6

閉めたカーテンの隙間から入り込んでくる月明かりさえも煩わしい。
体が重たい。当然だ。無理やりに体を動かしていることなんてとっくに自覚している。自分に魔法の才能がそこまでないことも、期待を受けるほどの存在でないことも、幼い頃からちゃんとわかっていた。それでもあがくことをやめられないのが精いっぱいの虚勢で、自分の身に流れる血に対する誇りだった。
でも。でも今は、それが煩わしい。他の何物でもないそれが、自分を何よりも苛んでいることを理解しているから。暗い、暗いあの場所から。後悔と共に手招いている何かに、いつもぐらぐらと地面が揺れているような気がした。
「……なんだよ」
はらり。
自分の頭上に振ってきた花びらに、ただそれだけを呟く。
だが、この花びらをまき散らしたそれは無言のままだ。口を開こうともしない。これの強情な態度は昔から見ているからよく知っている。その強情さに呆れていて、馬鹿だと思っていて、愚かだと思っていて。だから、この花びらに対しても、それ以外の言葉は出てこない。
嵐が来る。近付いてくる雨雲に、ただ強く目を閉じる。
雷の音は、もう嫌いだった。


「大精霊様の花畑に続くトンネルは、今入れないようになってるよ」
翌朝。大精霊のいる花畑までの道のりを聞いたときに、クリアさんはそう言った。覚えてないからよくわからないけれど、うつむいて、でもそういう魔法がかけられているみたいなんだ、と言葉を続ける。
大精霊が封印されている場所は神域だ。もちろん周知されていて、領主に管理されている。そこに住まう人がその場所を知らないはずがない。ティールオンにおいて、それは広い農地とは別に存在する広い花畑にあたるらしい。
白い花が咲き乱れる場所。豊かに果実が実る場所。だがそこに至るトンネルは、どうしてだか入ることができないのだと、彼は言っていて。それでももしかしたらと確認しに来たあたしたちは、トンネルを前にして立ち尽くしていた。
「本当に入れないね」
「だから言ったんだよ。わたしも入りたいのに入れなくて困ってるんだよ」
急に足が止まっちゃって、意思とは関係なくこれ以上先に進めないんだよ、と呆れた顔をしているのはメイちゃんだ。トンネルに行こうとするあたしたちを追いかけて、ふよふよと箒に座る彼女はふてくされた顔をしている。
はて。そもそもメイちゃんは、どうしてこの先に行こうとしたことがあるのだろう。
「メイは何の用事があるの?」
「みんなと同じなんだよ」
『前提条件が共有されていないのにわかるわけないだろ』
「あ、そうだったんだよ」
「え?」
ふと、知らない声が聞こえてきてきょろきょろと辺りを見回す。知らない声ではあるけれど、まったくの真面目手ではない。たぶん、昨日も聞いた声だ。メイちゃんがクリアさんにあたしたちを家に泊めたいと言い出す直前、聞こえたような気がする声。
あの時は他の誰も気にしていなかったようだけど、今回はさすがに全員に聞こえたのだろう。アーリィもあたしと同じようにきょろきょろしている横で、秋帆さんがじっとメイちゃんを見つめている。
「今の声は……」

