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「アーリィって、怪我を治したりもできるんだね」
「そんなに効果は広くないし、まだまだ見習いだけどね」
大通りから離れに離れて、ほとんど町から出てしまうくらいの路地の裏に座り込んで、アーリィは秋帆さんに回復魔法をかける。魔法についてあたしは詳しくないけれど、怪我の治療をするのはとっても難しいことなのだと、ママが言っていた。あんまり万能だとママの仕事がなくなっちゃうからその方が助かるんだけどね、と笑っていたのを覚えている。
アーリィの魔法は火の魔法だ。あたたかな炎がゆらゆらと揺れて、秋帆さんの腕の表面を焦がすみたいにして治療する。見た目はどちらかというと傷口をあぶっているみたいだけれど、確かに傷は癒されているらしい。しばらくして秋帆さんが火から手を離して、もう大丈夫だと知らせるみたいにひらひらと手を振った。
「ありがとうございます」
「ううん。こっちこそ。さっき、ボクのこと庇ってくれただろ」
「いえ……」
「そこ否定することかい?」
素直に受け取っておくれよ、と笑うアーリィに、秋帆さんは困ったようにぎこちなく笑う。どうして二人が一緒にいたのか知らないけれど、仲は悪くなさそうだ。
ディストさんがやたらと棘のある態度をしていたのもあって、無意識に身構えていたらしい。あたしはふーっと大きく息を吐いてから、秋帆さんの隣に座り込んだ。

「ねえ。秋帆さんは魂が見えるってほんと?」
下から覗き込むようにして問いかけると、秋帆さんは眉を下げる。聞かれたくないことだったかな。少し申し訳なく思うけれど仕方ない。この質問をしないと何も始まらないのだ。
あたしは先ほどのディストさんとのやり取りを思い出しながら、あのね、と口を開いた。
「さっき、あのおにーさんが言ってたんだ。秋帆さんは人の魂が見えて、あたしの体が弱いのをどうにかすることができるって」
「……なるほど」
一言。そう言って、目を閉じる。黙っている彼女は、たぶん何を答えるか考えていたのだろう。少しして、秋帆さんは再び目を開くと、その静かな瞳にあたしを映した。
「見えますよ。きっと彼が言ってると思いますが、私はヒトではないので」
「えっ、そうなのかい?」
その答えには、そうなんだ、くらいしか思わなかった。もっと驚くかと思ったけれど、それは隣にいるアーリィに任せよう。
ディストさんが言っていた観測者っていうのがどういう意味なのか知らないし。特に聞くつもりもない。知りたいのは秋帆さんの正体ではない。いや、気になるけれど、今重要なのはそちらではなく、彼が言っていたのが本当なのかどうかの確認だ。ヒトかどうかの話題は後回しにさせてもらう。
じっと彼女を見上げて言葉の続きを待てば、秋帆さんはすっと背筋を伸ばして、あたしの瞳を見つめ返した。
「あなたの体の弱さが、魂の大きさと肉体の許容量の齟齬に起因するものだということも、その対処法もわかります。けれどそれは、大精霊以上、少なくとも神秘と同程度の存在からの契約という加護が必要である、ということです」
「だ、大精霊さま!? それは、無理なんじゃ……」
「そうですね。なので何も言いませんでした」
これが黙っていた理由です、とあっさりと言葉が返ってきて、少しだけ拍子抜けする。なんというか、やっぱり秋帆さんはまっすぐな人というか。押せば結構、我儘を聞いてもらえるような気がした。
「それって、秋帆さんでもいいの?」
何を言ってもなんとかなるかも、と思ったせいだろうか。深く考えずに吐き出してしまった言葉に、秋帆さんはきょとりとする。少しだけ丸くなった目がなんだか可愛い。秋帆さんはゆっくりとまばたきをして、それからわずかに目をそらした。
「……理論上は可能ですが、私にその意思はありません」
「どうしたら心変わりしてくれる?」
「どうして心変わりしてほしいのですか」
