5

少し家を片付けておきたいと言って先に帰ったクリアさんにうなずいて。食事をとってから待ち合わせて案内された家は、居住区の端っこの端っこにある小さな家だった。
とはいえ、家の壁に草花が生い茂っているから小さく見えるだけで、中は十分広い。一階建てではあるが部屋も複数存在しているみたいなので、もしかしたら家族が多いのかもしれない。
クリアさんはたどたどしく笑みを浮かべながら、リビングとトイレ、それから自分の部屋だという一番手前の部屋だけを案内してくれた後、さっと廊下を塞ぐように両手を広げた。
「ええと、その……こっちから先は、入らないで、ください。他の家族のものがあるから……」
「うん、ありがとう。ご家族にもご挨拶したいんだけど……」
「しばらくは誰も帰ってこないから、平気です」
アーリィの問いかけに、すす、と距離を取るように離れながら首を振るクリアさんは、自分のその態度があまり好ましくないものだと思っているのだろう。苦しそうに、申し訳なさそうに目をそらしている彼だけれど、アーリィは特に気にしていないようだ。
そっか、と言って笑ってうなずくと、じゃあ、と次の話題に切り替えて、リビングにあるソファを指さした。
ボクはここの椅子を貸してもらえたら十分だから、ファルと秋帆の寝る場所だけ貸してもらえるかい?」
「私もソファで結構です」
「あ、そしたら、ファルとわたしとクリアで一緒に寝るんだよ!」
はいはい! と両手を挙げて、ジャンプまでしてアピールするメイちゃんに、それまでずっと強張っていたクリアさんの表情が少しだけ和らぐ。
とはいえ、あたしだけベッドを借りるのも、なんだか変な話だ。別にベッドじゃなきゃ眠れないなんてことはないし、あたしだってソファでいい。いや、ソファの数が足りないという問題はあるけれど。
だからあたしも、と手を挙げるのも少しためらわれてしまって。どうしよう、と思っている間に、三人は入らないんじゃないかな、と渋るクリアさんの説得にメイちゃんが成功してしまって。「結構大きいから大丈夫なんだよ」と言って手を引かれるままに彼女に連れていかれながら、本当に平気かなあ、と苦笑しながらリビングに残る二人におやすみを告げた。

