8

領主さんの家を出た後、辺りは雨雲のせいですっかりと暗くなっていた。慌てて今日もお世話になっていいかと問いにクリアさんの家まで行った頃には、すでに雷を伴った雨が降り始めていて。彼はやっぱり少しだけ困った顔をして、けれどすぐにいいですよ、と中に入れてくれた。
今日は一緒に夕飯を食べて、また昨日と同じ割り振りで寝る。そして、夜中にまた目を覚ましてしまったのも、昨日と同じだった。違うのは、外を見たところで、あの包帯の男の子はいないことだろうか。結局あれは夢だったのだろう。それでもなんとなく、あたしは再び夜の庭に出た。

嵐の後は、月明かりが綺麗だ。
まんまるの月を隠すような雲はどこにもいない。遮るものの無いその光はくっきりとあたしを照らしていて、夜になると少しだけ感じるような寂しさも、今日は感じなかった。
「どうかしたの?」
ぼうっと空を眺めて、でも夜風に当たりすぎてもよくないからそろそろ帰らなくちゃ、と思っていると、後ろから声をかけられて振り返る。そこに立っているのはクリアさんだった。
いつもの黄色い上着を被って、じっとあたしを見ている。彼は、こんな夜に何をしているんだって叱りたいのかもしれない。あたしは慌てて頭を下げると、ごめんね、と謝罪した。
「ごめんね、なんか起きちゃって……」
「う、ううん。大丈夫……さ、寒くない?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
もう戻るよ、と手を引こうとして、ちょっと止まる。クリアさんはどこかそわそわと落ち着かなさそうに視線を揺らしていて、もしかしたら寝付けないのは彼の方かも、と、なんとなく思ったからだ。
はたしてこの予感が合っているのかは聞かないとわからない。でも、もしもそうなら、もうしばらく一緒に夜風に当たるのもいいかもな、と思った。
「クリアさんも眠れないの?」
「あ、えっと……夢を見て、ちょっと」
「どんな夢?」
「……父さまに、高い高いを、してもらった夢」
小さい頃の話だよ、と言う彼は、なんだかすごく寂しそうな顔をしている。懐かしすぎて眠れなくなっちゃった、となんとか笑みを浮かべて見せているけれど、それが強がりなんだろうことは、あたしでもよくわかった。
クリアさんの家族のことを、あたしたちは知らない。メイちゃんはもしかしたら知ってるかもしれないけれど、少なくとも、ここに来てから姿を見たことは一度もなかった。お兄さんはまだしばらく帰ってこない、とだけ聞いたけれど。お父さんとお母さんはどうしているんだろう。他にも家族はいるんだろうか。どうして今彼は一人でこの家にいて、こんなに、寂しそうにしているんだろう。

