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ーーー幸せは、いつも自分の手の届かないところにあると思ってた。



「ホルス様!海賊です!早くお逃げください!」


どたどたと船内を走り回る音と悲鳴が海に響く。
夜の海は穏やかだというのに、二つ並んだ船からは賑やかともとれるほど沢山の音が響く、鳴る、こだまする。

数人の男に守られるように、高価な服を着た男は備え付けの緊急用の小舟へと走る。

その肩に抱きかかえられぐったりとしている彼は、グラグラと揺れる視界の中で波の音だけを聞いていた。



ーーー暗い深海の魚が太陽を知らないように、幸せも自分の知らない場所にあるのだと。



「くそっ…一体護衛の奴らはどうしたんだ!金の分も働かないで…っ」

「ああ、悪かったな。」


ガキリ、と、男の頭で鳴った音はやけに遠くて。
鳴り響いた銃声も目の前に現れた“彼”の顔すら、もう何も届かなかった。

にぃ、と持ち上がる唇の端に、響く音に。
彼はそっと、沈み込むように意識を手放した。


「もうみんな、片付けちまった。」













「今日も大量だわねぇ。」


昇り始めた太陽に姿を照らされながら、カタリーナ・スヴァイはそう小さく口笛を吹いた。
彼女の足下に転がる“人間だった”彼らに軽く黙祷してからその服の中や装飾の類を漁る。

この船の護衛だったらしい彼らだが、身に付けている武器や装飾はそれなりに立派な物だ。
雇い主が金持ちなら前払いだけでも十分豪華というわけか、となんだか小憎たらしくなって軽く小突く。


「うわぁ、リーナちゃんたら最低。」


自分でも我ながら最低ねと思っていれば、彼女を抱き締めるようにして後ろから伸びた手がその装飾を奪った。
するりと手から抜けていった装飾を追って顔をあげれば、そこには胡散臭い笑みを浮かべた長身の男が立っている。

くるくると指で装飾を回しながら彼…ライノルズ・フィラデルフィアは今は船内をあちこち散策しているだろう自分達の船長が入って行った船室に目を向けた。


「しっかし船長もよくやるよねぇ。この船の金持ちってあちこち寄付したりしてた人でしょ?ホーント、嫌いな奴はとことん嫌うというかなんというか。」

「ちょっと、それアタシの。さり気なく取ってんじゃないよ。」

「あぁん、リーナちゃんのケチ。」

「気色悪い。」


わざとしなを作るライノルズのすねを思い切り蹴飛ばしながら立ち上がる。
しゃがみこんだ彼は無視だ。

船長…アルヴァート・アラン・アヴァンシアが率いる名もない小さな海賊は、金持ちの私有船だけを狙って襲う。
それが質の悪い貴族達だけならまだ正義を気取ることも出来るが、残念ながら善悪は問わない。

アルヴァートは善悪関係なしに“貴族”という括りが嫌いだから…という理由で、彼らに出会った貴族の船は襲われる。
この船もだ。


「別にいいじゃない、なんだかんだアタシらも楽しんでるし。アンタもアヴァン船長ほどじゃないけどそういうの嫌いだろ。」

「僕は貴族が嫌いなんじゃなくて、船長が嫌いな物が嫌いなだけだよ。」


わざとらしい仕草でにっこりと笑う彼に、だからそれが胡散臭いっつのと呟いて、隣につけてある自分達の船に戻ろうと縁に足をかけた。

もう船長と二人を除く船員達は船に戻っており、今頃は倉庫に戦利品をつめている頃だろう。
パクられないようにさっさと戻ってやらねばと足に力を入れて…止めた。

突然固まったカタリーナにライノルズがその視線を追えば、そこには船長であるアルヴァートがいた。
赤黒く汚れた服にまた派手に漁ってきたのかと苦笑を漏らして近付く。


「なんだい船長、もう散策飽きたの?」

「いや、そうじゃなくってさ…」

「なぁになに、どうし…どうしたのそれ。」


アルヴァートが片手で抱えているものに気付いて、ライノルズは言葉を切る。
恐らくカタリーナもこれに気付いて動きを止めたのだろう。

明らかに見慣れない“それ”は、この船に乗り込んだ時には無かったものだ。
ぐったりとしたそれ。
青い服に長い白いリボンのついた帽子。
簡単に抱え上げられる小さな体。

一目でまだ幼いとわかる少年を抱えて、アルヴァートは真剣に困った顔で言った。


「いや、なんか…拾っちまったんだ…」