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「ここに高名な医者がいると聞いて、訪ねてきたのです」
アーリィを呼び止めた男は、そう言って上品に笑う。
つい先ほど村に着いたというその男は、紳士然とした服装には似合わない黄色いマフラーがやけに印象的な人物だった。
たまたま目が合ったアーリィに声をかけただけなのだろうが、この村に医者は一人しかいないから、尋ね人はすぐにわかった。道も難しくはない。口で説明するだけでも良かったが、なんとなく案内を申し出る。そうすれば彼はありがとうございますと笑みを深めて、勝手に自分の都合を話し出した。
やけに多い口数は、こちらに警戒をされないように言葉を並べているせいだろう。地元の教会で、同じように不安と警戒心を解いてほしい一心で口数が多くなっていた人と、似たような気がしたから、すぐにわかった。
「家族が病に臥せっているのですが、どうにも魔力に関する病のようで、地元の医者では歯が立たず……事前連絡も無しに訪れるのは無礼だとわかっているのですが、専門である彼女の力をどうしても力を借りたくて」
「それで、ティールオンからここまで?」
「ええ。大事な家族のためですから」
彼との会話はそこまで長くはなかったけれど、彼がとても家族を大切に思っているだろうことは、その目が語っていた。だからこそ、アーリィは心から彼の話を信じたし、ここから西の方にある別の領地からわざわざここに来たという献身ぶりに感動もしていた。
この村の唯一の医者であるアシュリー・アーロスがとても優秀であることをアーリィも知っている。未だに謎の多い病、特に魔力の暴走による病についての治療法を確立させたのは彼女だ。そんな彼女に頼ろうと思うのは当然であると思ったし、きっと彼女なら、手を貸してくれるだろうとも思った。
「大丈夫ですよ。アシュリー先生は本当に腕のいい方なので!」
そう言って、彼を案内したことを。
彼を、彼女に会わせたことを。
アーリエンズ・フォーマッドは、心の底から後悔している。


「なるほど。その男が今回の事件の原因である可能性が高い、と」
フロスト・ノーヴェンと名乗る騎士にこれまでのことを話して、アーリィはこくりとうなずいた。
村の異変に気付いて駆けつけてくれた騎士の一人である彼は、四十代の半ばをすぎたくらいの年齢だろうか。落ち着いた声が緊張と後悔に凝り固まった気持ちにそっと寄り添ってくれているようで、ずっと強張っていた表情が少しだけ和らぐのが自分でもわかる。
アーリィが細く息を吐くのを見て、フロストは申し訳なさそうに頭を下げた。
「魂を奪われる、という事件は、他の地でも最近報告されているものだ。もちろん調査はしていたけれど、解決していなかったからこそ今回の件を招いた。私たちの力が及ばず申し訳ない」
「い、いえ! 今回に関してはボクのせい、ですから。彼を案内しなければ、きっと何も起きなかった」
「いいや。彼はアーロス先生に会うという明確な目的を持っていたんだ。君が案内しなくても、必ず先生のもとにたどり着いたよ。……それに、君は先生の大事なお子さんをここまで守り切ったじゃないか。悔しいこともあるだろうけれど、そこは胸を張ってほしい」
だから自分を責めすぎないで、と。自分の力不足を謝罪しながらも柔らかい声をかけてくれる彼は、やはりとても「いい人」なのだろう。
でも、やっぱり、自分のせいだと思ってしまうのだ。自分の選択は常に間違い続けているのではないかと不安になってしまうのだ。それは誰にどれだけそんなことないよと言われても、簡単に納得できるようなことじゃない。
それでも、自分を心配してくれていることだってわかっているから。アーリィはなんとか笑みを浮かべてみせたけれど、きっととてもへたくそだった。

