13
次に目を開いた時、花畑からは遠く離れたあの村の広場の真ん中に立っていた。
時間が遠く過ぎたわけでもない。だって空は相変わらずだ。この広場と花畑はそこそこ離れていたような気がするけれど、ここからでもあの大きな蕾がよく見える。その蕾に吸い込まれるように、少しずつ歪んだ空が色を変えているのを見上げて、あたしは今さら大精霊というものの影響の強さを実感した。
「ファルちゃん!?」
「フロストさん!」
立ちすくんでいるあたしの姿を見つけてくれたフロストさんに名前を呼ばれて、少しだけ肩の力を抜く。
緊張で倒れないだけマシなんだろうけれど、すぐに動けないでいるあたしのところに彼はすぐにかけつけてくれて、大丈夫、と手を取ってくれた。
「どこか怪我は? 動ける?」
「うん、大丈夫。あの、秋帆さんが、なるべく遠くまで逃げてって。そしたら、しばらくは大丈夫だからって」
「もちろん、それはわかっているよ。今残っている人はほとんど領の外に避難してもらったところで、今は誰か残っていないか確認中。よかったよ会えて」
どうやら秋帆さんが言っていた通り、フロストさんはとっくにみんなの避難誘導を行ってくれていたらしい。
君も早く、と手を引かれて、あたしもうんとうなずいた。
「シオ?」
そうして歩き出そうとして。ふと、犬の声がしたような気がして足を止める。フロストさんが不思議そうにあたしを見るのがわかったけれど、あたしは今聞こえた声を無視することができなかった。
でも、きっと空耳だ。だってこの村にいる間、犬の姿なんて見なかったし、シオはママたちと一緒にいるはず。だからこれは、あたしのただの気のせい。
そうわかっているのに。聞こえなかったことにできない。声がしたのは、クリアさんの家がある方向だ。それがわかったとたん、無視できなくなった。行かなくちゃ。そう思って、足が勝手に動き出す。
「ちょ、ちょっとファルちゃん、そっちじゃないよ」
「待って、だめなの、この先にあるの」
「誰かまだ残っているの?」
フロストさんには申し訳ないけれど、返事は適当にしたままずんずんと歩いていく。抱き上げられてしまえば抵抗なんてできないのに、それをしないでくれる彼はとても優しい。その優しさに甘えて家までたどり着くと、あたしはやっぱり、止まることも躊躇うこともせずに中に入っていく。
目的地は決まっていた。もうシオの声はしないけれど、そこに行かなくちゃいけないということは、何故かわかっていた。
あたしたちが泊まった部屋より奥の部屋。
廊下の奥にある、入ってはいけない、家族の部屋。
クリアさんがそう言っていた部屋の扉には、あの白くて小さな花が生えていて、わずかに揺れている。ここに風は入ってこないのに。蔓状の花ではないから、こんな場所で咲くはずがないのに。確かに綺麗に花開くそれを見て、ここだ、と思った。
「フロストさん、これ開けられる?」
「え、ええ? ……ええい、ちょっと待って!」
自分で押しても引いても開かないので、後ろにいたフロストさんに頼んで開けてもらう。戸惑いながらもナイフを出して、扉を塞ぐ花を切り取ってくれた彼にお礼を言って、あたしはその扉を開いた。
(……名前を呼んでって、みんな言うのに。あの人たちは、誰も嬉しそうじゃなかった)
扉を開いた先にあるのは、当然、ただの部屋だ。大きさはきっとクリアさんの部屋と同じくらい。扉を開けたせいで通り道ができた風が一瞬あたしたちを押しのけるように吹き付けてきたけれど、それは足を止める理由にはならなかった。
ぽいと雑に脱ぎ捨てられている白衣。クローゼットの中から服がはみ出していて、足の踏み場もないほどの本が積み上げられている。ジャンルを問わず置いてあるそれは、少しクリアさんの部屋に似ていた。ううん、きっと、ここに彼はよく来ていただろうから、それも当然なのだと思う。部屋が散らかっているのに埃っぽさはないのが、その証拠だった。
開いた窓からゆっくりと入ってくる風が白いカーテンを揺らしていて、優しい花の匂いがして。窓際にある白いテーブルの上にあるあの白い花に、あたしはああ、と小さく声を漏らした。
白い花。白いテーブル。そして部屋の中心にある、大きな天蓋付きの白いベッド。上から落ちる天蓋カーテンには、誰かが手入れしていたのか綺麗なあの白い花が飾り付けられていて、中で眠る人を大切に守っているのがわかる。
その美しいベッドの中には、その人がいた。
周りの騒ぎなんて知らないとばかりに眠り続ける彼女がいた。
「……やっぱり、似てると思ったんだ」
まだ中の様子をうかがっているフロストさんを置いて、あたしはそっとその人に近付く。
だって、その人のことを、あたしは知っていた。
夢。そう、夢を見ていた。秋帆さんの言う通り、彼女と出会う夢を見た。少しだけど話をして、何かから守ってもらうようにおまじないをかけてもらって。代わりに少しだけお願いを叶えるような、そんな夢を見ていた。
何度も見たはずなのに、いつも夢うつつで覚えていなくて、その夢を見ていたことだって、忘れてしまっていたけれど。彼女を見たら、花が咲くようにそのことを思い出した。
綺麗な人。あたしにいろんな言葉をくれた人。そう。あたし、この人を見て、思ったんだ。似ているって、とっても、思ったんだ。
「ディストさんと、包帯の男の子と、クリアさん。……それから、おねーさんの綺麗な目の色が、そっくりだって」
──そっくりな翡翠の目に、マフラーと貫頭衣でおそろいの黄色のもの。おにーさんの好きな、魔術師アネストにとっても特別な花。家族が不在がちだと言ったクリアさんの言葉と、家族を助けたいと言ったアネストの関係者のディストさん。
その全部が繋がって、彼らが兄弟で。同じ目をした包帯塗れの男の子がアネストで。そうしたら、同じ目の色をするおねーさんだけ、関係ないわけないよね。
まだ登場していないアネストの子供。三人の子供の最後の一人。クリアさんが言っていた、お姉さん。
大切な名前を忘れてしまったと、彼女は夢で言っていたけれど。あたしはその名前も知っている。だから近付いて、その手を握って。まだ閉じたままの瞳が開いてくれますようにと願って。
彼女のお父さんが願った通りに、その名前を呼んだ。
「エルダさん」
この地にたくさん咲いている小さくて白い花。
魔術師アネストにとっても特別な花。
あたしが思うよりずっと、大切な名前。
その花の名前を持つその人は、ゆっくりと、彼らにそっくりな色を煌めかせた。