「おやおや、誰かと思えば、見知った顔がたくさんありますねえ」
声の出所を探るより先に、はっきりと聞き覚えのある声が聞こえて全員でそちらに振り返る。
トンネルの向こう。暗い底からゆっくりと歩いてくるその人は、もう何度も見たことがある人だ。ディストさん。あたしたちが探していた人。
「風よふけー!」
彼を見るなりメイちゃんは素早く箒から飛び降りて、この前と同じようにぶんぶんと箒を振って魔法を唱えだす。けれど、前回と違って風が吹くどころか何かが集まるような気配もない。あれ、と目を瞬かせるメイちゃんの横で、アーリィも手のひらを見る。そうして少しして、彼も目を丸くした。
魔法が使えない、と。小さく彼がつぶやいたところで、ディストさんがにこやかに笑いかけてきた。
「すみませんが、この辺りは土の大精霊さまの眠る神聖な場所の近くですからね。精霊風情に魔法を使われては困るので、魔法封じが施されていますよ。私は使えますけどね」
「そんなのズルいんだよ! やっと見つけたのに!」
「白々しい。私がここに暮らしているとわかっていて来たのでしょうに」
「追いかけてる途中で落ちただけなんだよ!」
そんな細かいこと考えていない、とやたら自信満々に宣言する彼女に、ディストさんも少しだけ困ったように眉を下げる。ぶんぶんと箒を振り回す様子も、少しだけ危ないと思ったのだろう。小さく魔法を唱えて、あくまでこの場で優位なのは自分だと主張する。
それでも飛び出して行きそうな彼女の手を、あたしが抑えられる力があるかは別として、ぎゅうっと掴むと、彼女はぐるぐると唸るようにディストさんを睨んだ。
「獣みたいに恨んできますねえ」
「当たり前なんだよ! 妹の魂を奪われて、敵視しないほど優しくないんだよ!」
そう、語った彼女の言葉に、ぱっとディストさんを見る。彼はただ笑っているだけだ。相変わらず考えの読めない張り付いた笑顔を、ただ黙ってこちらに向けているだけ。
あたしたちの村に来る前に、他の場所でも魂を奪われて倒れた人がいる、という話はアーリィから聞いていた。詳しい内容までは聞かなかったけれど、他にも多くの人がディストさんに襲われていると、情報としては知っていた。でも、メイちゃんの妹って、いったいどれだけの小さい子だろう。そんな子の魂を奪ってまでと、あたしは自然と表情が強張るのが自分でも分かった。
「そこまでして、いったい何をしようとしているんだい?」
「前にも言いましたよ。家族が苦しんでいると」
「あれは嘘ではないと?」
「もちろん。私は嘘はつきませんよ。私は精霊の暴走により浸食され、苦しんでいる家族を救いたいのです」
にこり。貼り付けただけの笑みのまま、彼は視線をゆっくりと秋帆さんに移動させる。初めて見た時と同じ、ずっと暗いままの瞳を細めて、ただただ形式的に笑った。
「そこの観測者は本当に何も話していないようですね。私の目的など、とっくに推測できていると思っていましたが」
「……浸食のくだりは初耳ですよ」
侵食。というのは、先ほどディストさんが言った「精霊の暴走による浸食」にかかっているのだろう。それが何かわからない……というわけではない。専門知識があるわけでもないけれど、あたしはそれをなんとなく知っている。
だって、魔力の暴走による浸食、というのは。ママが得意とする分野で、ママがお医者さんとして有名になった理由の病だからだ。
昨晩クリアさんに魔力と性質について簡単に教わったのもあって、ママの言っていた話はこういうことだったんだなと結びついたことがある。人には生まれつき相性のいい属性というものが存在していて、基本的に魔法を使う人はその属性だけを扱う。相性の悪いものを扱うのは非常にティールオンに来る前にアーリィが言っていたように危ないからだ。
噛み合わない魔力と性質は、時としてヒトの体を侵す。魔力を操作することができずに己や周りを傷つけた結果、体が機能しなくなる。属性と素質によっては体がヒトの姿を保てなくなることもあるらしい。その魔力の暴走と浸食を一定以上緩和することができるように治療法を編み出したのがママ、アシュリー・アーロスである。
大精霊がいったいどういう経緯でディストさんの家族を侵食しているのかはわからないが、それなら尚さら、ママを襲うのは悪手だったと思うのに。魂だなんだと言わずに、ママの治療を受けられるようにすれば、きっともっと違うことができたはずなのに。彼はやっぱり表情を変えず、ゆるやかに両手を広げて語りだした。

