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きっとこれは走馬灯のようなものなのだろうな、と。クリアはぼんやりと思う。
だってそうでなければ、小さい頃のことなんて思い出さない。いや、忘れた日なんてなかったけれど、思い出すのは苦しくてたまらなかったから、考えないようにしていたのだ。
あの日。最初に罪を犯した日。父の、姉の、兄の。ティールオンの、ファルファッラの、メイの。その他多くの人の大事なものを奪うことになった、あの日のことなんて。

『たすけて』
あの日。七年前の、幼い頃。そう、声がしたのだ。ちょうど兄とくだらない喧嘩をして、一人で花畑の近くで遊んでいる時だった。風に背中を押されるように、薄紫の朝に焼けた色が青く染まっていく。白い雲の影を塗りながら、眩いほどの青い空に変わっていくその一瞬の色。美しい空の色。その下にある幸福の中、穏やかだったあの日々の中で、その声は突然クリアの鼓膜を揺らした。
たすけて、たすけて、って。苦しくてたまらないと。怖くて仕方がないと。泣いているその声を無視することを、当時九歳だったクリアは選択することができなかった。
声の主のことなんて知らない。けれど困っているなら、助けてあげたかった。偉大なる神秘である父の子供とは思えないほど、魔力のかけらも持っていなかったクリアだけれど。それでもこの地に伝わる父の伝説のように。魔法で人々を助ける立派な姉のように。いつもなんだかんだと世話を焼いてくれる兄のように。クリアも、誰かのためになることがしたかった。
「クリア!」
だから、思わなかった。その声の主は封印の隙間から漏れ出た精霊のものだと。土の大精霊が長い封印に正気を失っていて、ほんの少しだけ封印を緩めたクリアに襲い掛かってくるなんて。
傷付けられそうになったクリアを、父が守ってくれることも。己と同じはずの美しい瞳の色が、こちらに伸ばされた腕が、優しい優しい声が、別のものに変わってしまうことも、想像だってしていなかった。

錯乱状態にあった土の大精霊は、目の前にいたアネストに傷をつけた時、さらに狂乱した。彼が己をこの封印に縛り付けた相手だとわかってしまったのだ。多くの神秘が消えうせたこの世界で、未だ自分のそばにいたそれを憎むのも自然なことだった。
対話しようとしたアネストの声なんて無視して、土の大精霊はその身を侵食する。根を張るようにその体を取り込んで、地面に深く己を食い込ませて。勝手に魔力を使われる苦しみから逃れるために、自分にあわない属性の魔力が与える痛みを振り払うために。アネストという肉体に己を忍び込ませて、同化するように食い荒らして、その体を操って、苦しみを吐き出すように暴れだすまで時間はかからなかった。苦しみながらも魔力を暴走される父の姿に、どんどんと体の底が冷えてくのを感じる。
──偉大な父なら、これくらいのこと、どうとでもできるはずなのに。
──ぼくがいたからだ。ぼくを守ることを優先したから、後手に回って、苦しんでいる。
──今、父を苦しめているのは、考えなしに助けようとした自分だ。
周りの時間を奪いながらも、外に大精霊が行かないようにと己に魔法をかけ続けるアネストの体だって、決して無限の力があるわけではない。神秘の生き物に終わりはないとされているけれど、そんなの、終わってみなければ確かめようのないことだ。寿命が定められたと、魔力の生成具合から推測したグイスブルグと違って、ただ先が見えなかっただけ。きっと今は魔力がすべてで、それを使い果たせば消えてしまうだろうことを推測することは、父や姉兄には簡単なことだった。
相反する魔力が体の中で暴れて、肌は切り裂かれて血が止まらなくて。そのくせ時間が巻き戻るみたいに姿を変えて、だんだんと自分が誰かもわからなくなって。父が自分たちの名前を呼ばなくなっても、土の大精霊が落ち着くことはなかった。
『ゆるさない』

「ここから出さないように、首輪を着けるわ」
尊敬する姉がそう提案したのは、アネストの身がぐちゃぐちゃにされて、半年が過ぎた頃だった。もうこのままではアネストの魔力だけでは土の大精霊が外に飛び出していくのを止められないだろうからと。彼女をここに押しとどめて、ティールオンの外に異変を持ち出さないことが今の自分達にできる唯一だと、彼女はそう言った。
「首輪って、何をするつもりだ」
「眠るだけよ。どうってことないわ」
「あんたまでいなくなるのかって話をしてるんだよっ!」
めったにない姉兄喧嘩を見るほどに、自分が責められている気がして苦しかった。ような気がする、じゃない。責められているのだ。自分がしたことのせいで、こんなに簡単に穏やかだった日々が崩れ去っていくのだから。これを罪と言わず何と言うのだ。
土の大精霊をアネストから引きはがすには、封印自体をどうにかしないといけない。正気を取り戻させるには、あの封印から解放してやる必要があった。けれど、かつて四つの神秘が時空の観測者の力と四属性の大精霊の力を使って施した封印だ。ただ神秘の血を引くだけの子供たちにはどうすることもできない。
その方法を探すために、姉が父の代わりになろうとするのも、兄がそれを止めようと怒っている気持ちも、わかる。兄は特に、あの日クリアを一人にした自分が悪いと、そう思っている節があるから。違う、違うのに。兄も姉も父も何も、悪くないのに。

『ゆるさない』
そんなの、クリアだって同じ気持ちだった。クリアはクリアを許せない。助けを乞うように話しかけてきたくせに自分たちを苦しめるしかしない土の大精霊を許せない。
『ゆるさない。お前たちを。ゆるさない』
父が。姉が。兄が。いなくなる。穏やかな空が消え去っていく。自分は壊れていく父を見るしかできない。いなくなった姉を見るしかできない。これしか方法はないとあきらめて、大精霊の代わりに純度の高い魂を集めて封印に差し込むだなんて無茶なことを考えて、己の代わりに罪を重ねていく兄を眺めているしかでない。
何もかもすべて嫌で、怖くて、許せなくて。もういっそ全部を投げ出そうとした時に。空を飛ぼうとしたときに。あの日の空を追いかけようとした、あの日に。
空から、友達が。
綺麗な目をした彼女が。
目の前に落ちてこなければ、もっと簡単だったはずなのに。
一人でいなくなることもできず、友達すらも傷つけるしかできない自分が本当に嫌いだった。


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