの知恵もなくて、いつも誰かに支えてもらってばかりのわたしが、今、死にそうになっているわたしが、できることなんて何かあるの。
ううん……わたしは、何がしたいの。
「わたしは、もう……」
マーテルさん。ミトスくん。
ロイド。コレット。ジーニアス。リフィルさん。しいな。
みんなのことが好きだ。大好きだ。それだけははっきりとわかる。
彼らのことを、泣かせたくない。彼らのことを、失いたくない。
痛みなんてもうわからないけど、やけに重たい体で必死に起き上がる。これだけは絶対に譲れないと、これだけは絶対に手放さなしてなるものかと、帯を握りしめる。ぐらりと体がふらついたけど、そんなのは気にしない。気にしていられない。
がむしゃらに、祭壇の上に向かって帯を叩きつけた。威力なんてないに等しい。けれど、ロイドに向かって攻撃を放とうとしていたユグドラシルに牽制は出来る。
少しでも、少しでも彼の攻撃を止めたら、何か変わるかもしれない。何かが起きて、もしかしたら、みんな助かるかもしれない。だから、わたし、わたしは、このまま本当に死んでしまうわけにはいかない。
……だって、約束、したもんね。守るよって、傍にいるよって、一緒に頑張ろうって、旅の中で。たくさん、たくさん、思い出を作って。一緒に戦って。こうやって苦しむ人が一人でも減るようにって、未来を夢見て。ああ、もう、誰とどの約束をしたのか、視界もぼやけて思考もぐちゃぐちゃに今、きっちりと思い出せないけど。
でも、でもわたし、守らなきゃ。ロイドを守らなきゃ。コレットを守らなきゃ。
あんなにたくさんしたミトスくんとの約束を、何一つ守れやしなかったんだから。
せめてせめて、コレットを死なせないって約束だけは。
ううん、わたしは。
「もう、誰との約束も、破りたく、ない……!」
吐き出すようにそう言ったところで、初めてユグドラシルがわたしを見た。
薄かったその表情に、驚きが広がっていったような気がしたけど……もう、立っていられない。その表情の意味を見届けられない。
受け身も何もなしにその場に倒れる。たぶんかなり痛いだろうな。でも、どうにもならないな。
「ナギサ!」
ロイドが名前を呼ぶ。
ごめん、答えてあげたいけど、やっぱり限界だ。動かないよ。
誰かがわたしに向かって腕を伸ばす気配がした。
それが誰なのか確認出来ない。けれどその瞬間、わたしの上を何かが飛んで行って、ユグドラシルを遠ざけたのはわかった。
「くっ。神子はすでに天使化してしまったか! やむをえん。殺さず連れ帰るのだ!」
聞き覚えのある声だ。
でも誰だったっけ。
体が持ち上がる。たぶん誰かにかつがれたんだ。
どんどん落ちていく意識の中で、なんとなく、ミトスくんがわたしの名前を呼んだ気がした。
「ミ……トス……く……」