「では改めてお話ししましょうか。私の目的はこの地の異変を終わらせること。そして暴走状態にある土の大精霊を女神の封印から切り離しつつ、封印自体は維持すること」
あなた方とそんなに目的は変わりませんよと、男は笑う。
「ご存じの通り、この先には女神の封印があり、今は中途半端な状態で解かれている。異変はそのせいで起きています。ただ、精霊を切り離した状態で再び女神の封印をおこないたくても、私は雷の魔法しか使えません。まあここに限れば必要なのは風の魔力ですから、なんとかならなくもないのですが。精霊の属性にも神秘の属性にも当てはまらず、魔力の衝突の間に零れ落ちる残骸が一番必要でして……ああ、これは何か、すでに説明されているのですね。なるほどお、ならば話は早い!」
からからと大げさに笑っては、演劇のように大仰な仕草で手をたたく彼は、一人その場でお芝居をしているみたいに賑やかだ。
すでに説明を、というのは、女神の封印のために必要な魔力の属性の話だろう。彼が言う残がいというのは、秋帆さんが言っていた「時空の力」であり、秋帆さんしか持っていないもの。それを補うために、代用として「純度の高い魂」で用いるのだと、彼は言っているのだ。
まるで何かの物語をそらんじるような口調は舞台の上のようで。暗い目が、秋帆さんをしっかりと見る。ぐんにゃりと歪んで、まるで強く憎むみたいに彼女を捉える。かと思えばすぐにわざとらしい笑みを浮かべ直して、今度はメイちゃんの方へと首を傾けた。
「あと少しだ。あと少し。魂の数で言えばお前たちの分があればいい。そこの観測者の力を差し出してもらえるのならそれだけでもいい。……そうすれば、あなたのお仲間は解放されるのですから。黙って見ていてくれますよね、そこにいる風の大精霊さま」
『……お前が言うべきはそんなセリフじゃなくて、力を貸してくれませんかって希うことじゃないの?』
ディストさんの問いかけに応える様に、さっきも聞こえた聞きなれない声が返事をする。今度はそれがどこから聞こえてくるのかはっきりとわかった。彼の視線を追って、メイちゃんを見ていたから。この声が、彼女の持つ箒から発せられているのだと、ちゃんとわかった。
「さ、さっきの声……って、箒がしゃべった」
『なに。しゃべったらいけない決まりでもあるの?』
「いやそんな、ええと、あれ? どこかで聞いたことがあるような……?」
『へえ。この声に聞き覚えがあるなんて、神官の自覚があっていいんじゃない』
「えっ、この箒が、えっ、だって封印が、ええ?」
困惑しきりのアーリィだけれど、誰もこれ以上の返事をしてはくれない。答えはさっきも言ったでしょ、という態度だ。
風の大精霊。さっきディストさんはそう言った。メイちゃんがいつも使っている魔法も風だ。だからこの声は、風の大精霊のもので、それは今、彼女の持つ箒の形をしている、ということなのだろう。……封印されているはずの風の大精霊がこんなところで箒になっている、というのは、ちょっと問題だと思うけど。
まあ、専門的で細かいことは後でみんなが聞いてくれるだろう。とりあえず今は、この声の主が風の大精霊であるという事実を受け止めればいい。そういうことだよね、と秋帆さんの方を見ると、彼女は冷静な顔でふむ、と何かに納得したようにうなずいた。
「……なるほど。メイさんの目的は、この地の精霊を開放することですか」
「それはおまけなんだよ!」
『こっちが主題に決まってるだろ。僕たちがしたいのは契約だ。それで異変は解決する。僕がここにいるように、女神の封印なんてもう意味はない。そんなことより大精霊の暴走を止める方が現実的だ』
そもそも、と。箒の姿をした大精霊は言葉を続ける。顔は見えないけれど、声色からして呆れかえっているような、嘲っているような。そんな表情が見えた気がした。
『精霊だけ切り離した女神の封印なんて、魂をかき集めたところでできるわけないでしょ』
「そうですね。それが可能なら、ですが」
「してみせるんだよ。だからそこを退くんだよ!」
「うるさいですねえ。子供らしくお友達と遊んでいればいいのに」
やれやれと、まるで聞き分けの悪い子供を相手にしているようにディストさんが肩をすくめる。確かに今、みんな魔法が使えなくて、特に彼に対してできることはないわけだけれど。家族のためだと言って、こっちに歩み寄ることもしないこの人の方が聞き分けがないと思う。
そう。そうだよ。契約をすればいいって大精霊は言っていて、秋帆さんだって異変を解決するために来たのに。大精霊に言われても、「協力しましょう」じゃなくてあくまで魂をよこせとか、そんなことばかり言っている。
「……私だって」
ぽつりと。つぶやいてしまうつもりはなかった。だってあたし、ここでできることってないし。あたしの言葉に立ち止まってくれるような人なら、最初から何も始まってないだろうし。いまいち上手に会話できないなって、アインザッツでも実感したし。
でも言葉が落ちた。口から勝手に零れ落ちた。何をしてでも「家族」を助けようとしているという顔をして、実際にはあたしたちと全然会話もしてくれないこの人に、やっぱりムカッとしてしまったのだ。
「私だって、パパとママが大事だよ。おにーさんの都合で、取らないでよ」
こんなの、自分本位の我儘な主張でしかない。でも、相手の我儘を押し付けられてまで、他の人の幸せまで願ってあげられるほど優しい人でも何でもないのだ。
だからそう言葉になった。それを聞いて、ディストさんはやっぱり、何も変わらない、聞こえていないような顔をして笑みを張り付けている。
「……嵐が来ますよ。おとなしく帰った方がいい」
でも、そうやって。話はおしまいですとばかりに踵を返して。あたしたちが進めないトンネルの向こうに歩いていく背中は、少しだけ……ほんの少しだけ、痛そうだった。


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