ファルファッラはまだ、隣の部屋で寝込んでいる。
突然帰る家も家族もいなくなって、ショックだったのだろう。怖かったのだろう。環境の変化に敏感な彼女の熱は下がらない。まだ十三歳の子供と思えば、それくらい仕方のないことだけれど。寝込むことに慣れてしまっている彼女は、たまに意識を浮上させた時にいつまでも寝ててごめんなさいと謝るばかりで。どうにか元気づけたくて、何かしてほしいことはないかと聞いたけれど。
──何があったのか、知りたいって思うよ。……無理だけど
自分はどこにも行けないからと、そう弱弱しく呟くだけだから、何もしてあげられることがない。
彼女は確かに体の弱い子供であったが、とても明るい子だ。その性格に体がついてこないことを嘆きつつ、それでも自分のペースで、自分の生きられる範囲で楽しみを見出そうとしている子供だった。そんな彼女がすっかり弱っているのを見て、アーリィはやっぱり、自分のせいだったと追い詰められていくことしかできない。
「あの、ボクたちはこれからどうなるんでしょうか」
「基本的には君たちの意志に任せるよ。皇帝は以前からアーロス夫妻を随分と気にかけていたらしくてね。その娘さんのことも大切にしたいらしい。彼女がこのままここにいることを選んでも、もしくは帝都に移住しても。どちらにしても、衣食住は確保できるように取り計らってくれるとのことだ」
アシュリー・アーロスはもちろん、その夫であるイリス・アーロスのことも、この帝国の皇帝の耳に届いているらしい。さすが、と思った。皇帝に存在を認知されている二人にも、よく民衆に目を向けている皇帝にも、どちらにも。
ミーナ・エル・ユークロニア皇帝は「ヒト」ではない。ヒトに寄り添い、導き、愛してくれるけれど、どこまでも違う生き物である。この世界が「常春の世界」と呼ばれていたような、遥か遠い時代から生き続ける、終わりを持たぬ神秘の生き物だ。
そんな存在が気にかけてくれるなら、ファルファッラのこれからについてはあまり心配しなくてもいいのかもしれない。願いは叶えてやれないけれど、少しでも落ち着いた環境に彼女を戻せるのなら、それが一番いいはずだ。
「その服はマグメリアの精霊教会のものだね」
びくりと、肩が揺れる。その、きっと何気ないはずの質問に対して、明確に動揺してしまったことに自分でも気付いて、ぎゅうと服の裾を握りしめる。
やっぱり別の服を用意しておけばよかったと今さら思った。でも仕方がない。いくらあの地から飛び出したとはいえ、生まれた時から教会の世話になっていたのだ。この服を脱ぐのは今までの自分の生活もすべて捨ててしまうようで抵抗があったのだ。
でも、地元の、己が所属していた場所の話は、得意ではない。教義について話すならまだしも、そこでの思い出や生活について触れられるのは、得意ではなかった。
「……見習いでした」
「そっか。なら、そっちに移住するという手もあるけど……ごめんね。あそこは今、移動できないようになってるから」
アーリィの動揺に気付いているのかいないのか。穏やかに笑うフロストの心情は読めないけれど、申し訳なさそうにしていることだけはわかって、そっとうつむく。
移動できないようになっている、という意味がわからないほど、アーリィも最近の世界情勢について無知ではない。けれど、もう一年も前のことだから。もしかしたら知らないうちに勝手に問題は解決しているのではと思っていたから、違うのか、と少しがっかりした気持ちだった。
「……まだ、異変は収まっていないのですか?」
「そう。知ってるようでよかった」
あの村はどうにものんびりとしていて知らないようだったけれど、東のメメディエムを除く三つの領地で「異変」と呼ばれる現象が起きていることは、少なくとも彼が村に来る一年前の時点では毎日話題に上がるくらいに当たり前のことだった。
水が循環するみたいに、同じ時間が流れている。風に花が散るように、時間を失っていく。燃え尽きるようにそこにあったはずの場所が消えた。
時空が歪んでいる、とでも言うのだろうか。あの村のように何かが覆いかぶさっているとか、パッと見てわかるほどではないけれど。確かに何かがゆがんで、ずれて、おかしなことが起きている。だから、アーリィが暮らしていた場所には戻れない。
「皇帝の指示で避難や抑え込むための措置をおこなってはいるけどね。まだまだ収まりそうにないよ。せめて、エリアカナヤみたいにならないといいんだけど……」
問題ばかり起きるものだね、と。心配そうに肩をすくめるフロストに、アーリィは曖昧に笑うしかできなかった。


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