秋帆さんの目が見えるように回り込んで、じっと見上げる。再びあたしを見る目はとてもきれいだ。あたしが何をしたがっているのかを探るような、見透かすような目。観察されるのは少しだけ落ち着かないけれど、ディストさんの目よりよっぽど安心した。
「あのね。あたし、怒りたいの。すっごく」
だから、あたしはそう素直に答えた。
怒りたい。怒りたいの。どうしてこんなことになっているのかって、怒りたいの。
「知りたいこともたくさんあるよ。村から出る前、どこか暗いところで、ママの名前を知っている何かがいたんだ。それが何かも知りたい。ディストさんが何をしようとしているのかも知りたいな。でもそれ以上に、どうしてこんなことに巻き込まれたのって、怒りたい。怒るための体力がほしい」
ディストさんにも事情があるみたいだった。でも、説明してもらえないような詳しい事情なんて知らない。それでもあっちが事情を押し付けてくるなら、こっちだって我儘を押し付けたっていいだろう。
あたしは知りたいことを知りたいし、怒りたいことを怒りたいし、そのために自分の足で追いかけたい。事件が解決なんてしなかったとしても、このままママとパパに会えなかったとしても。もう家に帰れないとしても。何もできないままうずくまってはいたくないのだ。
「あたし、今のままじゃ怒るどころか、どこにも行けないし、何も知れないんだ」
弱いあたしにはどれもできないことだ。だから今までいろんなことを諦めてきた。いつも仕方ないなって思ってきた。次の春は来ないかもしれないって思って生きてきた。
でも、秋帆さんの力を借りればそれができるかもしれないって言われたら、その選択肢を見ないふりすることはできない。いつも諦めたくて諦めているわけじゃないのだ。あたしでもできるかもしれないって言われて、何もしないで諦めるなんて、いやだ。
「もし、秋帆さんがあたしの体の弱さを少しでもどうにかできるなら、してほしい。その代わり、あたしもなんでもするよ。……いや、何もできることってないし、むしろお荷物だろうとは、わかってるけど」
変わった形をしているとは言われたけれど、別に特別な力があるとは言われていない。あたしがいれば全部解決、なんてことはないし、あたしは特別頭がいいわけでもない。物語の主人公のような力は何も持っていない。本当に、本当にお荷物にしかなれない。わかっている。
わかっているけれど、引きたくなくて。あたしはとにかくこの本気が伝わってほしくて秋帆さんをまっすぐに見つめる。そのきれいな瞳に、少しでもあたしの願いが届くように、絶対に目はそらさなかった。
「あの、ボクからもお願いします」
「アーリィ」
それまで黙ってあたしの様子を見ていたアーリィが、隣できれいに座り直して、秋帆さんに頭を下げる。どちらかというと止められるかもと思っていたから驚いた。
「異変が起きたら、基本的にもうどうにもできないことは知っているよ。でも、出来ることがあるなら。やれることがあるなら。たとえ解決にはならなくても動きたい気持ちを無下にしたくないって、そう思うんだ」
何かを耐えるような顔で呟く彼の事情を、あたしは知らない。アーリィが村に来る前の話はあまり話したくなさそうだったから、聞かなかった。だからこんな風にうつむく理由は知らないけれど、あたしはあくまでも秋帆さんを見つめた。
彼女はただ、黙ってあたしたちを見ている。黙って、耳を傾けている。
「でも、ボクじゃ何もできないから。彼女を連れていくこともできない。だからもし、力を貸してもらえるなら貸してほしい。……キミは、行かなきゃいけない場所とか、やらなきゃいけないことがあるんだろう? そのお手伝いももちろんするから」
お願いします。力を貸してください。
そう二人で頭を下げれば、静かに話を聞いていた秋帆さんは、ただ深く息を吐いた。
「……そんなに都合よく物語が進むと思われても困るのですが」
「う。……だ、だめ……?」
「私、かなり追われる立場ですので、身軽の方が……」
