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もしかしたら、クリアさんとディストさんは家族なのかもしれない。
あの二人は、四つの神秘のひとつ、妖精の魔術師と呼ばれるアネストの三人の子供なのかもしれない。
だってそっくりな翡翠の目に、マフラーと貫頭衣でおそろいの黄色のもの。おにーさんの好きな、魔術師アネストにとっても特別な花。家族が不在がちだと言ったクリアさんの言葉と、家族を助けたいと言ったアネストの関係者のディストさん。考えるほど二人とアネストの共通点は多くて、むしろ今までピンとこなかったことの方が不思議だと思うほどだ。
でも、そう思ったことを、あたしはまだ、誰にも言えないでいる。

「気分がすぐれないですか?」
そっと手の甲で頬を撫でられて、あたしは秋帆さんを見上げる。今日こそなんとか花畑に行こうと外に出て歩きだしたところだった。
わざわざ足を止めて、少しだけ心配そうにあたしを見下ろすその瞳は、いつも通り静かで穏やかで心地が良い。けれど、今はそれを素直に見つめ返すことができないような気がした。
だって、あたし、どういえばいいかわからない。あの二人は家族かもしれない。この言葉が、あたしのただの予感が、何かを変えてしまうことを怖いと思っている。
「大丈夫だよ。すこぶる元気です」
きっと、なんでも言った方がいいのだろう。あたしよりもいろんなことに詳しい人がいるのだ。その人に思ったことはなんでも伝えて、何も知らないあたしの代わりに考えてもらう方が、きっとずっと正しい。
でも、言えないと思った。伝えることをためらってしまった。言って、それで、クリアさんを傷付けたくなくて。あなたのお兄さんにひどいことをされたかもしれないなんて、遠回しでも言いたくなくて。あたしはただにっこりと笑って、何でもないよと笑顔を向ければ、秋帆さんはただ静かにあたしを見つめ返す。
もしかしたら、隠し事なんてバレバレなのかもしれない。そもそもあたしでも気付くようなこと、秋帆さんが考えないわけがない。もうとっくにその可能性に気付いたうえで何も言わないでいるのなら、やっぱりあたしが何かを言うのはお節介な可能性もある。どうしよう、少しだけ気まずいなと思っていると、ふと、彼女の手があたしの髪を撫でた。

「私は、あなた方に問われたことのほとんどの答えを持っています」
「え?」
急にそう言われて、何が言いたいのだろうと彼女を見上げる。
どこか困ったような顔をしている秋帆さんは、何か言葉を探すようにあたしの髪を撫で続けていた。
「……どこまで、何を話していいのか。本当に私が話していいことなのか、わからなくて。私には話していないことがたくさんありますから。ファルさんだって、話せないことがたくさんあったって、いいんですよ」 ゆらゆらと揺れる瞳に、あ、と小さく声が落ちる。たぶん、これはいつもの、秋帆さんなりの遠回しな慰め方だ。
この人はどうも、誠実であろうとするわりにこうして小難しい言い回しばかりをするから、あたしはいまいちわからないことが多い。アーリィは、単純に言葉選びが苦手な人なんだよと笑っていて。一応契約者という立場なのに、アーリィよりも全然秋帆さんのことを理解できないのが、結構面白くなかったのだけれど。
たぶん、これは。これは、わかる。最後に言った言葉の通り。
秋帆さんだって言っていないことがたくさんあるから、あたしも全部を話さなくていいんだよって、そう、慰めてくれている、のだ。
何か話せないことがあるとバレバレなのは、まあ、あたしの誤魔化し方が下手くそだからと思えば仕方ない。唐突な話題の意味も、上手な誘導ができなければそうなるだろう。それでも、ちゃんと、言えないことを言えないと教えてくれるあたりはやっぱり誠実な人で、ちょっと不器用な人で。ゆらゆら揺れている瞳はもしかしたら緊張しているのかもと思ったら、急に力が抜けてしまって。あたしはふすりと息を零すように笑った。