「わ」
招かれた彼の部屋は、壁いっぱい、いや、床にもたくさん平積みになって、たくさんの本が置いてあった。
ぱっとタイトルを見ていく限り、ジャンルにこだわりはないようだ。あたしも読んだことがあるような娯楽小説から見たことのない専門書。部屋の隅に追いやられている山は魔法に関する参考書だろうか。ママの部屋にあった医学書もあるかと思えば急に観光ガイドが飛び出ていて、クリアさんが幅広い読書家だということがうかがえる。
あたしもどれか読んでいいかな。そう思ってきょろきょろとしていたのを、クリアさんは違う意味で受け取ったらしい。申し訳なさそうにうつむくと、本を隠すようにあたしの前に立った。
「あ、あの……本、しまいきれなくて、その……」
「あ、ごめんね! 本がいっぱいあるなあって、びっくりして!」
慌てて首を振って、あの本とかおもしろいよね、と話を何とかそらそうとする。たぶん、片付けられてないことに対して申し訳なさそうにしているのだろう。家にあがらせてもらっている身だし、そんなこと気にしないのだけれど、あたしの視線が悪かった。
外に出てから何度も思うけれど、結構人と接するのって難しい。誤解させてしまうことも多いし、あたしにとっては普通だったことが外では変なことだったりするし。昔から知ってる村の人たちと違って、みんなあたしの事情も癖も知らないから、いつも通りでいては傷つけることだってあるのだ。
難しい。けれど、きっとこれは、とても大事なことだから。今日の反省として、次回からは視線や態度にもっと気を付けよう、と密かにこぶしを握った。
うろ、と目をさまよわせた彼は口を開いて、また閉じて。それから、何かを迷いながら、おずおずと口を開いた。
「父さまが、いろんな本を集めるのが好きな人だったから……」
ぼくも好きになって、と照れくさそうにはにかむクリアさんは、きっと読書もお父さんもどちらも大好きなのだろう。
専門書も小説も、家で見たことがあればないものも多くて、見ていて楽しい。たとえばあそこの、花の図鑑とか。この地域にあるものが中心なのか、表紙にはあの白い小ぶりの花が描かれていて、あたしが読んだ図鑑とは違う種類のものだ。
それを見て、あ、とあたしは慌ててクリアさんに向き直った。
「そうだ、花、ありがとう。あれもらったままでいいのかな」
「う、うん。別にいいよ。……兄さまが、好きな花だって思って買っただけだから」
「え。それはお兄さんにあげたかったってことだよね……?」
「ううん。兄さまはまだしばらく帰ってこないから、意味ないし」
無駄に枯らさなくてよかった、と答える彼は、何かを諦めたような顔をしている。そういえば先ほども「家族は帰ってこないから」と言っていた。もしかしたら、彼の家族は長いこと家に帰ってきていないのかもしれない。
そうしたら、この話題ってよくなかったのかな。誰にどんな話題をふっていいのかわからなくなってしまって、あたしも黙ってしまうと、ずっと持ち歩いていた箒を窓にたてかけて、先にベッドにもぐりこんでいたメイちゃんがばふばふとベッドを叩く音が聞こえた。
「はーやーくー、二人とも寝るんだよーっ!」
「わかったよ、もう……」
毛布を持ち上げならこちらを呼ぶ彼女に、クリアさんは少しだけ表情を緩めてそちらへと移動する。あたしも慌ててその後ろを追って、メイちゃん、クリアさん、あたしという順番で毛布の中に潜りこんだ。
もともと広いベッドだし、あたしもメイちゃんもまだ体が小さいから、三人入れないこともない、けれど。やっぱり真ん中にいるクリアさんは少し狭そうだ。よく考えたら女の子二人に男の子一人だし、そういう意味でも居心地が悪いかもしれない。やっぱりあたしも断るべきだったかなあ、と今さら頭を悩ませ始めていると、メイちゃんがうきうきと体を揺らすのがあたしのところまで伝わってきた。
「そしてお布団の中で秘密のおしゃべりタイムなんだよ」
「寝るんじゃなかったの」
少し意地悪な言い方だけれど、先ほどまでと比べても明らかにリラックスした様子に、なんだかあたしも笑ってしまいそうになる。彼はいつも一歩下がろうとするけど、お友達のことはとっても大好きらしい。余計にここに混じってしまうことに申し訳ないなあと思ってしまうけれど、かといって今から外に出るのもおかしな話なので、今日は我慢してもらうことにする。