「だ、だめかい? 利用価値とか見出してくれないかい?」
「アーリエンズさんが私にとって利用価値があるのは事実です。ファルさんも、正直に言えばとても、とても利用価値があります。今のこの神秘がほとんど消えた世界において、契約者がいるというのはヒトならざるものにとっては重要な要素ですので」
じゃあいいじゃない、ちょうどいいよと声を上げる前に、秋帆さんの手がすっと目の前に翳されて口を閉じる。
ですが、と。とても真面目な声で。真剣な眼差しで。あたしたちに利用価値があるとしたうえで、彼女は断るために口を開く。
「利用させてほしい、というのは、少し無責任すぎませんか」
「利用させてほしい、って、あたし言ってるんだけど」
あたしはあたしのために力を貸してほしいと言っているので、利用したいと言っているも同然だ。だから、秋帆さんだって、利用価値があって都合がいいって思うならあたしのことなんていくらでも利用してくれて構わない。
「利用しあうって、つまり、協力しあおうってことだよね? 問題あるの?」
何もないと思うけど、と強く言えば、彼女は困った顔で黙り込む。困らせるのは申し訳ない気持ちになるけれど、ここで引くわけにもいかない。こうなったら根競べだ。
アーリィと二人でとにかく秋帆さんを見つめる。泣き落としとまではいかないけれど、気持ちが伝わってほしいと、とにかく見つめる。
たっぷり数分。しばらくの沈黙。お互いに目をそらさずにいれば、やがて秋帆さんが深く息を吐いた。
「……これに昔から弱い」
「え?」
「いえ……」
ため息。すごく不本意そうな顔。ぎこちなく表情を動かすことが多かった彼女にしては、わかりやすいくらい苦い顔をして目を閉じた。
「……わかりました。協力しましょう」
「やったあ!」
喜びのまま、わっとアーリィと抱き合う。これから詳しく何をするのかよくわかっていないけれど、秋帆さんに協力してもらえると思ったら、それだけで何もかもがうまくいくような気がした。もちろん、そんなのは楽天的すぎるし、いろいろと甘く見すぎだというのもわかっている。
でも、あたしはまだ難しいこともあまり経験していない十三歳なのだ。これくらい許してほしい。隣にいる十六歳だって一緒に笑っているのだから、少なくとも今は、やったあと喜んでいいはずなのだ。
「そういえば、キミの正体とか旅の目的って聞いてもいいのかい?」
「……まあ、いいですよ。最後まで巻き込むことになりそうなので」
さっきは誤魔化されたけど、とアーリィが問いかけると、秋帆さんはやっぱり渋い顔をする。笑う顔よりも表情豊かに見えて、ちょっともったいない。というか、もしかしてあたしが知らないところの方が、物語が進んでいたりするんだろうか。後でちゃんと聞いておこう。
いったん横に置いておいた「ヒトでない秋帆さんは何者なのか」という問題を再度目の前に持ってくる。
ディストさんが言っていた通り、彼女はヒトではなくて、あたしの魂を見ることができて、どうにかすることができた。嘘はなかったみたいだけれど、肝心なことは聞いていない。神秘と同程度の存在らしいと言うけれど、それってつまり、おとぎ話の中の存在ということだろうか。
「私は神秘の時代を生きた者。女神に冬を説いた、春の時代を終わらせた、世界を観測する者」
そう名乗りながら背筋を伸ばして片膝を立たせると、手を振るって杖を出現させる。きらり。路地裏に入り込んだ光を反射して胸に手を当てて首を垂れる。たしか、皇帝の前に出る時はみんなこうするって、本で読んだ気がする。騎士でもないのに秋帆さんのそれはとっても様になっていて、あたしはほうっと息を吐いた。
「世界の消失を防ぐために。永き時を経て、眠りの綻びから涙を零し、世界に異変をもたらす女神の封印を解くために、再びここに顕現しました」



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