「話してなくて話していいことって、たとえば?」
「そうですね……実はこの体も名前もヒトに借りたもので、本当は全然違う姿と名前をしていることとか」
「そうなの!?」
「この世界の近くにある別の世界から、相性が良さそうなヒトの姿と名前を借りました。」
いきなり剛速球が飛んできて、びっくりどころではない。
実は見た目も名前も全部借りものです、というのは、物語の中では読んだことがあるけれど。でも、実際にそういう人を目の前にすると、びっくり、という言葉以外出てこないらしい。
「私は観測することが役目です。体のすべて、意識のすべてを顕現させて役目を放棄することもできない。しかも女神の封印のためにだいぶ弱体化してしまって……なので、力の一部だけをいくつかに切り分けて、それぞれ他人の姿と名前を借りて、分裂して作業をしています」
「秋帆さんってたくさんいるの?」
「この形をしているのは私だけですよ。置いてきた中には、双子の男の子と女の子の形をしているものもありました。体の馴染み具合もあって、表情も名前も性格も違うので、素が同じとは思えないくらいです」
感覚的には量産型秋帆さんではなく、すごくたくさん兄弟がいる、みたいなものらしい。もとになったものは同じだけど、生まれたら名前も姿も違うのは、確かに兄弟そのものだ。村にいた兄弟の人も、たぶん兄弟のクリアさんとディストさんも、似ている部分はあってもまったく同じではないし。
外に出ているのは目の前の秋帆さんだけだから、今後会えることはないみたいだけど。でも少しだけ会ってみたいな、と思っていると、秋帆さんはぎこちなく頬を緩めた。
「なので……その。表情が上手に動かないのは、そのせい、です」
きょと、と、まばたきをする。どうして急に表情の話に、と思って、少しだけ考える。
馴染み具合によって違うことがある、と言っていた。だからそれは、えっと、体がもっと馴染んだら、いろんな表情ができるようになるよ、とか、そういうことだろうか。自信はないけれど、そう仮定すると、つまり。表情がうまく動かないことを気にしているから出てきた言葉で、ということで。この間、クリアさんに秋帆さんを紹介しようとした時の言葉を思い出して。
「……もしかして、表情が下手って言ったの、思った以上に気にしてた?」
「いえ……いえ」
それまではずっとあたしから目を離さなかったのに。急に言い淀んだかと思うと、ふいとみながら顔をそらしてしまって。それからぼそり。小さく呟く。
「……ほんの、少しだけ」
照れくさそうにも聞こえるその言葉は、きっと本当だ。
あたしの失言失敗集のひとつ。やっぱり気にしていたんだという申し訳なさと、それを教えてくれる程度にはまだ嫌われていないという安心感と。今後は気を付けますという反省とともに、少しだけ。少しだけこみあげてきてしまった言葉を、あたしはまたぽろりと口から零した。
「その、嫌だったらごめんなさい……秋帆さんのこと、すごくきれいな人だなあって思ったんだけど。すごくかわいい人だよね」
今そう思っちゃった、と素直に言えば、今度は秋帆さんがきょとんとする。
契約者、と言っても。喋りすぎない秋帆さんと、実は喋りすぎるあたしと。こうやってまだまだお互いがわかんなくて、寄り添いきれていないあたしたちだけど。今日からまた、少しずつでいいから、仲良くなれたらいいなあ、と思った。