自然と真ん中になったクリアさんが本を広げて、昨日はどこまでだっけ、とページをめくる。たしか〜とメイちゃんが答えるあたり、どうやらおしゃべりタイムとは、お勉強タイムという意味で、頻繁におこなわれていることらしい。
ちゃんと覚えていてえらいね、と目元を和らげたクリアさんに、ああそっか、忘れちゃうんだっけ、と秋帆さんから聞いた話を思い出した。
「あの……ええと、嫌な質問だったら、ごめんなさい」
先にそう前置きをしてから、気になっていたことを聞いてみる。この前置きの言葉って意味があるのかな、と思いつつ、不躾に言うよりはいいだろう、と自分を励ましておいた。
「みんな、何か忘れちゃうんだよね。それって急に思い出せなくなるの?」
この町の人は、みんな何かを忘れてしまう。ゆっくりと記憶を失っていく異変。そう説明を聞いたけれど、いまいちピンと来ていないのだ。忘れるって、どんな感じだろう。忘れてしまうこと自体はわかるけれど、思い出そうと思えば思い出せることがあたしにとっての普通だから、よくわからない。
わからないことはきっといけないことだ。だから知りたいけれど、この質問を嫌がられたらどうしよう、と緊張していると、二人はきょとんとした様子でこちらを見る。どう説明すればいいかな、と眉を下げたクリアさんは、少なくとも嫌がってはいないようで、こっそりと胸をなでおろした。
「えっと……じんわりと、気付いたら忘れているのかも、って思うくらい、かな。急に記憶がリセットされるわけじゃないし……ごめんなさい、他の人と話さないから、わからないや」
「そっかあ」
「わたし、一週間くらいお世話になってるけど、クリアが他の人と話しているところなんてほとんど見てないんだよ」
だから他の人の感覚なんて余計にわからないと思うんだよ、と言われて、クリアさんがむっとする。それになんと答えればいいのかわからずに苦笑すれば、今日はちょっと難しいところからやろうか、とページをめくり出して、メイちゃんがひどいんだよ、と足をばたつかせた。
というか、メイちゃんは一週間滞在しているけど、まだ何も忘れてないのかな。それともこれから忘れるんだろうか。
「あ、あとその、えっと、あたしも、お話、聞いててもいいかな……?」
ついでに、といったていで、そう追加でお願いする。
彼が開いている本の中身は、横から見る限りは魔法に関するもののようだったから。専門書はさすがに理解できないけど、メイちゃんとお勉強、というくらいなら、ほとんど知識のないあたしでも、多少は理解できると内容だろう。
でも本格的に教えてもらうのは少し気が引けると言うか、二人の邪魔をしてしまうみたいで申し訳なくて。枕に顔半分を埋めながら、あたしはあのね、と少し拙く理由を話した。
「あのね、あたし、いろんなことに詳しくなくて、みんなの話についていけないことが多くて……だから、よかったら教えてほしいなあって」
ずっと田舎の方の村で引きこもってて、とか、本は読むけど勉強が得意なわけでもなくて、とか。聞かれてもいないことを並べながら、だからお勉強の話を横であたしも聞いていたい、と告げる。
こういうのが図々しいのだろうか。さじ加減が本当にわからない。というかこれって、逆に断りにくくしてるんじゃないだろうか。
ぐるぐる。悩みだしていると、メイちゃんがいいと思うんだよ、と笑顔を向けてくる。その屈託のない笑顔に、思わずほっと息を吐いた。
「クリアはすっごく教え方が上手だから、ぜひ聞いていくといいんだよ!」
「そ、そんなことはない、けど」
「あーるーのー!」
だから聞き得なんだよ! と自分のことのように胸を張る彼女に、クリアさんも謙遜しながらも嬉しそうにはにかむ。
思ったよりもあっさりと聞き入れられたそれに、あたしもよかったあ、と頬を緩めた。


「ごめんなさいね。あまり、話しかけるものではないとわかっているのだけれど」
うとうと。うとうと。夢の中。
まどろむあたしに、あの綺麗な声が落ちてくる。
優しく揺り起こすように、頭を撫でるみたいに、優しい声があたしの意識を揺する。
その声は嫌いじゃないけど。でも、今、あたし、すごく眠いのに。夢の中でふわふわと遊んでいたのに。起きて、って。邪魔をされるのは困る。
いつも夢の中に現れるくせに、あたしがこのまま夢の中に落ちることは嫌がるみたいに声をかけるなんてひどいなあ、って、思うけど。
「起きてちょうだい。あなたならきっと、手が届くから」
そんな風に言われたら仕方ない。何をしてほしいのかよくわからないけれど、あたしが起きて、何かいいことがあるなら、それはきっと、素敵なことだ。
だからあたしは、目を覚ます。
夢の部屋からそっと出て行って、彼女の言う通りに、手を伸ばすのだ。


(……おトイレ)
むくりと起き上がって、ぼんやりと部屋の中に視線を巡らす。部屋はもう暗い。お勉強の途中でメイちゃんが寝たので、あたしたちももう寝ようって、明かりを消したのを覚えている。
今は何時だろう。気になったけど、時計を確認したらそのまま寝付けなくなるような気がしたから、考えないことにした。それに夜中におトイレに起きるのは、そんなに珍しいことじゃない。ゆっくりゆっくり動いて、ぺたりと床に足を着けて。それから立ち上がっても揺らがない視界に、へにゃ、と頬が緩むのがわかった。
そういえば、誰かが揺り起こしていたような気がしたけど、メイちゃんもクリアさんもすやすやと寝ているから、気のせいだったかもしれない。それか、夢でも見ていたのかな。あまり思い出せないけれど。
確かおトイレはこっち、と案内された記憶を引っ張り出して、暗い廊下を歩く。通りかかったリビングには、宣言通り秋帆さんとアーリィが椅子で寝ていた。体痛くないのかなと思うけれど、これは親切心というやつだろうし、変に指摘するのも迷惑かもしれない。人付き合いって難しい。