「家族の話、聞いてもいい?」
あたしは少しだけ迷って、そう問いかける。聞かれたくないことかもしれないし、無神経だって思われるかもしれないけれど。でも、クリアさんの家族のことを聞きたいと思ったから。
これでまた嫌われたらどうしようと緊張したけれど、どうやらこの話題は別に悪いことではないらしい。彼はきょとんとしたけれど、その顔に嫌悪だとか、そういうものは感じ取れなかった。
あ、でも、もしかしたらもうあまり覚えていないっていう意味かもしれない。ティールオンの事情を思い出して、あたしは慌てて手を振った。
「あ、ええと、覚えてなかったら、ごめんなさい」
「ううん……ちゃんと覚えてるよ」
忘れたりなんかしないよ、と。嚙み締めるように呟いた彼は、昨日の夢の中で包帯の男の子が座っていたのと同じ場所に座る。あたしもその隣に座りこめば、クリアさんは柔らかく笑って口を開いた。
「父さまは、すごい人なんだ。魔法がとても上手で、優しくて、なんでも知っている、すごい人。母さまは小さい頃に死んじゃったから、覚えてないけど。すごく仲良しだったって、聞いたよ」
「そうなんだ。素敵だね」
「それで、兄さまと姉さまもいるんだ。二人とも、父さまに似て、魔法が上手で、しっかりしてて、すごい綺麗で。ぼくは……二人のことが好きなんだ」
たまに身振り手振りを交えて話し出した彼の表情はとても優しくて、本当に家族のことが好きなんだなあというのが伝わってくる。尊敬する家族。大好きな家族。それはあたしにもよくわかる気持ちだ。あたしもパパとママが大好きだし、尊敬している。きっとクリアさんも同じなんだろう。
お兄さんとお姉さんは、事情があって家を留守にしているらしいけれど。とても可愛がってくれているんだと、思い出を教えてくれる。さっき夢で見たように高い高いを、誰が最初にしてもらうかでちょっと喧嘩したことなんて、あたしが知る範囲のクリアさんのイメージとは少しあわなくて、でもそれくらい仲良しなんだと思って、あたしも自然と笑顔になった。
「二人に名前を呼ばれると、嬉しくなるんだ。なんだか、ここにいてもいいよって、言われているみたいで。だから、帰ってこないのは寂しいけど……でも、みんなが帰ってこないのは、ぼくのせいだから」
「そうなの?」
どうして、という問いには答えないで、クリアさんは上着をちょいとつまむ。昨日も着ていた、たぶん彼のお気に入りの黄色い服。軽く腕をぱたぱたと動かして、風で膨らむそれを見せながら、おそろいなんだ、とはにかんだ。
「この服とか、みんなでおそろいの黄色いものを身に着けてるんだ。母さまの好きな色。いつかここを出て、離れることになってもずっと大切な家族だからって、昔にみんなで作ったんだ」
姉様はいくつかの洋服やネクタイで、兄様はマフラーで……と。家族でおそろいにしているという黄色いものの話を始めるクリアさんは楽しそうだ。ずっと人見知りをしてうつむいているところばかり見ていたけれど、本当はこんなの楽しそうに話す人らしい。
にこにこと話を聞いていれば、彼はハッと何かに気付いたように動きを止めて、じわじわと頬を染める。それから恥ずかしそうに上着の襟を引っ張って顔を半分隠しながら、あう、と小さく呻いた。
「ご、ごめんね、話し過ぎたかも……」
「そんなことないよ! 大好きなんだなあって伝わってきて、嬉しいよ!」
なんだか急に恥ずかしさを思い出してしまったらしい。でも聞いたのはあたしだし、聞いていて楽しかったのも本当だから。そう何度も言葉を伝えて、よいしょ、と立ち上がる。もちろん慎重にゆっくりとだ。立ち眩みは気持ちいいものではないので。
「あたしもね、パパとママが大好き。またみんなで暮らせるといいね」
クリアさんの手を取って、そう伝える。
あたしは家族が大好き。もちろん、仲の悪い家族だっていることくらいは、ちゃんと知っているけれど。大好きなら、一緒にいてほしいって思う。
どうして彼の家族が今、ここにいないのか知らないけれど。遠く離れても大切な相手だって、おそろいの色を身に着けるくらい、仲良しなら。また一緒に暮らせたらいいなって思うし、あたしも、またパパとママと一緒に暮らしたい。秋帆さんをお手伝いして、二人が今どこで何をしているのかを知って、もう一度会うための方法を知って、そうしてまた、いつもの日々に、帰りたい。
「そのためにも、お勉強、しなくちゃだよね。魔法ってなんかこう、難しくて……」
「……そうだね。ぼくは、魔力がないから、実際に魔法を使うことはできないけど」
「そしたら、ちょっと悔しいね。おにーさんもおねーさんも魔法が上手だと、なんかこう……足手まとい感があって……苦しいというか……」
「そ、そうなんだ。そう、すごく、く、やしくて」
魔力とか魔法とか、まだまだわからないことが多い。それは今まで触れてこなかったんだから当然だとは思うけれど、秋帆さんもアーリィもとっても頭が良くて詳しいから、余計に申し訳なく感じてしまうのだけはやめられない。
眉尻を下げながら何度もうなずくクリアさんも、きっと同じなのだろう。いや、お姉さんとお兄さんという近い場所にいる比較対象は、あたしよりももっと申し訳なくさせただろう。それでも二人のことが好きだって言う彼のことを、あたしももっと好きになる気がした。
「メイだってそうだ。感覚で使っているっていうか、どうにも箒側に仕掛けがあるみたいだけど……だからって、もともとの才能とか相性がなければ、上手に扱えるものじゃないのに」
「でもクリアさんは、兄弟ともメイちゃんとも仲良しなんだよね。いいなあ、あたし、そういう精神的支えとか、そういうのにもなれてないなあって思うから」
「そんなこと……だって、一緒にいるじゃないか」
一緒にいるだけなんて誰でも、と言おうとして、あたしは口を閉ざす。
だって、クリアさんがすごく、真剣な顔をしていたから。苦しそうな顔をして、あたしを見ていたから。あたしは何も言えなくなって、ただクリアさんを見つめ返す。
「足手まといでも、なんでも。隣にいることを許してもらえているなら、十分だよ」
「……そういうものかな」
「そうだよ。大丈夫。きみは、大丈夫だよ」
そう、はっきりというわりには、声がどこか寂しそうに響いた気がした。

そういえば、もうすっかり長く夜の下にいて、体が冷えている。さっきまで、ぽかぽかとしていたような気すらするのに。どうしてだろう。あんなに楽しそうに話していたのに、どうして急に、そんな、置いて行かれたようにうつむくのだろう。
「ごめんね」
か細く呟いた声は、静かな夜の中ではしっかりと耳に届く。
うつむいて、見えなくなった目は、今、どんな色をしているんだろう。
「きみもメイも、家族と一緒にいられなくなってしまって」
そんなの君が謝ることじゃないと言いたいけれど、再びあたしを見た目に、また言葉を飲み込む。
綺麗なはずのその色が暗くよどんでいるのを見て、あ、と何かが頭の中でかっちりと嵌まった気がした。
(……そっか。似てるんだ)
ずっと、既視感があった。誰かに似ていると思っていた。でも上手に思いつかなくて、気のせいかなって、思っていたけれど。
似ているんだ、とても。あたしとママが似ているように。同じ髪の色をしているように。パパと同じ目をしているように。
(ディストさんと、クリアさん)
綺麗な翡翠の目がとても、そっくりなんだ。



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