この後、トンネルを強引に通っていくわけだけれど。無理やりあのトンネル付近にかかっている魔法を突破する際、ディストさんに攻撃されたらどうしようか、という話し合いは当然した。
数はこちらの方が多いし、ある程度抵抗はできるから、別に彼一人をものすごく脅威として見ているわけではない。単純に、そうなった場合、非戦闘員のあたしは足手まといどころの話しではないからどうしようか、というのが主題だ。そして一番は、あたしがその場にいないことという結果が出るのも、そう遅くはない。
だからこの辺りで待っていて、と言われて、あたしは当然だよねと素直にうなずいた。逃げる選択肢だってあるだろうけれど、今まで走らないようにと気を付けて生活してきたのだ。秋帆さんのおかげで走り回っても大丈夫になったけど、当然足は遅い。逃げ切れるとはとても思えないし、予測できる危険は避けるべきだ。
トンネルへと歩いて行った三人を見送って、あたしは広場の方へと足を進める。特に意味はないけれど、こうして一人でお散歩できることが楽しいのと、いろんな人を眺めたいのとで、なんとなく広場へ向かった。
「あ、領主さま」
「こんにちは。……ええと、すまない。どこの子だったかな」
昨日会ったばかりの領主さんを見かけて話しかければ、彼は困った顔で曖昧に笑い返してくれた。村の子供と思っているらしいそれに、あ、忘れちゃったのか、と気付いて、あたしも笑ってその場を誤魔化す。
なんだか、変な感じだった。昨日会ったばかりで、それなりにお話もしたのに。見たことあるけど誰だったっけ、ではなくて、知らない、と扱われるのは、なんだかもやもやする。仕方ないことだけど。寂しいというか、悲しいというか、もっと違うような。上手に言葉にならないそれに、きゅっとスカートの裾を握る。
(あたしが死んだら、あとは忘れられるだけなんだろうな、とは、思っていたけど)
今は秋帆さんのおかげでこうして歩き回っているけれど、本来のあたしはとても体の弱い子供だ。すぐに熱を出して寝込んで、苦しくなって、何もできなくて。息をするのにせいいっぱいになっては、このまま死んじゃうのかな、って、何度も考えた。
だから、ママとパパを置いていくことになるんだろうなって。きっと何も残せず死んじゃって、そのうち忘れられちゃうだろうなって、思って。ディストさんのことをきっかけに、突然失う側になる気持ちについても、最近は考えたりもしたけれど。
でも、こういう形で置いて行かれることは考えていなかった。物理的に会えなくなったとか、もう話せないとか、いなくなったわけじゃないのに。すこんと忘れられて、知らない人になって、繋いでいた手を急に離されたみたいな、そんな、戸惑い。

「忘れるのも忘れられるのも寂しいね」
「そうだね」
小さく呟いた言葉に返事があるとは思わなくて、慌てて声がした方に振り返る。
そこにいたのはクリアさんだ。また、あの白い花を抱えてそこにいる。名前を呼べば、彼はぎこちなく笑って、また一輪、花を渡してくれた。
「……おにーさんに、渡さないの?」
そう問いかけてしまったのは、失敗だったかもしれない。彼は家族の話を嬉しそうにするけれど、一緒に入られないといつも寂しそうにしているから。また困った顔をさせてしまう、と言葉を取り消そうとして、けれどそれより先に、彼はゆっくりと首を横に振った。
「渡せないよ」
「……どうしてって、聞いてもいい?」
「資格がないから」
言葉を探しながら問いかければ、彼は一言、そう答える。
資格って、なんだろう。そんなものが必要なのだろうか。だって、本当に、彼は家族のことが大好きなのに。そんなに寂しそうにしてまで、ただ黙って家族の帰りを待って、花すら贈れずにいるのは、苦しくないのだろうか。
「家族に贈り物をするのに、資格が必要なの?」
「少なくとも、ぼくには。ぼくには理由と資格がないと、できないんだ」
もう一輪、白い花があたしの髪に差し込まれる。
ただ穏やかに。静かにあたしを見る瞳は、不思議なくらい凪いでいた。
「だから、ごめんね」
え、と。答える前に、視界が大きく歪む。ぐるりぐるり。視界が回る感覚は、あたしにとって久しぶりのものだ。ちゃんと座らないと。このまま倒れると怪我をしてもっと周りを困らせてしまう。感覚を失いつつある足をなんとか折り曲げて、どすりと座り込んで。
はらりと、白い花びらが、狭くなった視界の端で揺れた。


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