(……あれ)
おトイレを済ませて、もう一度部屋に戻ろうとして。ふと、窓の外に誰かがいるのが見えて足を止める。
庭、と言っていいのかわからないけれど、窓の外。この家からそんなに離れていない場所。小さな切株の上に、誰かが座っている。
誰だろう。そんなに大きくない。あたしより、メイちゃんに年齢は近いのだろうか。こんな夜に子供が外にいるなんて、という気持ちのせいか、引き寄せられるようにあたしの足は外へと向かう。外に出れば夜風が柔らかくスカートを揺らした。
「こんばんは、見知らぬあなた。今日の空は穏やかですね」
あたしが話しかけるより先に、その子は振り返る。
思った通り、まだ子供のその男の子は、けれど顔の半分を包帯で覆っていた。頬にはガーゼが貼られている。フードも被っているし、暗くて傷や腫れが見えないせいか、痛々しいというほどではなかったけれど。長いローブの下にも包帯が巻いてあることが夜風でわかって、あたしは思わず眉を下げる。
そんなあたしにゆったりと笑いかけてくるその笑顔は、誰かに似ているような気がした。
「こんな時間にお散歩ですか」
「こ、こんばんは……ううん、あなたの姿が見えたから」
問われたことに返事を返すけれど、それに対する返事はない。彼は確かにあたしの方を見ているけれど、あたしを見てはいないような気がした。
その表情は微笑んでいるように見えるけれど、どこか虚ろな印象がある。それもあって、目の前にあたしはいないような、もっと別の誰かと話しているような。大事そうに花を握りしめているし、もしかしたらあたしじゃなくて花と話しているのかも、なんて、思ってしまうくらい、彼と会話ができている気がしなかった。
(持ってるの、さっき見た花だ。……あれ、ここではよくある花なのかな)
白い花。小ぶりのそれは、馬車酔いしたあたしにクリアさんが差し出してくれた花でもある。お兄さんの好きな花だっけ、と思い返すけれど、花の名前はそういえば知らないままだった。
「あの、怪我をしているんですか。回復魔法を使える友達がいるんです。もしよかったら、診てもらいませんか」
「夢から、覚めたくて。夢は、痛いのです。苦しいのは、嫌です。でも、上手に動かなくって」
困った。何を言っているのかよくわからない。上手に動かないって言うのは、怪我がつらいってことであってるだろうか。
あたしは貧弱だけど、貧弱ゆえに怪我はしないように気を付けてきたから、怪我の適切な手当はわからない。もう少し、ママの仕事を見ておけばよかったかなあと思いつつ。感染症なら絶対にかかるから近付くなと言われていたから、無理な話かと肩をすくめる。
あたしにはわからないけれど、回復魔法も使えるアーリィならきっとわかってあげられるだろう。とりあえず彼を中に連れて行こうと、その手に触れようとした時だった。
「う、ぐぅ……っ」
「だ、大丈夫ですか!?」
手に触れた途端、急に体を真っ二つに折るみたいに呻きだして地面に膝をつく。慌てて起こそうとするけど、うずくまる力の方が強くて顔を挙げさせることもできない。
これはおとなしく人を呼んだ方がいい。そう思って家の中に引き返そうとすれば、ぐっと強く腕を掴まれた。
ぎしぎしと音が聞こえそうなくらいに強い力で掴まれて、思わず顔がゆがむ。痛い。あたしより小さく見えるのに、どうしてこんなに力が強いのだろう。思わず離して、と叫んでしまいそうになれば、かちりと。ようやく目があったような気がした。
「……名前を」
落ちてきた声は、さきほどと変わらないはずなのに。苦しんでいるはずなのに、何故だろう。ずっとはっきりとしているような、きちんと意思があるような。ようやっと手が届いたような、不思議な感覚がした。
「名前を、呼んであげて、くれ。……あの子たちは、それが好き、だから」
あの子たちって誰、と。そう問うより先に、くらりと視界がゆがむ。あ、これ気絶するな、と思った時には、すでにあたしの視界は真っ黒に塗りつぶされていた。


そんな、夢みたいな夜の後。あたしは当たり前にベッドの中で目を覚ました。
昨晩のそれは、全部夢だったのかもしれない。そう思うと誰にも何も言えなくて、ただ、まだ痛むような気のする腕を、ぼんやりとさすることしかできなかった。


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